熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

C・P・キンドルバーガー著「経済大国興亡史 1500-1990」(4)オランダの盛衰ー2

2017年03月21日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   たかだか、人口200万人のヨーロッパの小国オランダ共和国が、歴史上、一時的だとは言え、その独創性と生命力によって、ヨーロッパの列強を抑えて経済覇権を確立して、世界に冠たる地歩を築いたと言うのは驚異でさえある。

   キンドルバーガーは、オランダの栄枯盛衰につて、かなり、詳細にわたって論述しているが、衰退の原因については、次のように総括している。

   外部的な原因としては、戦争、外国の重商主義、オランダの技術の外国における模倣、ヨーロッパが、まず、貿易で、続いて金融でアムステルダムを中継市場として利用しなくなったこと、フランスに貸し付けていた資本がフランス革命で失われたこと、ナポレオンとの戦争で負けてフランスへ賠償金としての課徴等々。
   内部的な原因としては、貿易と工業から金融への後退、ロンドンからパリへの貸付先の切り換え、賃金の高騰を齎した高い消費税、求心的な方向性の強化に対する州の抵抗、ことに、課税を巡っての抵抗、熟練労働者の喪失、誇示的奢侈消費、歪められた所得分配等々。
   その中間の原因として、漁業と捕鯨業におけるイギリスとドイツとの激しい競争について行けなかったこと、特に、熟練労働者や船員の外地への流出と言う要因による。
   それ程重要だとは思えないのだが、キンドルバーガーは、この最後の要因が、カギを握っていると思うと述べているのが興味深い。
 
   昔ながらの、厳格で、質素な商人の生活様式が、17世紀最後の四半世紀の間に廃れてしまい、贅沢な様式、田舎の家屋、大地主のような生活に変わって行った。
   アムステルダムでは、人々は商業から自分の金を引き上げて、建造物にそれを投下した。

   富裕な商人たちが都市貴族化するなど、都市貴族には職業を持たないものも多く、商人ではないので、海上でのリスクを負おうとせずに、収入を家屋や土地や証券・長期国債から引き出しており、この都市貴族が、どんどん増殖して、この傾向が1650年ころから1700年頃にかけて盛んとなり、海上から陸上への移動が進んで行き、
   一方、貿易から金融への転換が、投機精神が芽生えたために、実業への怠惰が蔓延るなど、オランダ経済の衰退の兆しを見せ始めてきたのである。
   これと並行して、17世紀の半ば頃から、発明や技術革新のペースが落ち始めて、企業家精神に富んだ活力が、オランダ経済から抜け落ちて行ったと言う。

   要するに、生命力とエネルギーに満ちた若い国こそが、古びた独占的な国に挑戦するのであり、年老いた国には、その挑戦に革新的な反応をもって対処する能力に欠ける。
   私は、文化文明も国家も企業も、須らく、シュンペーターの説く創造的破壊、すなわち、イノベィティブな企業家精神とイノベーションが、推進力のダイナミズムの根幹だと思っているので、オランダの凋落の原因は、色々あるであろうが、この企業家精神の活力を失ったことだ思っている。

   オランダが、他のヨーロッパ諸国と大きく異なるのは、構造的な要因として、強力な封建貴族もいなく、強力な教会もなく、市民が中心となって大を成した国であり、アムステルダムのあるホラント州が多少指導者として振舞っていたにしても、7つの州による共和国体制で、分権化が進んでいた。
   キンドルバーガーは、このシステムを、クゥエーカー教徒の集会システムに準えていた。
   トップからの指令も完全にしたからのイニシャティブがないままに、「集会の意見の大勢」に従って結論に到達すると言うシステムだが、これが、初期のダイナミズムを生み出して快進撃をサポートしたが、逆に、国家の大難に立ち向かうべき凋落期には、諸州の利害が対立して裏目に出て、オランダの衰退を加速させた。

   オランダの凋落は、歴史上仕方がないとしても、惜しむらくは、オランダは、イギリス、ベルギー、フランス、ドイツで進行していた産業革命に触発された工業化の過程を見習うことができないうちに、一世紀の歳月が過ぎ、やっと、19世紀末に近代化への移行に辿り着いたと言うことである。

   オランダについては、このブログで、随分書いてきたので、蛇足は避けるが、非常に信義に厚く、極めて、ビジネスには厳しいが、本当の大人の国である。
   高地がなくて、国土の4分の1が水面下だと言う特異な国だが、道路を走っていて、トンネルの上空を大型汽船が悠々と航行して行く国、道路上には、縦横に張り巡らせた運河には勝鬨橋のような橋が架かっており、また、飛行場の滑走路が走っていて、時折、車を止めらられるので高速で突っ切れない国。
   普通、三保の松原でもそうだが、海岸線に近づけば、浜辺に到達するが、オランダでは、海岸線に沿って小山に近い土手が築かれていて、一気に駆け上がって、反対の方を見ると、 海が迫っていて、反対側の陸地よりもはるかに水位が高い。
   デルフトの陶器を眺めながら、オランドの思い出を反芻している。
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