熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

六月大歌舞伎・・・「一本刀土俵入」ほか

2017年06月30日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今月は、歌舞伎は、歌舞伎座へ「夜の部」を、国立劇場へ鑑賞教室の「毛抜」を観に出かけた。
   昼の部では、吉右衛門の「弁慶上使」を是非観たいと思っていたのだが、夜の部も大作揃いで、非常に楽しませてもらった。
   「一本刀土俵入」は、随分前に、先代雀右衛門のお蔦と、今回同様、幸四郎の駒形茂兵衛で観ており、もう一度、幸四郎を観たくて期待して出かけたのだが、今回は、猿之助が、大分違ったモダンな感じのメリハリの利いたお蔦を演じていて、楽しませてもらった。
   
   この芝居は、相撲取りの茂兵衛が、食い詰めて江戸へ向かう途中、水戸街道の取手宿の旅籠安孫子屋で、酌婦のお蔦に、手持ちの金子や簪を与えられて立派な横綱になるよう励まされたことを恩に着て、残念ながら渡世人となって故郷へ帰る途中で、お蔦を探し出し、お蔦母子とイカサマばくちに追われる身の夫・船印彫師辰三郎(松緑)を、顔役の波一里儀十(歌六)一家を蹴散らして、助けて逃がす。と言う任侠ものだが、胸のすくようなストーリーである。
   気風のよいお蔦と恩義に熱い茂兵衛の魂の交歓と言った話だが、しみじみとした味があって、私など、好きな話である。
   横綱の土俵入りではなくて、一本刀の土俵入りを見せる茂兵衛の心境如何にと言ったところだが、インテリ然とした幸四郎が、冒頭、朴訥な真心一途の好漢茂兵衛を演じて、後半では、一本刀でありながら、一本筋の通った真心を見せる颯爽とした、本来の持ち味の凄みのある渡世人を演じて、流石である。

   私は、幸四郎が何故人間国宝にならないのか、不満に思い続けているファンの一人だが、ロンドンで「王様と私」を観ており、「ラ・マンチャの男」や蜷川の「オセロ」などの舞台も観て、その度毎に感激しており、歌舞伎の世界では、自他ともに認める第一人者でありながら、これ程、歌舞伎の枠をはみ出してでも、人の及ばない傑出した芸を見せて魅せる役者が存在するであろうか。

   この幸四郎は、「鎌倉三代記」で、佐々木高綱を演じて、コミカルタッチの雰囲気もさわやかで、重厚かつ貫禄十二分の舞台を見せてくれていた。
   この「鎌倉三代記」は、何といっても三姫の一つである時姫を演じた雀右衛門の舞台で、益々脂の乗った絶好調の芸を見せてくれたのだが、この雀右衛門は、次の「御所五郎蔵」でも、仁左衛門の五郎蔵を相手にして、傾城皐月を演じて、互角に渡り合っている。

   この「御所五郎蔵」だが、立派な侍であった須崎角弥が、腰元の皐月との不義で追放となって侠客の五郎蔵となった、いわば、江戸のヤクザが、侍の星影土右衛門(左團次)と、皐月を巡って争い、五郎蔵のための金策に土右衛門に靡いたふりを装った皐月の心根を知らずに、裏切られたと早合点して殺そうとして、身代わりになって皐月の花魁衣装を身に着けた道中の傾城逢州(米吉)を、誤って殺してしまうと言う何とも冴えないストーリーである。
   この江戸の風情むんむんとした舞台で、江戸のヤクザを、関西オリジンの仁左衛門が演じると言う興味深い芝居だが、怒り心頭に達した仁左衛門の形相の凄さが、目に焼き付いている。
   雀右衛門の傾城は、しっとりとした味があって格上の貫禄だが、米吉の傾城の美しさと健気さ、最近貫禄がついてきて、進境の著しさが印象的であったが、実父歌六の薫陶宜しきを得れば、末恐ろしい存在となろう。
   心境の著しさと言えば、「鎌倉三代記」で、時姫の雀右衛門と好演した三浦乃助義村を演じ、「一本刀土俵入」で堀下根吉を演じた松也にも言えよう。

   末筆になってしまったが、猿之助の芸の冴えと存在感は、流石で、「一本刀土俵入」の冒頭の、安孫子屋の二階の窓から、顔を覗かせた瞬間から、観客を引き付ける。
   座頭役者の風格と本来の芸の上手さが相まって、魅せてくれた。
   それに、今回の舞台では、猿弥、笑三郎など澤瀉屋の面々が、脇役ながらもよい味を出していた。
   
   
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