熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

十月大歌舞伎・・・中村芝翫の「熊谷陣屋」

2016年10月13日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   芸術祭十月大歌舞伎は、八代目中村芝翫襲名披露興行である。同時に、橋之助・福之助・歌之助の襲名も行われた。
   私は、「大芝翫」と呼ばれた四世芝翫の「芝翫型」の「熊谷陣屋」を見たくて、歌舞伎座に出かけた。

   これまで、幸四郎や染五郎の高麗屋や仁左衛門、吉右衛門などの團十郎型の舞台は、何度も見ているのだが、浄瑠璃本を踏襲している文楽に近い舞台だと言うことで、特に、丸本で、熊谷が出家を決意して登場した時に、「十六年も一昔、ア夢であったな」と慨嘆する台詞をどのように表現をするのか、非常に、興味があった。

   芝翫がいっているように、「團十郎型は幕が閉じた後の幕外で、出家した熊谷が花道を一人で入りますが、芝翫型は原作のように熊谷と妻の相模が本舞台、屋体の中央に源義経、下に弥陀六という引っ張りの見得で幕になります。」
   團十郎型は、幕が下りた後に、熊谷が、花道に立って、天を仰いで、「十六年も一昔、ア夢であったな」と慨嘆して、京の黒谷へ向かう感動的なシーンで終わる。
   それに、芝翫型では、衣裳は赤地錦織物の裃で、黒本天の着付、顔は隈を取り、赤ら顔にしているので、見慣れている團十郎型とは、雰囲気が大分違ってくる。

   最近見た文楽では、勘十郎の遣う熊谷は、本舞台の中央で、武士を捨てて脱いだ兜を握りしめて感慨深そうに凝視しながら、「十六年も一昔、・・・」を演じた。
   丸本には、”ほろりとこぼす涙の露。”と続く。
   岩波の文楽浄瑠璃集には、「一句に無限の感慨を含めてほろりとするところ。」と注書きしてある。
   芝翫の熊谷は、本舞台やや下手に端座して、正面を凝視して、力強い肺腑を抉るような台詞を吐露する。
   これから行くのは西方浄土、先に逝った躮小次郎と一緒に極楽に往生して同じ蓮台に身を託す、一蓮托生の縁に因んで蓮生と改める。と語って、念仏を唱えて、「十六年も一昔、・・・。
   感極まった表情が、胸を打つ感動的なシーンである。

   ところで、吉右衛門は、この「十六年は一昔・・・夢だ・・・」は、出家した熊谷が、脇目もふらず陣屋を立ち去ろうとした時に、義経に「コリャ」と、小次郎の首をもう一度目におさめておけと呼び止められて、思わず口をついて出るつぶやきです。「もう、思い出したくない。振り返りたくない」という心も一方にあって、でも、あの首がどうしても視界に入って来て・・・と言っていて、非常に興味深い。
   原本には、さらばさらばと言うシーンで、「又思い出す小次郎が。首を手ずから御大将。この須磨寺に取納め末世末代敦盛と。その名は朽ちぬ金札。」と書かれている。
   やはり、義経が、小次郎の首を熊谷に見せると言うシーンを、作者は想定したのであろうか。
   今回、吉右衛門の義経は、首を小脇に抱えていたのだが、私など、やはり、熊谷にとっては、小次郎の首を示されるのは苦痛以外の何物でもなく、義経が、小次郎の首を持って見送ると言うシーンは如何かと思っている。

   もう一つ、芝翫の舞台で感じたのは、芝翫も述べているのだが、熊谷が、小次郎の首を藤の方に見せよと、相模に命じる「コリャ女房、敦盛卿のおん首、藤の方へお目にかけよ」のところで芝翫型は、熊谷が首桶から首を出して抱え、三段(階段)のところで熊谷が相模に手渡す。のだが、この時に、芝翫の熊谷は、自分の悲しさをじっと噛みしめて、労わる様に、そっと、右手を優しく相模の背にあてがって、愛する我が子を失った夫婦の思いを表現している。

   今回、この舞台で、小次郎の死に直面して、泣き崩れる相模が、「エエ胴欲な熊谷殿。こなたひとりの子かいなう。」と熊谷を激しく責めて、熊谷が、どうして、敦盛と小次郎を取り替えたのか説明するシーンが省略されていたので、救いでもあったと感じている。

   文楽の場合には、首が人形なので表情は出しにくいのだが、歌舞伎の舞台では、大概の熊谷役者は、無理に、熊谷の喜怒哀楽の表情を押し殺して無表情に近い男としての熊谷を演じているのだが、芝翫は、どちらかと言えば、内奥から迸り出る表情には逆らわずに、芝居を演じているようで、幕が下りる直前、相模を伴って去り行く時など、本当に慟哭していて、胸に迫る幕切れであった。

   首実験のシーンでも、團十郎型や文楽とも、異動があって興味深い。
   熊谷は、陣屋の下手の桜の前に立ててある制札を引き抜いての見得でも、芝翫型は人形浄瑠璃と同じように制札の軸を下に突くが、團十郎型は制札を逆さにする。
   義経に首を示す時には、文楽では、右手に制札を握りしめて、制札で階の下にいる藤の方と相模を遮り、首を持った左手をぐっと義経の方に差し出すと言う豪快な見得を切るが、芝翫の場合には、二人は階の下にいて、熊谷が、跪いて、桶の首を両手で捧げ持って、悲愴な面持ちで、義経に見せると言う形になっている。

   玉男が、見せ場は、何といっても、熊谷が軍扇を駆使して、須磨浦で、敦盛と一騎打ちを語る「物語」の場面で、右手で遣っていた軍扇を左手に持ち替えて「要返し」をして、足遣いは棒足で決まると言う型が難しいと言っていたので、今度は、多少、意識して、この居語りの場面を注意深く観せてもらった。
   これまで、何となく聞き流してみていたのだが、芝翫の語り口は、非常に鮮明で分かり易かったので、楽しむことが出来た。

   日頃、脇役のように思って気にもしていなかった義経を、吉右衛門が演じると、ぐっと違った役のように思えて、改めて、一挙手一投足、注視しながら観ていた。
   相模の魁春、弥陀六の歌六は、やはり、ベテランのいぶし銀のような味わい深い芸を見せてくれて良かった。
   菊之助の匂うような品格と威厳、母としての心情を鮮やかに演じ切った素晴らしい芸も見逃せない。

   ところで、この夜の部では、襲名披露口上が行われた。
   特に、変わった雰囲気ではなかったが、菊五郎が、「奥さんに叱られて・・・」と切り出すと場内は大爆笑・・・後はよく聞き取れなかったのだが、(恋に現を抜かしてマスコミ沙汰になるような時ではなかろう、)3人の子供を立派な役者に育てるようにと激を飛ばしていた。
   今回、七之助と児太郎が、一門の繁栄のためにと、非常にしっかりとした熱の籠った口上を語っていて、印象的であった。

   「外郎売」は、祝祭劇の定番。
   最後の玉三郎の「藤娘」は、やはり、人間国宝の素晴らしい舞踊の世界。
   還暦をはるかに過ぎているのに、何故、あんなに優雅で美しいのか。
   
   
   
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