熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

落穂ひろいは永遠の指標であろう

2017年05月20日 | 政治・経済・社会
   少し日本経済も上向き傾向だと報じられている。
   失われた10年、あるいは、失われた四半世紀と言われて久しく、日本のGDPが、500兆円を境にして、一向に上昇せずに、エズラ・ヴォーゲルが、Japan as No.1を書いたのは1979年であるから、もう、昔々の話で、夢の世界である。

   さて、何故、こんな話になったのか。
   積読であった大著のトーマス・セドラチェクの「善と悪の経済学」を読んでいて、第2章 「旧約聖書」の社会の幸福と言う箇所で、落穂ひろいの話が出ていて、迂闊にも知らず、非常に興味を持ったからである。
   このブログでも、We are the 99%.運動など、経済格差の拡大が、非常に深刻な問題として今日の資本主義、民主主義を毒していると言うことについて書いてきたが、古くから、弱者救済への教えがあったと言うことを感じて、感銘を受けたのである。

   この口絵に借用したフランスの画家ジャン=フランソワ・ミレーによって描かれた「落穂ひろい」の絵は有名で、私もパリのオルセー美術館で何度か見ており、印象に残っているが、この絵そのものが、この旧約聖書の「レビ記(Leviticus)」記されている、貧しい寡婦や貧農などのために、落穂を残さなければならないとの戒律に想を得たと言うことである。
   この絵を見た時に、解説書か何かで見た記憶も微かにあるのだが、忘れてしまっていた。

   宗教的なことは分からないので、詳細は避けるが、貧困層のために広く富を残すと言う社会政策と結び付けられた巧みな経済規制だと思うのだが、このような慈善は、善意の表れではなく、むしろ責任と見做されて、寡婦とか孤児と言った弱者だけではなく、移民も社会的保護の対象になったと言う。

   もう一つ、セドラチェクが言及しているのは、キリスト教の章で、私有財産制について、例外規定を設けていて、「貧困の際には、すべてのものは共有財産となる」として、現世の財産は本来的に共有されると言う考え方があって、「飢えた人は満たされるまで他人のぶどうを食べてよい」と、これは、前述の落穂ひろいに関する定めと同じで、社会的弱者を守るための掟だと説いている。

   何千年も経た今日、世界中には、経済格差が益々拡大して、移民排斥が渦巻き、環境破壊が勢いを増し、正に、宇宙船地球号が危機に瀕している。
   それに、中流社会だと言われて貧富の格差が比較的軽微であったわが日本社会が、経済の歪が進行して、先進国中でも、経済格差が拡大して、貧困率が上昇して悪化の一途を辿っている。
   最近、世情において、殆どこの弱者救済対策など経済社会のセイフティネットの構築議論が、俎上に上らなくなったが、益々、状態は悪化している筈であり、日本の政治が迷走を続けているが、非常に憂うべき状態だと思っている。
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