熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

鈴木信一著「子どもの国語力は「暗読み」でぐんぐん伸びる」

2017年04月04日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   「暗読み(くらよみ)」と言う言葉が分からなかったのだが、子供にとって、国語力が学力・知力の基礎だと思っており、帯に「5歳から始める論理力アップのメソッド」と書いてあったことで、孫のために何か役に立つのではないかと思って読み始めた。

   著者は、冒頭で、
   「暗読み」とは造語ですが、いわゆる寝床での語り聞かせを指します。子どもが寝るときに一緒に布団に入り、部屋を暗くして、子どもには目をつぶるように言ってやり、おもむろにその日の話を始める。しかし、だからこそ、想像力はこのときフル稼働します。匂いや音、手触りまでが、生々しく感知できるようになるのです。と言っている。

   「暗読み」には、台本がなく、真っ暗なので何も見ることができず、あらかじめ知っている昔話や童話や故事逸話など、あるいは、その場での即興話をすることになる、いわば、文字なき本を子どもに読み聞かせると言うことになる。
   子どもの知育として、幼児期に絵本の読み聞かせがポピュラーで、沢山の絵本や懇切丁寧な挿絵入りの読み聞かせ本が出版されていて、これが、一般化しているのだが、現実には、子どもの国語力が低下している。絵本には挿絵があって、子どもたちはそれにばかり注意を奪われて、言語運用能力でその基礎となる、言葉を映像に変換する能力を養えずに終わってしまうので、幼稚園の年長や小学1年生くらいになったら、絵本から卒業させて、前述の「暗読み」に移行すべきである。と言う。

   「暗読み」の効果は、言葉を映像に変換する脳のシステムを涵養するとともに、その物語なりストーリーの先の展開を予測する習慣(「先読み」の習慣)を身に着けさせることであり、子どもに、想像力と論理的思考力を育み、国語力を一気にアップさせる。と言うのである。

   私は、孫に、クリスティーヌ・アリソンの「365日のベッドタイム・ストーリー」を、時々、読み聞かせている。
   かなり、ストーリーにはばらつきがあるのだが、世界の民話や童話など、意表を突くような話があったり、結構面白い話があって、私自身脚色しながら読み聞かせているのだが、勿論、殆ど挿絵などはないので、多少、想像力を働かせるのに役立っているのではないかと思っている。
   この著者が説く「暗読み」については、良い話だとは思うのだが、娘たち父母の世界なので、立ち入るわけには行かない。

   ところで、国語力が、学力・知力の根本的な基礎であると言うのは、私自身が身に染みて感じていることなので良く分かる。
   長女が、サンパウロで小学校前半を送ったのだが、日本人小学校に行っていたにも拘らず、漢字や日本語の看板や標識があふれている日本と違って、取り巻く環境がすべてポルトガル語の世界であったから、「太陽がかんかん照り付ける」と言うかんかんと言う言葉が、(缶がカンカンと音がすると言うことしか知らずに)分からなかったので、心配になって、日本から、学年相当の全国学校図書館選定図書を全部取り寄せて読ませたことがある。
   これは、家庭教師をしていた経験からでも言えるのだが、国語力が十分につけば、他の学科の成績も一気に上がるのは、当然のことである。
   もう一つ、私自身、ペンシルベニア大学のウォートン・スクールのMBAなので、ネイティブでない分、英語の理解力に不足していた所為もあって、他のことでも結構苦労したので、これなど、言葉のハンディなのだが、いずれにしろ、著者の言う国語力の差は、大きいと思う。

   ところで、話が違うが、私の場合、最近、能鑑賞に、国立能楽堂などに通って居るのだが、詞章では、壮大かつ深淵な物語であったとしても、極限まで切り詰め昇華された能舞台では、殆ど動的な視覚的舞台には動きがなく、正に、想像力を駆使して物語を頭の中で再構築しなければならない。
   これが、中々出来なくて、苦労しているのは、私自身の読書経験などが、何処か歪んでいて、著者が言う「暗読み」で涵養すべき想像力と論理的思考力が欠如しているからではないかと思っている。
   比較的、理解の役に立っているのは、私自身、学生時代から、能の舞台である京都や奈良、あるいは、平家物語や源氏物語や詩歌管弦の舞台を歩き続けていたからかも知れないが、これは、国語力ではないのが気になっている。

   イギリスに居た時に、RSCなどのシェイクスピアの舞台鑑賞に随分通ったが、シェイクスピア戯曲は、観るのではなくて聴くのだと教えられた。
   確かに、あの「恋に落ちたシェイクスピア」の劇場と全く同じ青天井のグローブ座で、シェイクスピア戯曲を観れば、例えば、舞台は極めてシンプルだし、太陽がカンカン照りつけている劇場で、「ハムレット」の冒頭、父王の亡霊が、漆黒の闇の中、エルシノアの城壁に現れるシーンを観るのなどは、正に想像で、聴くであって、能の世界と同じである。

   文楽、人形劇も、浄瑠璃を聴きに行くと言うのが本当のようであるし、本来、舞台芸術と言うものは、言葉が先にあって、語りなり謡いが主体であって、それを、まず理解できることが、肝要だと言うことなのであろう。
   この「暗読み」のような経験をして、想像力と論理的思考力を涵養して国語力を高めておれば、もう少し、能やシェイクスピアや文楽を楽しめたのではないかと、この本を読んで、思っている。
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