
「温暖化はでたらめだ」と、アメリカの石油や製鉄、自動車、電力と言った分野の企業や業界団体が、地球機構連合や環境に関する情報協議会(CEI)を結成して、「温暖化を事実ではなく仮設と位置づける」ことや温暖化に対する研究への疑念を広めることに邁進してきた。
石油業界と太いパイプを持つブッシュ大統領が、石油・石炭業界の元ロビイストを気候関係の政策に携る重要ポストに据えることで、科学者が作成したデータを修正させたり公表を阻止してきており、ブッシュ政権下では、温暖化対策を強化しようと言う議員の試みは悉く頓挫してしまった。
業界では、エクソンモービルが、シンクタンクを使って学者を買収し、温暖化に反論している。J.D.ロックフェラー四世上院議員等も、「妖しげなデータを広めてきたCEI」などに1900万ドル資金提供していると非難した。エクソンモービルも、昨今の世論の動きや逆風に逆らえず、心を入れ替えて献金を減らし、次の大統領に冷遇されるのを恐れて防戦に努めている。
サブプライム世界経済危機特集の記事も色あせるくらい強烈な調子で、謂わばブッシュ産業複合体Bush-Industrial Complex(?)の地球環境保護運動ぶち壊し戦争を糾弾しているのが、ニューズウイークの9月5日号である。
アル・ゴアが、「不都合な真実」で、ブッシュが大統領選で国民に約束しておきながら悉く環境保護関係の公約を破棄し、京都議定書をも反故にしてしまったことを暴露しているが、私自身は、ブッシュのイラク戦争に関する誤り(これも許せない)よりも、この環境破壊活動に加担したブッシュの反人道主義的かつ反文明政策の方がはるかに罪が重いと思っている。
ニューズウイークの報道では、あのカタリーナ級の大ハリケーンが何本もアメリカを直撃し、アメリカ人にグローバルベースのエコシステムの破壊が、如何に人類の生命を危機に陥れているかを、実際の気候変動がダメッジを与えて教えない限り、アメリカ人の態度は変わらないと言う。
先日もこのブログで書いたが、中国やインドなどの新興開発国の人々がアメリカ人並の生活水準を維持し始めれば、瞬時に、エコシステムは破壊されて地球は崩壊してしまうのだが、その時期は急速に近付いてきている。
解決方法は、ただ一つ。エコシステム維持のための最大炭酸ガス排出量を算出して世界人口で割り、その数字を国の人口に掛け算して各国の排出量限度額を決めてそれを守らせることである。
現実には、先進国の排出量をこの段階にまで減らせる筈がないが、それを基準に国際協議を行うことで、文明国、先進国の既得権などあってはならず、もし、これまでその基準値よりはるかにオーバーして炭酸ガスを排出していたのなら、ペナルティとして一挙にその国の人々の生活水準を下げることである。
そうでなければ、中国やインドの人々の二酸化炭素排出量を規制することなど出来ない。不可能であれば、人類破滅への道を歩んで行く以外に選択肢はない。
核拡散の問題もそうだが、核保有国が、新しい国が核を保有しないように核拡散防止に躍起になっているが、現状ではこれはこれで必須の条件ではあるが、本来、核保有国だけが核を保有する権利があるなどと言うのはおかしい。
私は、フィラデルフィアで院生であった頃、アメリカの友人達に、日本に核爆弾を二発も投下した以上、アメリカ人には、世界規模での核管理能力なりその資格は一切ない、あると考えるなら、それはアメリカ人の傲慢であると言っていた。アメリカは、世界の警察であり国際秩序を守る義務と責任があるのだと反論して来たが、そのような強者の論理は許せなかった。
この記事の隣に、ロバート・サミュエルソンの経済コラム「メディアが陥る「悪者捜し」の愚」が掲載されていて、ニューズウイークの論調に対して「義憤と善悪二元論への単純化では地球温暖化は解決しないと反論している。
サミュエルソンの考えは、業界やブッシュ寄りで、押し寄せてくる現実の多くは食い止める技術がないのでアメリカが対処できない問題であり、異を唱えるのは自由社会の命の筈で、ことの重大さや解決に疑問をさしはさむ人物をバカか変人、業界の手先として扱うのはおかしいと主張する。
サミュエルソンは、解決策として、二酸化炭素を地中に埋める技術の開発、ハイブリッドカーの電池性能向上、ガソリン税の引き上げ、自動車の燃費規制、天然ガスの採掘増などを提言しているが、抜本的な改革は何も言えずに、アメリカがいくら削減しても、中国と他の国に相殺されてしまうと言う。悪いのは、中国やインドが豊かになって自動車が増えるからだと言わんばかりである。
地球温暖化の解決には、技術開発で、倫理問題と捉えるのはメディアの間違いだと言う。
地球環境問題に対しての、危機意識の欠如と言うか、西欧や日本の基準から言うと可なりの認識不足と言うか、そんな保守反動気味の学者であるサミュエルソンが、永い間ニューズウイークの経済コラムを書き続けていると言うこと自体が驚きだが、案外これが一般的なアメリカ人の考え方なのかも知れない。
何れにしろ、これもアメリカの胃袋の大きさを示しているのだと思えば面白いが、私にはサミュエルソンの論調は許せない。
石油業界と太いパイプを持つブッシュ大統領が、石油・石炭業界の元ロビイストを気候関係の政策に携る重要ポストに据えることで、科学者が作成したデータを修正させたり公表を阻止してきており、ブッシュ政権下では、温暖化対策を強化しようと言う議員の試みは悉く頓挫してしまった。
業界では、エクソンモービルが、シンクタンクを使って学者を買収し、温暖化に反論している。J.D.ロックフェラー四世上院議員等も、「妖しげなデータを広めてきたCEI」などに1900万ドル資金提供していると非難した。エクソンモービルも、昨今の世論の動きや逆風に逆らえず、心を入れ替えて献金を減らし、次の大統領に冷遇されるのを恐れて防戦に努めている。
サブプライム世界経済危機特集の記事も色あせるくらい強烈な調子で、謂わばブッシュ産業複合体Bush-Industrial Complex(?)の地球環境保護運動ぶち壊し戦争を糾弾しているのが、ニューズウイークの9月5日号である。
アル・ゴアが、「不都合な真実」で、ブッシュが大統領選で国民に約束しておきながら悉く環境保護関係の公約を破棄し、京都議定書をも反故にしてしまったことを暴露しているが、私自身は、ブッシュのイラク戦争に関する誤り(これも許せない)よりも、この環境破壊活動に加担したブッシュの反人道主義的かつ反文明政策の方がはるかに罪が重いと思っている。
ニューズウイークの報道では、あのカタリーナ級の大ハリケーンが何本もアメリカを直撃し、アメリカ人にグローバルベースのエコシステムの破壊が、如何に人類の生命を危機に陥れているかを、実際の気候変動がダメッジを与えて教えない限り、アメリカ人の態度は変わらないと言う。
先日もこのブログで書いたが、中国やインドなどの新興開発国の人々がアメリカ人並の生活水準を維持し始めれば、瞬時に、エコシステムは破壊されて地球は崩壊してしまうのだが、その時期は急速に近付いてきている。
解決方法は、ただ一つ。エコシステム維持のための最大炭酸ガス排出量を算出して世界人口で割り、その数字を国の人口に掛け算して各国の排出量限度額を決めてそれを守らせることである。
現実には、先進国の排出量をこの段階にまで減らせる筈がないが、それを基準に国際協議を行うことで、文明国、先進国の既得権などあってはならず、もし、これまでその基準値よりはるかにオーバーして炭酸ガスを排出していたのなら、ペナルティとして一挙にその国の人々の生活水準を下げることである。
そうでなければ、中国やインドの人々の二酸化炭素排出量を規制することなど出来ない。不可能であれば、人類破滅への道を歩んで行く以外に選択肢はない。
核拡散の問題もそうだが、核保有国が、新しい国が核を保有しないように核拡散防止に躍起になっているが、現状ではこれはこれで必須の条件ではあるが、本来、核保有国だけが核を保有する権利があるなどと言うのはおかしい。
私は、フィラデルフィアで院生であった頃、アメリカの友人達に、日本に核爆弾を二発も投下した以上、アメリカ人には、世界規模での核管理能力なりその資格は一切ない、あると考えるなら、それはアメリカ人の傲慢であると言っていた。アメリカは、世界の警察であり国際秩序を守る義務と責任があるのだと反論して来たが、そのような強者の論理は許せなかった。
この記事の隣に、ロバート・サミュエルソンの経済コラム「メディアが陥る「悪者捜し」の愚」が掲載されていて、ニューズウイークの論調に対して「義憤と善悪二元論への単純化では地球温暖化は解決しないと反論している。
サミュエルソンの考えは、業界やブッシュ寄りで、押し寄せてくる現実の多くは食い止める技術がないのでアメリカが対処できない問題であり、異を唱えるのは自由社会の命の筈で、ことの重大さや解決に疑問をさしはさむ人物をバカか変人、業界の手先として扱うのはおかしいと主張する。
サミュエルソンは、解決策として、二酸化炭素を地中に埋める技術の開発、ハイブリッドカーの電池性能向上、ガソリン税の引き上げ、自動車の燃費規制、天然ガスの採掘増などを提言しているが、抜本的な改革は何も言えずに、アメリカがいくら削減しても、中国と他の国に相殺されてしまうと言う。悪いのは、中国やインドが豊かになって自動車が増えるからだと言わんばかりである。
地球温暖化の解決には、技術開発で、倫理問題と捉えるのはメディアの間違いだと言う。
地球環境問題に対しての、危機意識の欠如と言うか、西欧や日本の基準から言うと可なりの認識不足と言うか、そんな保守反動気味の学者であるサミュエルソンが、永い間ニューズウイークの経済コラムを書き続けていると言うこと自体が驚きだが、案外これが一般的なアメリカ人の考え方なのかも知れない。
何れにしろ、これもアメリカの胃袋の大きさを示しているのだと思えば面白いが、私にはサミュエルソンの論調は許せない。










http://yutakarlson.blogspot.com/2007/08/blog-post_18.html
http://yutakarlson.blogspot.com/2007/08/mottainai.html
サミュエルソンの論調も気がかりですが、エコに関して私は最近危惧を感じます。
それは、日本国内でもエコを語る人の中に、一昔前の「進歩的文化人」調になってきている人が散見されるということです。
熟年の方ならご存知ですね?「一昔前の進歩的文化人」。何でも「少し左より」のことを言えば、インテリとか進歩的とみなされた。あの連中です。結果としては、左にならなくても、日本はつぶれもせず、大変なことにもならず、すみましたし、それこそ、社会主義・共産主義は滅亡しました。
エコに関しては、本気で取組まなければ、大変なことになってしまいます。
過去の進歩的文化人が責任を取らないですむのですが、エコを語る人達の責任はどうするのか?
エコは、語るよりも実行の時代だと思います。