熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

わたしの憩いのひと時

2016年07月21日 | 生活随想・趣味
   仕事から離れて、我が家で過ごすことが多くなった。
   しかし、結構、何かと忙しいのが不思議である。
   庭仕事をしたり、書斎でパソコンを叩いたり、テレビでニュース番組を追っかけたりオペラや能狂言のDVDを鑑賞したり、暇に飽かせて、読書三昧。
   セミナー受講や観劇などで、東京に出かけることもあるが、天気が良いと、バスに乗って、鎌倉の古社寺などを散策する。

   ところで、ほっと、一息つきたい時には、離れの和室に入って、コーヒーや紅茶をすすりながら、新聞や本を手に取る。
   かなり、庭が広いお陰で、濡縁や窓越しからの風景は、日頃からのガーデニングで、四季の花々や自然の装いを楽しめるように植栽に心がけているので、普通のガーデン・レストランやコーヒーハウスくらいには、雰囲気があると思っている。
   今は、返り咲きのばらやカノコユリが咲いている程度だが、室内に、絶えず、何かの花を切って花瓶に生けて楽しめるように心がけているので、色彩が消えることはない。
   それに、まだ、鎌倉山から下りてきた鶯が、朝早くから、綺麗な鳴き声を楽しませてくれており、小鳥や蝶なども庭に華を添えてくれる。

   この口絵写真のマグカップは、千葉県の真朱焼だが、ヨーロッパ時代にあっちこっちで集めたティーカップやコーヒーカップなど食器類も結構あるので、気分次第で器を変えている。
   日本でも旅をすると、備前や萩、有田と言った調子で陶器を求めるのだが、陶磁器に特に興味があるわけでもないので、カップや花瓶などが殆どである。

   尤も、若い頃は、家族の好みもあって、イタリアやドイツやスペインなどで、人形や動物、建物などのフィギャーやオーナメントを結構集めたのだが、これらも勿論、イギリスやウィーンやハンガリー、ドイツなどで得た陶磁器やガラス器なども、その多くは、先の3.11の大地震で、震度6弱と5強が3度連続して、飾り棚や食器棚から飛び出し、粉々になってしまった。
   結局、形あるもは滅びるので、形のある間に、愛しみ楽しむと言うことが大切だと言うことである。
   そう思って、カップを選びながら、懐かしい思い出を反芻している。

   コーヒーは、UCCのブルーマウンテン・ブレンドを使っていたが、生産不良で販売中止となってからは、ハワイコナ・ブレンドを使っており、特に味に不満がないので、これを続けている。
   紅茶は、イギリスに居た手前、凝って煎れていたが、最近では、手を抜いて、ダージリンのティーバッグにしている。

   私にとっては、この小休止とも言うべき、憩いのひと時が大切であり、これにも飽きると、庭に出て木々や花々と会話を楽しむ。
   花の息吹に感じ入るようになったのは、東京から千葉に移って、かなり広い庭があった所為もあるが、花が好きだった友人の影響と、オランダやイギリスに住んでから花に囲まれた生活を始めたことのお陰だと思っている。
   日々、表情を変えて迎えてくれる花木や草花を眺めていると、新しい発見があったり、生きとし生けるものの愛おしさが胸に迫って、無性に懐かしさを感じる。
   そんな時に、シャッターを切るのだが、何故か分からないが、わたしの憩いの時間は、これまでの色々な人生が、ミックスして出来上がっているのであろうと思うことがある。

   憩いのひと時、ほっとして、何となく、平安の大切さを感じて、これを書いてみた。
   
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