熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立能楽堂・・・観世流復曲能「綾鼓」

2017年01月30日 | 能・狂言
   昨年、横浜能楽堂で、復曲上演された観世流の能「綾鼓」が、国立能楽堂で、再演された。
   シテの浅見真州師ほか、アイ狂言師以外は能楽師も、囃子方も地謡方も、初演と全く同じ陣容での再演であった。

   この曲は、次のような、凄まじいストーリーである。
   越前の国木の丸の皇居に名池「桂の池」があって、御游の時に、庭掃きの老人(シテ/浅見真州)が、女御(ツレ/武田宗典)の姿を垣間見て恋に落ちる。女御は、不憫に思って、池の畔の桂の木に、綾で鼓を張った鼓を掛けて、この鼓の音が宮中まで聞こえれば姿を見せようと言う。
   廷臣(ワキ/福王茂十郎)から指示を受けて、庭掃きは、必死になって鼓を打ち続けるが、綾の鼓なので、鳴る筈もなく、わが身と女御を恨んで、入水して命を絶つ。
   死者の執念を恐れた廷臣の勧めで、池に近づいた女御は、波の打つ音に、「あら面白やの鼓の声や」と狂乱状態となる。
   そこへ、鬼の姿になって表れた老人の亡霊が、悪鬼となって、恨み辛みの限りを尽くして「鳴るものか、鼓を打て」と女御を責め苛み、地獄の責め苦に追い込んで、池の中に消えて行く。

   この能は、庭師が、女御に恋をして叶わぬ条件を強いられて憤死する、叶わぬ恋の物語である、何度か鑑賞している世阿弥の「恋重荷」と、非常に似た曲で、何とも言えない気持ちで鑑賞した。
   世阿弥が、能楽論「三道」に、「恋重荷、昔の綾の太鼓也」書いていることから、古作「綾の太鼓」をもとに、世阿弥が改作して「綾鼓」が作出され、「恋重荷」が完成したと言うことらしく、老人の恋をテーマにした曲は、この2曲しかないと言うから、似ているのも当然なのであろう。

   「恋重荷」の方は、老人に、綺麗な布に包まれた「重荷」を持ち上げて庭を何回も回れと言う実現不可能な難題を課して死に追いやる。
   もう一つの違いは、老人の亡霊が、同じように悪鬼となって現れて、女御を地獄の責め苦に苛むのだが、最後は、恨みを果たした後に、女御の涙に感動して、供養してくれるなら、守護神としていつまでも女御を守ると約束して消えて行く。
   これに反して、前作の「綾鼓」は、老人の亡霊は、最後まで、恨み辛みを心に残して女御を許さずにに、地獄に落ちて行く。
   この結末の落差の激しさは、どこから来るのであろうか。
   私の気になったのは、この一点であった。

   「文学金魚」によると、救いのない終わりに、世阿弥は納得できず、より縁起の良いような設定にしたかったのであろうと想像できる。叶わない恋だとしても、愛する女性を守る決心は世阿弥の思う男心であろう。
   一方、「綾鼓」については、怒りと恨みで暴れまわる鬼とそれに憑かれる高貴な女性の姿を見て、そのドラマを見て単純に面白いと思う室町初期の観客の好みが目に浮かぶ。と言う。
   そして、世阿弥時代の観世座では、一時期、この「綾鼓」と「恋重荷」が、同時に上演されていたと言うのである。

   果たして、そのような、同じような叶わぬ老人の恋の曲でありながら、一方は、成仏せずに地獄に落ちたままの阿鼻叫喚の地獄絵さながらの結末で終わり、一方は、成仏してハッピーエンドで終わる曲を、世阿弥がそう簡単に書き換えたとも思えないし、どちらが好きか、お客さんで観て楽しんでくださいと言うことになるとも思えない。
   どうしても、あまりにも大きすぎるこの落差をどう説明すればよいのか。
   気になっている。
   
   世阿弥の夢幻能は、神、鬼、亡霊など現実世界を超えた存在がシテとなって登場して、歴史や文学にゆかりのある土地を訪れた旅人(ワキ)の前に主人公(シテ)が化身の姿で現れて、本来の姿で登場して思い出や苦しみを語り、僧の祈りによって成仏して、舞を舞って終わると言うハッピーエンドが、殆どであろうから、「恋重荷」のストーリー展開は良く分かる。

   ところで、この「綾鼓」は、宝生流と金剛流では現行曲で、喜多流の「綾鼓」は、土岐善麿作の別曲なのだが、観世流では、江戸時代からは廃曲になっていたので、今回、復曲されたのである。
   舞の型や謡いが師匠から弟子へと伝承されていないので、シテの浅見真州師が、謡の節付けや所作の構成を担当して観世流としての復曲を果たしたと言うことである。
   今回の詞章と「能を読む」記載の宝生流の詞章と比べても殆ど変わらないのだが、そこは、演能については、流派の違いは大きいのであろう。
   私には、舞の素晴らしさについては、良く分からないが、後場の、ツレ/女御への、後シテ/老人の怨霊の凄さ凄まじさの迫力は、圧倒的であった。

   平安末期頃から、六道絵、地獄絵が描かれて、鎌倉時代の作品が多く残っているのだが、室町時代も、その尾を引いており、この綾鼓の舞台のような宗教色の強い世界が庶民生活に息づいていたのであろう。
   世阿弥一世紀後に、応仁の乱で、京の都が、廃墟のようになってしまう。
   逆な意味で、世阿弥の夢幻能の成仏への希求志向が、分かるような気がしている。
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