熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

初春の上海・江南紀行(11)上海:外灘と浦東への展望

2017年02月04日 | 初春の上海・江南紀行
   上海を最初に訪れたのは、30年以上も前になるのだが、その時、貧しい中国ながら、真っ先に感じたのは、The Bandと称される外灘の威容であった。
   黄浦江の河岸線に一直線に並んだ古色蒼然とした立派なビル群で、殆ど1920~30年代に建設されたと言うから、戦前の上海が、アジアの中心都市として、如何に、隆盛を誇っていたかを、如実に物語っていて、一種の驚きを覚えたのである。
  この外灘は、元英国の居留地で、ロンドンに居た時、親しかったイギリスの建設会社の社長が、あのビル群を自分たちの会社で建てたんだと語っていたのを思い出した。

   今回は、外灘の海岸線の遊歩道を歩き、夜のナイトクルーズで、運河上から、外灘の夕景を眺めただけなので、実際の現状は分からないが、10年程前に来た時には、この外灘のビルの最上階の高級レストランで会食して、運河越しに、電光に照り映える対岸の裏東の新築高層ビル群の夜景を楽しんだ。
   最近では、南側には、新しい近代的なビルが建っているのだが、古い重厚なビルは、そのまま、内部を改装して保存され、上海市の公共機関や金融機関などが、オフィスを構えているようである。
   私など、丸いドームのある旧香港上海銀行ビル(上海浦東発展銀行)や時計台のある江海関(上海海関)が、一番印象に残っているのだが、夫々、由緒のある建物のようである。
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   


   外灘から、黄浦江を隔てて、近代的な高層ビル群のパノラマを展開しているのが、黄浦江と長江河口部に挟まれた浦東地域で、開発以前は川沙県の原野が広がる地であったと言う。
   上海のランドマーク「東方明珠塔(上海テレビタワー)」、それに、世界第2位を誇る上海タワー(632m、121階)上海環球金融中心(492m、100階)、金茂大厦」などの高層ビルが建ち並ぶ威容で、上海の経済発展を象徴するエリアである。
   瓶抜きのような形をしたビル上海環球金融中心(上海ワールド・フィナンシャル・センター)は、森ビルだと言う。
   浦東の開発が始まったのは、1990年代に入ってからなので、私が30年前に来た時には、影も形もなかったはずである。
   しかし、10年前に上海を訪れた時には、金茂大厦ビルが最高峰で、テレビ塔が印象的であったが、実際に、浦東に渡って新市街や新しい開発地を1日中歩いたが、大変な発展ぶりとその威容に感銘を受けた。
   ただ、今回、対岸に、ビル建設のタワークレーンが立っているのは、1棟しか見えなかったので、発展のスピードが、鈍化したのかも知れない。
   
   
   
   
  
   ナイトクルーズは、天候に恵まれて、かなり、クリアに夜景を見ることができて、興味深かった。
   写真を撮るために、3階のデッキに出て、辛抱していたが、東京の気候とよく似ていて、それ程、寒さを感じなかった。
   
   
   
   
   
   
   
   

   さて、ここで考えたいのは、都市景観を見ての経済的な国際比較だが、まず、2年前に訪れたモスクワについて、開発中のモスクワ・シティについて書いた。
   このプロジェクトは、古色蒼然たるこの大都市で、モスクワで見た新都市域開発が行われていた唯一の地区であった。
   1992年モスクワ市政府によって、ロシア及び東欧において最初の大規模商業・業務・住宅・娯楽コンプレックスの建設が目標で、「都市の中に都市を作る」ということで計画されて、現在も進行中だが、ロシア経済の悪化で中断状態である。
   
   一方、ニューヨークだが、ケネディ空港から、車で入れば、一目瞭然だが、都市景観は、正に、20世紀、それも、かなり前の都市景観で、新しいビルが散見できても、既に、過去の街と言う感じがする。
   トランプが声高く唱えているように、アメリカファーストであって、もう、外に脇目を振っている状態ではないことが良く分かる。

   文化文明の発展成長には、特に、経済面においては、勢いと言うもの、進行するベクトルが力強く前に向いているかどうかが、最も重要である。
   上海のこの20~30年くらいの成長発展を見れば、もう、既に、勝負がついているのではなかろうか。

(追記)ウィキペディアから、外灘の風景(1928年)写真を借用する。
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