熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ウクライナ問題を再考する

2016年06月06日 | 政治・経済・社会
   先日、「プーチンとG8の終焉」で、ウクライナ問題について触れた。
   今日、舟橋洋一の「21世紀 地政学入門」を読んでいて、多少、ニュアンスの異なった印象を持ったので、もう一度考えてみたいと思う。

   先に、ロシアにとって、ウクライナは、欧米への緩衝地帯として、重要な存在であると論じて、
   ”NATOへの加盟には近隣諸国との領土紛争を抱えていないことが条件なので、現在のように、ロシアへの編入を求める親ロシア派をなだめてウクライナの国内にとどめ、この地帯を通じてウクライナ中央政府の内政外交に影響力を行使するとともに、紛争の火種を残しておいてウクライナのNATO加盟を阻止するとするのがロシアにとって得策である。
   プーチンが、メルケルやオランドを説得して勝ち得た「ミンスク2」を継続するのが、ロシアの「国防第一」路線には、好都合なので、ウクライナ紛争の終結など、期待しても無理だと言うことであろうか。”と書いた。

   これに対して、船橋は、
   ”欧州にとっては、ホンネのベスト・シナリオは、ウクライナがEUとロシアの緩衝国家となること。クリミア併合後のロシアはそのシナリオには最早満足しないだろう。
   プーチンは、ウクライナを緩衝国家ではなく破綻国家にしようとするだろう。東ウクライナの騒擾や分断をそそのかし、この国を国家的廃人にして、見せしめとする。ウクライナがクリミアを経済封鎖すればロシアは待ってましたとこれらを仕掛けるであろう。そして、ウクライナに支援する欧米にコストを莫大にし、ウクライナを見捨てさせる。”と言っている。
   
   船橋によると、第二次世界大戦中、ロシア憎悪のあまりナチスと手を結んだような見境もない民族主義情念へのの警告として、父ブッシュ大統領が、ウクライナ独立時に、キエフで、「自殺的民族主義」に陥らないよう住民を促したと言う。
   親西欧の仮面の下に渦巻く激烈な民族主義情念が国家を分断し、ロシアのマフィアさえ手を付けないほど、政治もビジネスも腐敗していて、今や、国民一人当たりのGDPは、1991年独立時の半分に過ぎない。
   ウクライナは、昔から、世界の穀倉地帯と呼ばれるほど地味豊かで農業に恵まれ、また、鉄鉱石や石炭など天然資源に恵まれ、東部地方は、鉄鋼業を中心として重化学工業が盛んで、ソ連の産業の中心として重きをなした最も豊かな国であった筈なのだが、何故、これ程までに、歴史から見放されてしまったのか。
   
   ウクライナは、誇り高きコサックの故郷。
   このウクライナは、リトアニア大公国、ポーランド王国、モスクワ大公国等様々な周辺国によって支配されてきたために、コサックは、独立を求めて反旗を翻して戦ってきたと言うのだが、エルミタージュ博物館で見たステンカ・ラージンの絵を見ると、何となく、民族の歴史なり悲哀を感じて、襟を正したのを覚えている。
   
   

   私自身は、前述の船橋のウクライナ論が、蓋然性の高いシナリオだとは思っていない。
   ロシアのグルジア侵攻は、ウクライナへの警告であったと言うけれど、ウクライナのスケールなり西欧への歴史的文化的民族的な近さなどは、グルジアの比ではなく、欧米の経済封鎖や国内経済の悪化などによって、ロシア自身に、ウクライナを、そこまで追い詰める能力がない。
   鉄のカーテン内にあったポーランドや、ソ連に属していたバルト三国など、ロシアに対して激しい強硬論を追及する元友邦に囲まれて、アメリカが戦略的拠点をどんどん配置してロシア包囲網を狭め続けている以上、ロシアが、暴走するとも思えない。

   先日、キッシンジャーのウクライナに関してのロシアに対する欧米の対応にも問題があると言う見解に触れたが、
   1991年のウクライナ独立当時、ロシア人には、ウクライナだけは失うわけに行かないと言う思いが強烈であったから、生木を裂かれたような喪失感を感じさせたと言う程であるから、そのウクライナが、EUのみならず、NATOに加盟するなど考えられないことなのであろう。   
   緩衝地帯として貴重な存在であるウクライナ問題に対しては、欧米としては、弱体化したロシアを囲い込んで追い詰めるのではなく、十分にロシアとの対話を重ねながら、対応すべきなのであろうと思う。

   2年前に、このブログでも紀行文を綴ったのだが、実際に、ザンクトペテルブルグとモスクワを訪れて、ロシアの大地に足を下ろして、街を実際に歩いて、ロシアの空気を吸うと、私自身のロシア観が、大分、実際的になったと言うか、変わった。
   先日も、WOWOWでマリインスキー劇場のバレエ「眠りの森の美女」(ワレリー・ゲルギエフ指揮)を観ていて、あの素晴らしい劇場の雰囲気を思い出しながら、凄い文化と歴史の重みを感じていた。
   中国論についてもそうだが、我々は、知らずのうちに、アメリカ経由の情報知識に影響されて、ロシア観を作り上げてしまっているのだが、注意しなければならないと思っている。
コメント
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