花がいっぱい。

どんな花も無心に
咲いているから素敵なんだって。
無心になんかなれないよ。
どれもこれも気になっちゃってるんです

ジキルとハイド 2

2005年12月28日 | ミュージカル
27日2度目「ジキルとハイド」観劇
しかし、どこかぼ~んやり見たところがある。
「尾上松助」ショックといったところ。
まったく、身内でもないのに・・・・
こんな気分は3度目。
1度目は、宝塚雪組の「世れんか」の訃報
2度目は、手塚治虫の訃報
そして今度が3度目。それなりに私の中で大きな存在。

でもね。直接じゃないんだしと、
気持ち切り替えて、「ジキルとハイド」をみていて
ルーシーが、源氏物語宇治十帖の「浮舟」の存在と似てるのか?と
心では、(精神上では、)ジキルが好き!浮舟の場合は、薫が好き。
しかし、身体の欲情は、凶暴なハイドを受け入れてしまう。浮舟も匂宮に求められるまま。ってそんな関係かア・・・って。
それで思ったのが、ルーシーは、本当は清楚な女の子ってことかあ。
でもそこをマルシアの場合、作りすぎてしまい、見えなくなってしまったのかもと。

でもなんで、ハイドは最後の最後まで、ジキルの大切にしているエマに手が出なかったんだ? 
エマは、美しく、やさしい、可憐さがあるが、本当は、真が強く、知的女性であり、性的対象にはなり得なかったからか?
ルーシーの場合、ハイドの強引さを女性として受け入れてしまうが、エマの場合、けして受け入れることなく万が一の場合、死を選ぶような女性とわかっていたからなのか??

最初は、なんとなく、エマとルーシーは、ウエストサイドストーリーの、マリアとアニタのような女性と見てて、焦点がぼけてしまったような気がするけど・・今回は、源氏物語、紫の上のような描き方をされたエマと浮舟のようなルーシーってみたらどうかな?と。

そして今回、鹿賀さんと浜畑さんをみていて、
山口さんと市村さんがダブって見えた。
やがては、この二人でいかがなものだろうか??なんて。

浜畑さんのお父さんが、ちょうど市村さんが演じるおとうさんに似ているような気がして・・・
そして、鹿賀さんのジキルとハイドを山口さんに・・ではない。
実は、鹿賀さんが、トートやったらどうなんだろう?って。
違うようで、なんだか本当に死神になりそうな気がして・・・
でも、細かなところだが、鹿賀さんのあの細い黒い?眉はもう少し淡い茶系でぼかしてほしかった気がするなあ。

今日は、なんだか変な見方をしてしまったかもしれない。

すいません。

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