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【講談社学芸局 G2編集部】
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美智子皇后へ 石牟礼道子からの“手紙”①
http://g2.kodansha.co.jp/30372/30373/30374/30375.html
かつて、昭和天皇は二度にわたり水俣を訪れている。
日窒(現・チッソ)水俣工場視察のためだ。
だが、1956年の水俣病公式確認以降、水俣と天皇家は複雑な関係に陥った。
雅子妃の成婚をめぐって問題とされた「祖父がチッソ社長だった」事実も、
事態を複雑にした。2013年10月、天皇・皇后が水俣を初めて訪れた。
訪問の陰には、ある作家の存在があった。
渡辺京二氏は、九州の熊本に暮らす。幕末から明治初期にかかる日本民衆の、いまの時代から考えたら麗しくも伸びやかな生活の諸相を、初渡来の欧米人たちが書き残していった豊富な文献から読み解き、絶妙の構成によって細密に描き出した『逝きし世の面影』で広く知られる。
二〇一〇年二月にはじめてお会いして以来、こんにちまでたびたび私はお宅を訪ね、そこから一緒に車で一〇分ほどの石牟礼道子さんの居室を訪ねたりもして、教えを乞うてきた。
「その先生というのは、やめてくれないかね。どうも背中がむずむずして、落ち着かないんだ。ぼくはね、埴谷雄高にも、谷川雁にも、吉本隆明にも、先生なんて言ったことはないよ」
と、先生は、むかし東京で日本読書新聞の編集者をしていたときの経験を引き合いに出して、おっしゃる。
「いいえ、言わせてください」
「なぜ?」
「自分のためにそうさせてください。この齢までものを書いてくると、まわりから持ち上げられて、いい気になって、増長しそうでいけません」
「そうか……。そういうことなら、まあ、小学校の先生ぐらいにしといてやるか」
と、いうことで、先生と呼ぶことを許されたのである。
初対面のとき、先生は七九歳であった。ちょうど洋泉社から、北方の蝦夷地を舞台にくりひろげられたロシア、アイヌ、日本による三つ巴の歴史物語『黒船前夜』を上梓したばかりで、同書はその年の大佛次郎賞を受賞した。
渡辺京二と石牟礼道子
二〇一三年一〇月下旬、ある思いにかられて東京から私は電話をした。
「一一月四日にお訪ねしてもよろしいでしょうか。ご都合はいかがでしょう」
「一一月四日というと……(と、カレンダーかなにかを見ているようす)、来週の月曜日ですね」
午前四時まで仕事をし、午前一〇時から一一時のあいだに起床する。それから石牟礼道子さんの居室に出かける午後四時ごろまで、本を読み、勉強をする。したがって、こちらから電話をするのは、午後二時から三時が望ましい。それまでひたすら黙って本を読んでいるので、聞こえてくる声はややしわがれて、細くなっている。
「振替休日なんですが、いかがですか」
「けっこうですよ。どうぞいらっしゃい。で、その日はどういう予定?」
「熊本に一泊します」
「じゃあ、晩飯を一緒に食えるね。あ、それでね、あなたには話してなかったな、石牟礼さんが入院してるんだよ」
「えっ」
と、私は驚きの声を発した。
「いやいや、ちょっと体の動きがわるくなってきたものでね、リハビリ病院に九月一〇日から入院してるんです。あなたとはたしか、八月に会ったはずだよね。あのあと、しばらくして入院したんです。頭はしっかりしとるから、心配はいりませんよ。あなた、石牟礼さんにも会いたいでしょう」
「ええ、会いたいです」
「じゃあ、四日はどっちで会う?」
「先生のお宅に午後三時にうかがいます」
「じゃあ午後三時にうちに来て、一時間ぐらい話をして、それから石牟礼さんのところに行きましょう。石牟礼さんの夕食が六時だから、われわれは少しまえに病院を出て飯を食いに行こう」
石牟礼さんは、パーキンソン病を患う。
先祖代々、不知火海沿岸の水俣に暮らしてきた、宇宙とも交歓しあうような人びとの豊かな生活誌と、水俣病によってその生の歓喜を剥奪された人びとの悲嘆と加害企業チッソにたいするたたかいの姿を描いた石牟礼さんの『苦海浄土』は、たんなる文学作品の領域をこえて、神話世界に躍り込むような昂奮を私にもたらした。
病室での怒鳴り声
八月に会いに行ったときには、いつものビルの四階の居室にいて、介護士に体を拭いてもらっているところだった。しばらく玄関ドアのまえで待ち、呼び込まれてはいってみると、きれいに化粧をし、口紅をひいた童女のような石牟礼さんが、立つことをおぼえたばかりの赤児のように、テーブルに手をおいて立っていた
若い女性の介護士は、ほどなく帰って行き、三〇分ばかり話をしているところへ先生があらわれた。部屋を見渡して、いなければならないはずの親族の姿がないのに気づき、
「どこへ行った」
と、椅子に座ろうともせずに尋ねる。
「水俣に行ってくると言いまして……」
叱られた生徒みたいな石牟礼さんの震え声。
「なんで水俣に行った。今日は帰って来るの?」
「はい、帰って来ると言いまして」
「今日は四時に高山さんが来るから、四時半にはここにいるように言っておいたじゃないか。それで僕は四時半に来たんだよ。私と高山さんは五時半には飯を食いにここを出なきゃならんのに、あなたが一人ぼっちになってしまうじゃないか」
石牟礼さんは、こたえられない。
電話でその人を怒鳴りつける先生の手が、ぶるぶると震えていた。
「なに、五時半に熊本駅に着く? あなた、なんば考えとっとか。石牟礼さんをほったらかしにして、どぎゃんすっとか。もうよか、帰って来んで!」
最後は大声を張りあげて電話を切ると、紅潮した顔を石牟礼さんに向けて、
「いいですか、石牟礼さん、これからは私と米満さんのふたりを家族と思いなさい。ほかは考えんでよか」
と、秘書役もつとめる介護士の米満公美子さんの名前を出して言う。
「はい、そういたします」
しおらしげにこたえたあとで、先生が夕食の支度をしにキッチンに消えると、
「はじめてです、こんなに怒ったのは」
と、私のほうに少しだけ顔をつき出して、三日月のかたちに唇を左右にひろげ、美しい笑みをひろげる。
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中沢新一 海洋アースダイバー 第一部 対馬編「カラでもヤマトでもなく、倭」(一部)
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高山文彦「美智子皇后へ 石牟礼道子からの“手紙”」 第1回
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古市憲寿「2014年 宇宙の旅」 第1回
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美智子皇后へ 石牟礼道子からの“手紙”①
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日窒(現・チッソ)水俣工場視察のためだ。
だが、1956年の水俣病公式確認以降、水俣と天皇家は複雑な関係に陥った。
雅子妃の成婚をめぐって問題とされた「祖父がチッソ社長だった」事実も、
事態を複雑にした。2013年10月、天皇・皇后が水俣を初めて訪れた。
訪問の陰には、ある作家の存在があった。
渡辺京二氏は、九州の熊本に暮らす。幕末から明治初期にかかる日本民衆の、いまの時代から考えたら麗しくも伸びやかな生活の諸相を、初渡来の欧米人たちが書き残していった豊富な文献から読み解き、絶妙の構成によって細密に描き出した『逝きし世の面影』で広く知られる。
二〇一〇年二月にはじめてお会いして以来、こんにちまでたびたび私はお宅を訪ね、そこから一緒に車で一〇分ほどの石牟礼道子さんの居室を訪ねたりもして、教えを乞うてきた。
「その先生というのは、やめてくれないかね。どうも背中がむずむずして、落ち着かないんだ。ぼくはね、埴谷雄高にも、谷川雁にも、吉本隆明にも、先生なんて言ったことはないよ」
と、先生は、むかし東京で日本読書新聞の編集者をしていたときの経験を引き合いに出して、おっしゃる。
「いいえ、言わせてください」
「なぜ?」
「自分のためにそうさせてください。この齢までものを書いてくると、まわりから持ち上げられて、いい気になって、増長しそうでいけません」
「そうか……。そういうことなら、まあ、小学校の先生ぐらいにしといてやるか」
と、いうことで、先生と呼ぶことを許されたのである。
初対面のとき、先生は七九歳であった。ちょうど洋泉社から、北方の蝦夷地を舞台にくりひろげられたロシア、アイヌ、日本による三つ巴の歴史物語『黒船前夜』を上梓したばかりで、同書はその年の大佛次郎賞を受賞した。
渡辺京二と石牟礼道子
二〇一三年一〇月下旬、ある思いにかられて東京から私は電話をした。
「一一月四日にお訪ねしてもよろしいでしょうか。ご都合はいかがでしょう」
「一一月四日というと……(と、カレンダーかなにかを見ているようす)、来週の月曜日ですね」
午前四時まで仕事をし、午前一〇時から一一時のあいだに起床する。それから石牟礼道子さんの居室に出かける午後四時ごろまで、本を読み、勉強をする。したがって、こちらから電話をするのは、午後二時から三時が望ましい。それまでひたすら黙って本を読んでいるので、聞こえてくる声はややしわがれて、細くなっている。
「振替休日なんですが、いかがですか」
「けっこうですよ。どうぞいらっしゃい。で、その日はどういう予定?」
「熊本に一泊します」
「じゃあ、晩飯を一緒に食えるね。あ、それでね、あなたには話してなかったな、石牟礼さんが入院してるんだよ」
「えっ」
と、私は驚きの声を発した。
「いやいや、ちょっと体の動きがわるくなってきたものでね、リハビリ病院に九月一〇日から入院してるんです。あなたとはたしか、八月に会ったはずだよね。あのあと、しばらくして入院したんです。頭はしっかりしとるから、心配はいりませんよ。あなた、石牟礼さんにも会いたいでしょう」
「ええ、会いたいです」
「じゃあ、四日はどっちで会う?」
「先生のお宅に午後三時にうかがいます」
「じゃあ午後三時にうちに来て、一時間ぐらい話をして、それから石牟礼さんのところに行きましょう。石牟礼さんの夕食が六時だから、われわれは少しまえに病院を出て飯を食いに行こう」
石牟礼さんは、パーキンソン病を患う。
先祖代々、不知火海沿岸の水俣に暮らしてきた、宇宙とも交歓しあうような人びとの豊かな生活誌と、水俣病によってその生の歓喜を剥奪された人びとの悲嘆と加害企業チッソにたいするたたかいの姿を描いた石牟礼さんの『苦海浄土』は、たんなる文学作品の領域をこえて、神話世界に躍り込むような昂奮を私にもたらした。
病室での怒鳴り声
八月に会いに行ったときには、いつものビルの四階の居室にいて、介護士に体を拭いてもらっているところだった。しばらく玄関ドアのまえで待ち、呼び込まれてはいってみると、きれいに化粧をし、口紅をひいた童女のような石牟礼さんが、立つことをおぼえたばかりの赤児のように、テーブルに手をおいて立っていた
若い女性の介護士は、ほどなく帰って行き、三〇分ばかり話をしているところへ先生があらわれた。部屋を見渡して、いなければならないはずの親族の姿がないのに気づき、
「どこへ行った」
と、椅子に座ろうともせずに尋ねる。
「水俣に行ってくると言いまして……」
叱られた生徒みたいな石牟礼さんの震え声。
「なんで水俣に行った。今日は帰って来るの?」
「はい、帰って来ると言いまして」
「今日は四時に高山さんが来るから、四時半にはここにいるように言っておいたじゃないか。それで僕は四時半に来たんだよ。私と高山さんは五時半には飯を食いにここを出なきゃならんのに、あなたが一人ぼっちになってしまうじゃないか」
石牟礼さんは、こたえられない。
電話でその人を怒鳴りつける先生の手が、ぶるぶると震えていた。
「なに、五時半に熊本駅に着く? あなた、なんば考えとっとか。石牟礼さんをほったらかしにして、どぎゃんすっとか。もうよか、帰って来んで!」
最後は大声を張りあげて電話を切ると、紅潮した顔を石牟礼さんに向けて、
「いいですか、石牟礼さん、これからは私と米満さんのふたりを家族と思いなさい。ほかは考えんでよか」
と、秘書役もつとめる介護士の米満公美子さんの名前を出して言う。
「はい、そういたします」
しおらしげにこたえたあとで、先生が夕食の支度をしにキッチンに消えると、
「はじめてです、こんなに怒ったのは」
と、私のほうに少しだけ顔をつき出して、三日月のかたちに唇を左右にひろげ、美しい笑みをひろげる。
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中沢新一 海洋アースダイバー 第一部 対馬編「カラでもヤマトでもなく、倭」(一部)
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高山文彦「美智子皇后へ 石牟礼道子からの“手紙”」 第1回
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安田浩一×山野車輪 対談「嫌韓とヘイトスピーチ」 第1回
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古市憲寿「2014年 宇宙の旅」 第1回
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大間マグロの正体 第1回
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誰が「橋下徹」を作ったのか 第1回
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誘蛾灯 鳥取連続不審死事件「番外編」 第1回
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