政争は国境を超えて レバノン:揺れるモザイク社会 第42回/安武塔馬 :ジャーナリスト、レバノン在住

2006-10-17 23:56:18 | 世界
今後、レバノン政局は内閣改造をめぐり、さらにはハリーリ暗殺事件の国際法廷設
置、そして2007年夏の大統領選挙に向けて、加熱する。シリアとレバノン両国をまたぐ政争に、イスラエルや米国、フランス、イランなどの利害や思惑が絡まり、問題はどんどんと複雑になっていくだろう。その中で、アウンの動きが台風の目になるのは間違いなさそうだ。

                            2006年10月17日発行
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JMM [Japan Mail Media]                  No.397 Extra-Edition
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                        http://ryumurakami.jmm.co.jp/
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■  『レバノン:揺れるモザイク社会』 第42回
   「政争は国境を超えて」


 ■ 安武塔馬 :ジャーナリスト、レバノン在住


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■ 『レバノン:揺れるモザイク社会』                第42回
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「政争は国境を超えて」

○  変貌するシリア


 数日前から家族連れでシリアに来ている。第五次レバノン戦争のせいで一時封鎖さ
れていたベイルートの研究機関がようやく再開される目処が立った。再開すると土・
日を除き毎日出勤するから、なかなか外国旅行に行く機会は無くなる。それで今のう
ちに出かけることにしたのである。

 シリアを行き先に選んだ理由は何と言ってもレバノンから近くて交通費が安いから。
交通費だけではない。ここ数年でかなり高騰したとは言え、それでもイスラエルを除
き中東でも一番物価が高いレバノンと比べれば、タクシー料金、宿泊費、レストラン
での食費などは感動的に安い。

 私が留学していた1991年ごろ、物価はべらぼうに安いが、そのかわり生活の隅
から隅までにアラブ様式(シリア様式?)が徹底していて、不便を感じることも多か
った。例えば珈琲を飲みたいと思っても、濃厚なアラブ・コーヒーしか選択がない。
アラブ料理以外の食事はよっぽどの高級ホテルでしかとれなかった。料理は概して美
味しく、リーズナブルなのだが、どこのレストランもお世辞にも清潔とは言えない。
特にトイレがひどかった。洋式便器も普及しておらず、トイレット・ペーパーも無い
から、左手と水で処理するしかない。新聞と言えば毎日トップにアサド大統領の顔が
来るバアス党系の三紙だけで、まるで金太郎飴。衛星放送もインターネットもない時
代だ。経済鎖国、情報鎖国という表現がぴったりで、世界から孤絶しているような感
覚がいつも拭えなかった。

 2000年にハーフェズ・アサド大統領が死去して息子のバッシャールが跡をつぐ
と、次第にシリアは変わり始めた。新聞はアラビア語紙に加え英字紙や仏語紙もスタ
ンドで簡単に手に入るようになった。アラビア語紙の中でも、レバノン各紙やサウジ
系のアル・ハヤー紙も、当日版がレバノンよりもずっと安く売っている。おしゃれで
センスが良く、清潔そのもののレストランやカフェも、ダマスカスの街のいたるとこ
ろにある。アラブ料理、イタリアン、お菓子、どれもこれもレベルが高い。その割に
は家族4人でおなかいっぱい食べても滅多に10ドルにもならない。レバノンの約4
分の1か5分の1程度だ。

○  ポンプ役のレバノン

 シリアはかつて厳格な統制経済をとっていた。非効率な官僚機構は肥大化し、膨大
な軍事支出にあえぐ国民経済を圧迫した。動脈硬化を起こしていたシリア経済の心肺
機能を停止させないためにも、レバノンは不可欠な存在だった。シリアと、建国以来
一貫して自由主義経済体制をとってきた隣国レバノンの関係は、かつての共産中国と
香港の関係に比較出来るかもしれない。内戦中でさえ、飽くなきダイナミズムで欧米
の消費財やサービスを導入し続けたレバノンは、経済鎖国状態にあったシリア経済に
とって貴重な西側世界への窓口だった。またターイフ合意以降に猛然と復興を進める
レバノンは、最盛期で100万人…レバノン人口の4分の1にあたる…のシリア人労
働者に職場を提供した。シリア経済にとって、レバノン経済は心臓の役割を果たして
きたと言える。そして圧倒的な政治力と資金力で、エネルギッシュにその心臓を揉
み、血液を送り続けたのが、レバノン復興事業を推進したゼネコン宰相、故ハリーリ
首相であった。

 2005年4月のシリア軍のレバノン撤退によって両国間の関係は薄れたかと思え
ば、決してそんなことはない、と今回の旅で実感させられた。

 ベイルートとダマスカスを結ぶ「ダマスカス街道」上の検問所で、日本国籍の私と
息子、娘の三人は、まずレバノン出国カードに記入し、パスポートに出国印を押して
もらうのに手こずった(ちなみに、レバノンは父系主義で母親がレバノン人であって
も国籍はくれない)。次にシリア側でも、1歳半の娘も含め、3人全員が25ドルず
つ払って入国ビザを購入し、入国印を押してもらうのにかなり待たされた。しかしレ
バノン・パスポートの妻に対しては、どちら側でもポン、ポン、とリズミカルに判子
を押してくれて、それで終わり。一銭もかからない。余談ながらレバノン旅券はよほ
ど世界中から忌避されているらしく、妻と一緒に外国旅行をしていて旅券のせいで良
い目にあったことはない。日本への乗り継ぎで経由したイスタンブールでは、11時
間の乗り継ぎ時間を過ごすため空港の外のホテルを予約してあったが、妻がビザを持
っていないためどうしても「入国」させてくれなかった…ホテルはほんの数十メート
ル先に見えていたのに、である。

 フランクフルト空港では空港内のウイングからウイングに移動する時でさえ、「レ
バノン旅券はビザが無ければ通せない」と言われて、大阪に着いてからわざわざドイ
ツ領事館まで通貨査証を取得しに行った。いずれも日本旅券の私は何の問題もなく通
過出来たケースである。

 ともかく、レバノン旅券がこんなに歓迎されるのは、世界でもシリアくらいであろ
う。もっともシリアはレバノンとの間に大使館も交換せず、本音ではレバノンを独立
国家として認知していないのだとすれば当然なのかもしれないが。

 ダマスカスにはレバノンを代表する有力金融機関のアウディ銀行や、ビブロス銀
行、同じくレバノンの誇る世界的なチョコレート・メーカー「パチ」などが支店を開
いた。ヒズボッラー人気は相変わらずで、街のいたるところでヒズボッラーの党旗と
ナスラッラー議長の肖像にお目にかかる。その上、レバノンの新聞もテレビ放送も見
ることが出来るとあっては、あまり外国に来たという実感が湧かない。

○  アウンのコメント

 さて、1990年10月13日は、シリアのレバノン支配に最後まで抵抗を続ける
アウン将軍派がシリア軍の総攻撃を受け、バアブダ大統領府が陥落した記念日である。
アウン派(FPM)はこの行事を記念して今年も15日に大集会の開催を予定してい
た。とは言え、内閣改造要求を強めるアウンの目下の政敵は、シリアではなくハリー
リ派やジュンブラート派などの反シリア連合である。「敵の敵は味方」の論理で、ヒ
ズボッラーとの同盟関係を強化させるアウンにキリスト教徒が幻滅、支持が激減し
た、という風評が広がる中、アウンがどれだけの規模の集会を開催出来るかが注目を
集めていた。

 生憎15日は大雨で、大集会は延期になった。しかし、前日の14日にアウンはサ
フィール紙のインタビューで、「自称『反シリア連合』の実態は、権力闘争に敗れた
シリア人に過ぎぬ」と、徹底的な反シリア連合批判を展開している。

 ハリーリ前首相やジュンブラートPSP党首は、シリアによるレバノン支配を取り
仕切ってきたハッダーム副大統領や、カナアーン駐留シリア軍情報局長官(当時。後
に内相となるが、2005年10月に執務室で不可解な死を遂げている。シリア当局
は自殺と発表したが、クーデター計画が発覚して殺害されたとする見方もある)の盟
友だった。

 ハッダーム前副大統領は、1970年にハーフェズ・アサドが政権を掌握した時か
らアサドの右腕として活躍した政治家だ。1976年にシリア軍がレバノン内戦への
介入を決定した時にも中心的な役割を担った。それ以降、カナアーンとコンビを組ん
で、一貫してシリアの対レバノン政策を仕切ってきた。前述したように、レバノンは
シリア経済にとって極めて重要な位置を占めていたから、ハッダームやカナアーンも
様々な利権を握って巨万の富を築いた。その事業のパートナーだったのが、他ならぬ
ハリーリでありジュンブラートだった。

 ハーフェズ・アサドの健康が悪化し、後継者としてバッシャール・アサドが台頭し
た1998年、バッシャールはハッダームからレバノン政策担当の地位を奪う。これ
以降、シリア国内ではバッシャール・アサド、シャラア外相(現副大統領)、ショウ
カト軍情報局長官(バッシャールの義兄)ら、「改革派」と、ハッダームやカナアー
ンに代表される「守旧派」が対立を深める。

 ハッダームの背後には絶大な資金力を持つレバノンのハリーリが居た。バッシャー

ル・アサドがハリーリの政敵、エミール・ラフードをレバノン大統領の座に据えて、
さんざんにハリーリの政策を妨害したのはこのせいである。つまり、レバノンにおけ
るハリーリとラフードの政争とは、シリアにおけるハッダームとバッシャールの政争
の延長であった。国境を越えて、両国の支配層が合従連衡を繰り返しながらすさまじ
い政争を繰り広げているのだ。

 だから、アウンの言っていることは荒唐無稽な話ではなく、かなりの程度事実に即
している。もっとも、レバノンの反シリア勢力を分裂させ、弱めるために2005年
以降にシリアがアウンを最大限に利用しているのも事実ではあるが。

 ダマスカスのホテルでアウンが演説する様子をテレビで見ていたら、従業員が話し
かけてきた。「俺はアウンが好きだ。アウンは本当にレバノンとシリアのことを考え
ている。自分の利害しか考えない後の連中とは違う」…。果たして、アウンは彼の言
うように、私利私欲を超越した愛国者なのであろうか? それとも、悲願の大統領の
座を射止めるためなら誰とでも組む凡俗の政治家に過ぎないのであろうか?

 今後、レバノン政局は内閣改造をめぐり、さらにはハリーリ暗殺事件の国際法廷設
置、そして2007年夏の大統領選挙に向けて、加熱する。シリアとレバノン両国を
またぐ政争に、イスラエルや米国、フランス、イランなどの利害や思惑が絡まり、問
題はどんどんと複雑になっていくだろう。その中で、アウンの動きが台風の目になる
のは間違いなさそうだ。
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