NHKその時歴史が動いた「全国水平社・差別との闘い」4月16日放映

2008-04-14 22:25:34 | 映像・美術
様々な視点で歴史が動いた日をとらえるNHKのテレビ番組「その時歴史が動
いた」が、4月16日、日本の民衆運動史で忘れることができない日を放送しま
す。
 
 その時歴史が動いた
 「人間は尊敬すべきものだ〜全国水平社・差別との闘い〜」
 http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2008-04-16&ch=21&eid=14057
 http://www.nhk.or.jp/sonotoki/sonotoki_yotei.html
 
放送日 4月16日(水)
放送時間 午後10:00〜午後10:45(45分)

 被差別部落の人々が、上からの施しや同情ではなく、戦うことによって差別を
なくすことを目指し、「水平社」を結成した1922年3月3日を描きます。
 
 「上見るな、下見て暮らせ」・「他人の不幸は蜜の味」という人間のゆがんだ
優越感を、支配される農民などに持たせるため、江戸時代に強化された被差別部
落制度は、明治維新後に出された「解放令」によって、法的には消滅しました。
しかし、解放令は周知の通り、全くの紙切れでした。法的には平等になったため、
江戸時代にはなかった納税や徴兵、教育の義務が課せられ、人々はその負担に苦
しみました。各地では解放令反対一揆が起こりました。人々は「新平民」と罵ら
れ、寺の過去帳や墓石には差別戒名が依然刻まれました。人々は住居や就職、進
学、結婚において公然と差別されました。大分県別府市にあったある被差別部落
は、皇族が乗る列車の窓から見えるので汚らわしいとの理由で警察に焼き討ちさ
れました。
 もちろん、部落差別をなくそうという運動はありましたが、それは「同情融和」
というスローガンに表されている通り、「哀れな」被差別部落の人々を「聖恩」
としての解放令に基づき、慈善事業で救済するというものでした。そして、差別
されるのは被差別部落の自己責任であるとして、生活改善運動が行われました。
 
 これに対して、「差別を受けるのは我々の責任ではない。差別は同情ではなく、
被差別部落の民衆が団結し、戦ってなくすものだ。施しで差別がなくなるのもの
か」と、西光万吉、阪本清一郎、駒井喜作ら被差別部落出身の青年たちが中心と
なって結成したのが水平社でした。
 
 「人の世に熱あれ、光あれ」という情熱的な呼びかけで締めくくられる水平社
宣言は、全国の被差別部落の人々を奮い立たせました。各地で結成された水平社
は、激しい差別撤廃闘争を繰り広げました。この闘争は反戦、労働、農民、学生
運動、さらに同様の差別を受けていた朝鮮の「白丁」の解放組織「朝鮮衡平社」
と連携して、大正から昭和初期にかけての日本を揺さぶる大きな民衆運動となり
ました。
 
 日本の民衆運動を考える上で、水平社の存在は大きなものがあります。
 
坂井貴司
福岡県
E-Mail:donko@ac.csf.ne.jp
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私は、水平社宣言は日本における日本で生まれた日本人(民衆)初の人権宣言で
あると考えてます。教科書では日本の民主主義の発露となった大衆運動として
「自由民権運動」が紹介され「人の上に人を作らず、、、。」等が紹介され、そ
れは確かに大きな脈動ではあったでしょうが、大衆運動というより政治運動であ
り、武士階級・貴族階級の落ちこぼれが主導したものでした。

しかし、水平社宣言はまさに日本の肥溜めの中から生まれてきた、血肉のみなぎ
った宣言であり、差別撤廃運動の源泉と言うよりは、日本における全ての民衆に
とって、フランスで起きたフランス革命ナポレオン経典に匹敵する、大衆運動・
民主主義・人権主義の源泉であると考えてます。

私は、支援していた運動体の腐敗や傲慢運営・思想的堕落を目撃するたびに暗澹
たる思いとなり、日本ではまだまだ「人権」が理解されるには程遠いな、と嫌世
感にさいなまれることも度々ありますが、そんな時にこの水平者宣言を読むこと
で、涙があふれ、大衆運動の原点を思い起こされ日本をあきらめようとする自分
自身が奮い立たされてます。

昔、ある山奥の村を私が訪ねたときある老人の家に立ち寄ったことがあり、その
老人が。「君はこういうのを知っているかね」と一枚の古いビラを渡されたこと
がありました。戦前に配られた水平社宣言のビラで、今考えると貴重な資料を見
せてくれたわけでしたが、私はそれを読みながら涙が止まらなくなりました。そ
の老人は木彫り職人で自分で作った「人の世に熱あれ、光あれ」と書かれたキー
ホルダーをプレゼントしてくれたのを覚えています。

日本の教科書はこの水平者宣言を差別撤廃運動の原点としてしか捉えず、差別の
存在を否定する傾向ゆえにか、この水平社宣言が紹介されることがありません。
私は自由民権運動よりもこの水平社宣言こそを社会科の教科書の冒頭に、そして
日本国憲法の第一条に掲げることが出来たときこそ、日本が民主主義に向かって
歩き始めることが出来るのだと思っています。

このAMLの皆さんは水平社宣言は何度も読んでいることでしょうが、ここの転載
します。そして、その熱き思いを奮い立たんことを、、。

特に共産党。
もう一度この水平社宣言を読み、「すでに差別はなくなった」等と嘯いて、解放
同盟バッシングに地道をあげる自らを省み、この水平社宣言を読んで、本当に日
本に解放運動は必要なくなったのか良く考え、大いに反省せよ。

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宣言

全國に散在する吾が特殊部落民よ團結せよ。
 長い間虐められて來た兄弟よ、過去半世紀間に種々なる方法と、多くの人々に
よってなされた吾らの爲の運動が、何等の有難い効果を齎らさなかった事實は、
夫等のすべてが吾々によって、又他の人々によって毎に人間を冒涜されてゐた罰
であったのだ。そしてこれ等の人間を勦るかの如き運動は、かえって多くの兄弟
を堕落させた事を想へば、此際吾等の中より人間を尊敬する事によって自ら解放
せんとする者の集團運動を起せるは、寧ろ必然である。
 兄弟よ、吾々の祖先は自由、平等の渇迎者であり、實行者であった。陋劣なる
階級政策の犠牲者であり、男らしき産業的殉教者であったのだ。ケモノの皮を剥
ぐ報酬として、生々しき人間の皮を剥ぎ取られ、ケモノの心臓を裂く代價として、
暖かい人間の心臓を引裂かれ、そこへ下らない嘲笑の唾まで吐きかけられた呪は
れの夜の惡夢のうちにも、なほ誇り得る人間の血は、涸れずにあった。そうだ、
そして吾々は、この血を享けて人間が神にかわらうとする時代にあうたのだ。犠
牲者がその烙印を投げ返す時が來たのだ。殉教者が、その荊冠を祝福される時が
來たのだ。
 吾々がエタである事を誇り得る時が來たのだ。
 吾々は、かならず卑屈なる言葉と怯懦なる行爲によって、祖先を辱しめ、人間
を冒涜してはならなぬ。そうして人の世の冷たさが、何んなに冷たいか、人間を
勦る事が何であるかをよく知ってゐる吾々は、心から人生の熱と光を願求禮讃す
るものである。
 水平社は、かくして生れた。
 人の世に熱あれ、人間に光りあれ。

大正十一年三月三日
全國水平社創立大會


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キーワード
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