TUP 速報840号 ソマリア系カナダ人ラッパーが語る、祖国ソマリアのこと(1)

2010-01-16 07:41:12 | 世界
◎内戦とは、海賊とは、そしてソマリア人としてのアプローチとは。
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17年も続く内戦で、飢餓人口は380万人にも膨れ上がり、この半年の間に140
万人が国内難民になったといわれるソマリア。自爆テロや海賊という言葉が結
びつきがちなソマリアに対して、日本では海上自衛隊が派遣されています。
しかしソマリアの現地の声を聞く機会に恵まれることはあまりありません。

ニューヨークの独立系放送局DemocracyNow!で昨年8月に行われたインタビュー
から、ケイナーンの声をお届けします。ケイナーンは幼いころに内戦のソマリ
アを出て、カナダ/アメリカでラップミュージシャンとして活躍しています。
内戦の痛み、同胞への、そして祖国への想いが、彼のラップミュージックにこ
められています。
(前書と翻訳:金 克美/TUP)
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※凡例: [訳注]
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インタビュー公開 2009年8月6日
http://www.democracynow.org/2009/8/6/somali_canadian_rapper_knaan_on_journey

エイミー・グッドマン: ヒラリー・クリントン国務長官は11日間の日程で
アフリカ七カ国を訪問しています。二日目にあたる今日はケニアの首都ナイロ
ビでソマリア大統領シェイク・アフマド・シャリフと会見します。私たちは戦
争で荒廃した国ソマリアからまた別の声を聞いてみましょう。

ケイナーンはソマリア系カナダ人のヒップホップ・アーティストです。ソマリ
アの首都モガディシュで生まれ、幼い頃、国中を巻き込んだ内戦から逃れるた
めニューヨークへ渡り、その後トロントに移住しました。彼の初アルバム「The
Dusty Foot Philosopher[裸足の哲学者]」は批評家から賞賛されました。
最新アルバムは「トルバドゥール[吟遊詩人]」です。

さてクリントンがソマリア大統領と、安定と治安について話し合う準備をして
いるなか、私たちも政治的意識をもつ若いミュージシャンであり詩人であるケ
イナーンに注目し、彼の人生や音楽、そして米国の政策が祖国ソマリアに及ぼ
した影響について話をうかがいます。
ケイナーンが今月はじめにニューヨークに来た時にインタビューを行いまし
た。彼は、金曜の夜にジョーンズ・ビーチ劇場で歌うため戻ってきています。
ではケイナーンさんのお話しをどうぞ。
[訳注;この放送は8月6日。コンサートは放送の翌日、7日でした。]

ケイナーン: 僕はソマリアのモガディシュ生まれで、生まれた頃はそれなり
に平和でした。

エイミー: 何年ですか?

ケイナーン: 70年代の後半です。僕のいた環境は信じられないくらい美し
くて詩的でした。祖父は国の代表的な詩人の一人です。叔母はたぶん、ソマリ
アの歴史を通じて最も有名な歌手です。僕は芸術家や脚本家や詩人が何人もい
る家族に囲まれて、海のそばで育ちました。ソマリアにはアフリカで一番長い
海岸線があります。家族は素晴らしい時間を過ごしていました。僕が9歳の頃
までは。ちょうど内戦がはじまった時です。

内戦が広がり、社会構造を支えていた命綱が切れたように崩壊が始まりました。
三年ほどそのような状態を生き延びました。そして13歳頃に出国したのです。
僕たちは本当にとても恵まれていました。国が完全に崩壊してなにもかもが止
まってしまう寸前に、最後に運行された民間機のひとつになんとか乗れて、
ニュ-ヨークに来ることができたからです。

エイミー: お祖父さんと叔母さんも一緒に?

ケイナーン: いいえ、祖父は国中が内戦に呑み込まれてしまう少しまえに他
界しました。叔母は国に残った。彼女も後に亡くなりました。でも、まあ、僕
らはどうにかニューヨークまで来ることができて、それからトロントに移り、
そこで自分の経験してきたことについて音楽をつくり始めたんです。

エイミー: シアド・バーレは長期にわたる独裁者で、長いあいだ合衆国に支
持されていました。

ケイナーン: ええ。

エイミー: 彼の影響があなたの国に何をもたらし、今日どういったところに
その影響をみることができるでしょう?

ケイナーン: アフリカの多くの武装革命家たちのように、シアド・バーレは
最初は英雄として現れました。彼はクーデターで権力を握り、国に変革を起こ
して氏族制度を取り除こうとした。何千年も存続してきた政治的な氏族制度を
なくせると考えたのです。

やがて何か、つまりある方向転換が起き、こういう輩によくあるように、彼も
変わり始めました。被害妄想に取り憑かれてほとんどすべての自国民に敵対す
るようになり、自分自身の氏族、正確にいうと親族だけを身の回りに置いたの
でした。

彼は国に対してとてつもない影響を及ぼしたと思います。ほとんどの国々との
関係を悪化させたからです。あのとき何の利益もなく、必要もなかったエチオ
ピアとの戦争を始めた。あげくに国が崩壊し始めるようなありさまになり、つ
いに内戦が起こりました。

エイミー: ここ、合衆国に慣れるまでの過程はどのようなものでしたか?
音楽のこと、そしてどのように成長して今のあなたになったのかをお話しくだ
さい。

ケイナーン: そうですね、僕が最初の曲を書き始めたのはソマリアでの経験
があったからです。あの経験が、ふとよみがえってきては思いもよらない形で
僕を苦しめた。それで心的外傷後ストレス症候群という症状だと診断されまし
た。でも母は西洋医学を信じていません。僕が投薬治療を受けるのを嫌がった。
だからどうにかして切り抜ける方法を自分で考えださなきゃならなかった。な
ので最初に書いたメロディや詩はそういうことにどうやって対応してきたかと
いう直接の経験を表現しています。だから成功なんて期待していなかった。た
だ歌を通して切り抜けることができたらいいと考えていただけです。

エイミー: その歌をどれか覚えていますか? すこし暗唱できます?

ケイナーン: ええ、こんな歌がありました。

僕の悲劇は違うんだ
僕の人生は耳を澄ますこと
逃げ出さなきゃ、でも進めない
地獄の街を抜け出したのに
なんで抱えているんだろう
僕の過去はすべて
理不尽で僕の・・・

これは全部、その、この歌は僕の――僕にとっては書くのがとても難しい日々
や時間や場所のことでした。「頭の中の声」という歌がありますが、それは実
際に心的外傷後ストレス障害[PTSD]についての歌です。

エイミー: PTSDでどのような症状がありましたか。

ケイナーン: 欝になったり、精神的に脆くなったりするんですね。ちょっと
待て、いったい何が起ってるんだ、と考えはじめるんです。いろいろなことが
バラバラに壊れていく。そして引きこもるようになりました。何カ月も一人で
部屋にこもったこともありました。

エイミー: どうやって抜け出せたのですか?

ケイナーン: 作品が次第に出来上がってきて、書いたものを友人が聞いてく
れたり、少し音楽を演奏をするようになってから、かなりよくなりました。メ
ロディにはとても助けられた。結果的にこれらを録音したものがいくつかの曲
になって、それらの曲がアルバムになった。それが僕の「The Dusty Foot
Philosopher」という初アルバムで、いくつかの賞を取るようになりました。
僕はとても恵まれていて、ツアーを開始しました。

エイミー: どうやって英語を学びましたか?

ケイナーン: 変わった方法でした。独学のようなものです。学校にあまり興
味がわかなくて、というのはひどい目にあったから。学校に通い始めて最初の
二日で、第二言語としての英語の担当者であるはずの先生に出会いました。そ
の先生が「ケイナーン、なんとか、なんとか、なんとか」と僕に英語で言う。
僕は返事ができない。クラス全部が僕の返答を待っている。彼女を見ると、
もっと大きな声で繰り返して何か言っていた。僕はソマリア語を話す友人に向
かって言いました。「誰かこの人に言ってくれないか。僕は耳が聞こえないん
じゃなくて、英語が話せないだけだって」

そのすぐ後、僕は学校を辞めて歌を通して自分で英語を勉強し始めた。ヒップ
ホップ・レコードを選んでフレーズを聞いて、独学でその意味を習い始めた。
それと、テレビや会話を通して。

エイミー: ケイナーンという名前はどこから?

ケイナーン: 実は本名です。僕の名前ほど創造的な名前は思いあたらなかっ
た。ソマリア語で「旅人」という意味なんです。

エイミー: ご両親がつけたの?

ケイナーン: そう。

エイミー: あなたにとって、合衆国からみたソマリアはどのように見えます
か? あなたのソマリアでの経験と比べると、どうですか?

ケイナーン: ソマリアは、今はザラザラしてみえる。ひからびてしまったよ
うに。人生のポケットからこぼれ落ちた感じです。それは、止まっているみた
い。故郷にいる時は色が鮮やかだった。サファイア色の空が赤く染まり大地に
すいこまれていく、変わっていく地面の色合い、色の魔法、そして海は青く、
白い砂浜。すべてがとても、とてもカラフルで活き活きとしていた。いまはそ
れが白黒に変わりました。

エイミー: ソマリア系カナダ人ラッパー、ケイナーンさんです。ブレイクの
あと、お話しを続けます。

ブレイク(ケイナーン「ピープル・ライク・ミー」の演奏)

エイミー: ケイナーンさんです。この消防署スタジオで「ピープル・ライク・
ミー」を歌ってくれています。合衆国、そしてカナダに渡ってくるときに、ソ
マリアに残してこなければならなかった愛する従兄弟を歌った曲です。

こちらはデモクラシーナウ!democracynow.org 「戦争と平和レポート」の
エイミー・グッドマンです。それではケイナーンさんのお話しに戻りましょう。
クリントン国務長官がソマリ大統領と会見しているなか、私たちはソマリア系
カナダ人ラッパーと、米国のソマリアに対する政策や「ブラックホーク・ダウ
ン」や海賊、アメリカのヒップホップ、そして彼の新しいアルバムについて話
します。ではインタビューの続きです。

エイミー: 多分あなたも読んでいるでしょうけれど、少し前のニューヨーク
タイムズ紙日曜版の一面に、ソマリア系アメリカ人がソマリアに戻り、祖国の
ために西側と戦うと、自分たちはそういうことをしているんだと彼らは思って
いるという記事がありました。これについてどう考えますか?

ケイナーン: ソマリア人じゃない人には考えられないことでしょう。どうし
たらそうなるのか理解するのはとても難しいでしょう。この運動では、実際に
ソマリアでの経験がなく、ましてここで生まれたような若者たちが合衆国を離
れソマリアへ行き、米国がテロリストとレッテルを貼っている武装グループの
ために戦っているのだと考えている人が多くいます。彼らを駆り立てるのは宗
教的な要因じゃない。もしそれが宗教的なことだったら、とっくに起っていた
はずだから。宗教は関係ない。駆り立てているのは国民感情です。彼らの多く
が考えたのは、エチオピアが合衆国に支援されて侵略してきたために・・・

エイミー: イスラム法廷会議が倒された。

ケイナーン: その通り。いうならば、ソマリアでこの20年間で唯一それな
りに平和な時期があったのですが、それが壊されたのでした。ソマリアではそ
れまで全くなかった攻撃性が現れました。ソマリアはとても文化的な国です。
穏やかな国です。イスラムの国です。でも、あのような好戦性は持ち合わせて
いませんでした。それが見られるようになったのは、国を整えた聖職者のグ
ループであるイスラム法廷会議が崩壊した後からのことです。ソマリアに戻っ
た若者たちは、自分たちの国を守るために戦っていて、エチオピアが彼らの国
に侵入していたと確信していました。そして、それは本当のことです。

エイミー: 合衆国のアフリカに対する政策をどう思いますか? 特にソマリ
アについて。あなたが言ったように米国がエチオピアを支援して国家の安定を
崩壊させたと?

ケイナーン: そうですね、合衆国の政策は世界の様々な国でそうだったよう
に、複雑で難しく結果的にそれらの場所を破壊する原因になったと思う。そし
て不幸にもソマリアは例外ではなかった。

ソマリアに対する米国の政策は、米国のためにできることをやってきたので
あってソマリアの人々のためには何もならない。というわけなので、米国はい
つもソマリアの、またはソマリアの人々の意志をまったく実現しない人々と手
を結ぶ道を採っていた。

さっき言ったように、相対的に平穏な時期がありました。軍閥の長たちがイス
ラム法廷会議という名称のグループによって国から追い出されていた頃のこと
です。そしてたぶん名前がそうだというだけで、米国は「これはうまくないぞ」
と考えたのか、この国で18年間おびただしい破壊を繰り返してきた5つの軍閥
の長たちと手を結んだ。「平和回復のための連合」と呼んでね。これは米国が
名づけました。そしてこれらの軍閥の長が戻って来てもっと破壊し始めた。
なので、米国がソマリアにどういう影響を与えてきたのかと歴史を振り返らな
くても、近年をみるだけでも素晴らしかったとはとうてい言えない。

TUP速報840号ソマリア系カナダ人ラッパーが語る、祖国ソマリアのこと(2)に続く

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