人の価値が下がる時代 張りつく薄い寂しさ/宮地尚子(文化精神医学)

2010-03-17 20:03:04 | 社会
人の価値が下がる時代
張りつく薄い寂しさ
宮地尚子
一橋大教授
(文化精神医学)

電車が止まり、人身事故という放送が入る。
声にならないため息とともに、携帯にメールがうちこまれていく。
今どのあたりか窓の外を見ようとしても、疲れた顔が並んで反射するだけ。
人身事故という放送に驚きと憐れみを示した時代から、苛立ちに舌打ちする時代へ。
やがてそのことへの良心の呵責も消え、もはや諦めが覆い、車内には薄い寂しさが漂う。
吊り広告に目をやれば、「使える人になれ!」とビジネス社会サバイバル術の文字が躍る。
自分が「使えない人」だとみなされて、万が一線路に身を投げたとしても、ため息をつかれるだけの
存在だということをかみしめる。
◎◎◎
剥がしても剥がしても張りついてくる薄い寂しさのようなものを、私たちは今抱えている気がする。人の価値が下がっている。
デフレで物の値段が下がる。
物を作り、運び、売る人たちの価値が値切られる。
コンピューターや機械でできる仕事なら、速さや確実さ、疲れの知らなさ、ストレスの感じなさに、人は
太刀打ちできない。
残るのは機械でできない仕事だが、それが「人間らしい」仕事だとは限らない。
コールセンターがいい例だろう。
勧誘や苦情のやりとりが、匿名性の中で棘を増す。
もちろん、ネットで価格を比較して良い物を安く買ったり、無料サービスを手に入れたりすることは、
消費者の「賢さ」である。
電話やメールでの勧誘にのらず詐欺に遭わないためには、そっけなく切ること、返事さえせずスルーする
(流してやり過ごす)ことも、子どもたちに教えるべき「知恵」かもしれない。
けれどもその分、私たちは自分も安く値切られ、スルーされることを予測せざるを得なくなっている。
そのことに傷ついたりストレスを感じたりする人は、よくて「敏感」、悪けれは機械に負ける「弱い
人」となる。
効率化の波は、高度な知的作業に携わる人たち、「できて当たり前」と自他共に認める人たちにまで、
押し寄せている。
「できる人」ほど自分が「使えない人」になることへの不安は強い。
優秀な人は「がんばりや」であることが多いが、処理すべき情報や通信量の増加は、がんばる人にほど
のしかかる。
優秀だからこそ「よい人」でありたいと思う人も多いが、人の痛みへの共感は、自分をも傷つけかねない。
頭を使い、心を込め、気を配り続けることは、脳神経系の「体力」を激しく消耗する。
肉体の過労はわかりやすいが、頭や心の過労は見えにくい。
肉体は動きを止めれば休養できるが、頭や心は職場を出てもすぐにスイッチを切れない。
◎◎◎
「がんばれば報われる」ことを疑い、よい人であることをやめたとき、薄い寂しさが襲う。
それを剥がそうと、さらに仕事を増やし、頻繁にメールを送り合い、アルコールに頭や心を麻痺させる。
自他の痛みに鈍くあれという時代の流れをさらに加速してしまうことに、どこかで気づきながら。
薄い寂しさは、できたてのかさぶたのように、剥がしても剥がしても、微細な出血の上に、また張りついてくる。
いっそのこと、剥がさずにこらえてみれば、いつかポロッと落ちて、血色のよい健康な肌が顔を出すのだろうか。
そこに人がただ生きてあることの価値はみえてくるだろうか。
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みやじ・なおこ 精神科医として性暴力被害者のケアにもかかわる。
著書に『傷を愛せるか』(大月書店)、『環状島ートラウマの地政学』(みすず書房)、
『異文化を生きる』(星和書店)など。
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2010.3.17 朝日新聞・夕刊


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