「1月21日頃が犠牲祭ですよ~。楽しみですね」などと、ブログのタイトルに添え書きしておりましたが、ついさっき、エジプト留学中の日本人イスラーム教徒の方(かた)より、メイルで緊急連絡が入りました。エジプトでは1月20日がヒジュラ暦の12月(ズ・ル=ヒッジャ月)10日に当たる、つまり犠牲祭の日になるのだそうです。
なお、日本ムスリム協会からのメイルも転送していただいたので、目を通しましたら、日本は21日が犠牲祭(イード・アル=アドハー、あるいはイード・ル=アドハー)ですが、東京ジャーミィだけは、トルコ本国に合わせてということでしょうか、20日に犠牲祭を祝うとのこと。「くれぐれもお間違いなく」と書かれてありました。
東京ジャーミィ以外の、アラブ イスラーム学院、大塚マスジド、浅草モスク、マッキーお花茶屋モスク、東京インドネシア学校、名古屋モスク、神戸モスク…これらは皆、21日の朝に犠牲祭の礼拝を行なうそうです。
追記(2005/1/16):いただいたコメントによれば、巡礼の本家本元サウジアラビアは、当初21日が犠牲祭だと発表していたのを、突然訂正して、実は巡礼月は11日に始まっていたので20日が犠牲祭だ、と発表し直したのだそうです。これは混乱しますね。
犠牲祭に関しては、こちらの過去記事もご参照下さいませ。
なお、日本ムスリム協会からのメイルも転送していただいたので、目を通しましたら、日本は21日が犠牲祭(イード・アル=アドハー、あるいはイード・ル=アドハー)ですが、東京ジャーミィだけは、トルコ本国に合わせてということでしょうか、20日に犠牲祭を祝うとのこと。「くれぐれもお間違いなく」と書かれてありました。
東京ジャーミィ以外の、アラブ イスラーム学院、大塚マスジド、浅草モスク、マッキーお花茶屋モスク、東京インドネシア学校、名古屋モスク、神戸モスク…これらは皆、21日の朝に犠牲祭の礼拝を行なうそうです。
追記(2005/1/16):いただいたコメントによれば、巡礼の本家本元サウジアラビアは、当初21日が犠牲祭だと発表していたのを、突然訂正して、実は巡礼月は11日に始まっていたので20日が犠牲祭だ、と発表し直したのだそうです。これは混乱しますね。
犠牲祭に関しては、こちらの過去記事もご参照下さいませ。
サウジ政府は当初、巡礼月は12日に始まり、9日目に当たる20日がアラファト山集団登山日で、21日からイードだと発表しました。
ところが、サウジ政府は何故か14日夜になって「巡礼月の開始が、実は1日早かった。本当は11日に始まっていた。月の観測中にミスが起きたのだ」と訂正を出してきたのです。
皆さまご存じの通り、例えば断食月などは各国の月の観測の具合によって開始日が国によって違ったりしますが、巡礼月だけは、巡礼を仕切るサウジに合わせる必要があるので、多くの国ではサウジの決定に右倣えします。それが突然動いちゃったので、エジプトのお友達からの「緊急連絡」になったのでしょう。
それにしても、このヒジュラ暦、西暦との絡みで思いがけないズレが突然生じることがあり、時々泣かされます。
「イード・アル=アドハーって、ハッジ(巡礼)のとき、巡礼者たちがアラファト山に立ちアッラーのものへ集まったことをお祝いするものなのに・・・」
と、メイルにて、お嘆きでした。そのお祝いの日がズレてしまってはねえ。
(上記メイル、イードの日にアラファト山に立つようにも読める書き方ですが、くま@ざま様コメントにあるとおり、アラファト山に登った翌日が犠牲祭です。
なお、エジプトのイスラーム教徒氏は、実際に巡礼に行ったこともある方なので、間違えることはありえません。単に表現が紛らわしいだけです。)
というわけで、やはり混乱しちゃいましたね。
暦を直せと言っていたサウジの新聞自体が、発行の日付を「1月19日 巡礼月8日」と書いたりしているし。ハッジのことを報じているのに、矛盾を感じないのだろうか。
それはさておき、アラブ各国の日本大使館は、どこもきっちり19日から休んでます。大体19-23日と、イードの後ろにさらに一日くっつけてます。どことは言いませんが、19-24日を怒濤の6連休館日にしちゃう大使館もいくつかあります。
大使館員は休みが多くて、うらやましいなあ。
ところで、前に「アラファト山集団登山日」などと書きましたが、別に山(つーか、丘)には登らなくてもいいんですね。アラファトの原野で祈れば、それでいいんだそうな。
ご興味のある方は下記のURLにてご確認ください
↓↓
http://blogs.yahoo.co.jp/suyanlove2004china