アラビア語に興味があります。

 イランはペルシア語の国です。トルコはトルコ語で、現代トルコ語はローマ字で表記されます。

エジプトのセブン・イレブン

2012年03月20日 05時16分11秒 | アラブ・中東の現地の話
 カイロのシモン・ボリバル広場付近にある、セブン・イレブン。撮影日:2011/08/25


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【追記】セブン-イレブン・ジャパン公式サイトを見ると、Seven-Eleven は、「セブン-イレブン」とカタカナ書きするのが正式のやうです。但し、グーグル・マップでは、「セブンイレブン○○店」のように、ハイフンなしの表記でした。
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カイロのコンクリート・バリケード

2012年02月12日 03時23分44秒 | アラブ・中東の現地の話
 カイロの在留邦人さんより、アハラーム・オンラインの「SCAFのコンクリート・バリケード」の記事 (SCAF = The Supreme Council of the Armed Forces المجلس الأعلى للقوات المسلحة‎ エジプト軍最高評議会)について教えていただきました。タハリール広場周辺で、道路がどんどん封鎖されていく様子を記述したものです。記事によると…

24 November – Mohamed Mahmoud Street wall

 
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 写真は大晦日。カイロ・アメリカン大学の図書館があった(既に新キャンパスに移転済み)ところです。これだけのブロックをどこから持ってきて、どうやって積み上げたのか…。ところが、日本時間で昨日夕方の日本テレビ news every を見て、呆然。ムバーラク辞任一周年のエジプト国内の模様を流していたとき、ちらっとここが映ったのですが、これらのコンクリート・ブロックが、地面近くを除き、ほぼ粉々に消え失せていました。これだけのブロックを、今度はどうやって破壊したのでしょうか。

17 December – Qasr El-Aini Street wall

 
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 写真は同じく大晦日。いつもは車がひっきりなしに通るのに、やけに静か…と思ったら、見事に封鎖されていました。写真の手前はもうタハリール広場で、その先に積まれているブロックが、この「カスル・エル=アイニ通りの壁」です。その左の、緑の網で覆われた建物は、昨年12月、デモ隊に放火されたエジプト学士院です。ナポレオンの『エジプト誌』の初版が焼失しました。

19 December – Sheikh Rehan Street and Youssef El-Guindy walls

 
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 写真は大晦日前日、シェイフ・リハーン通り。カイロ・アメリカン大学ダウンタウン・キャンパスのすぐ横です。画面右は、先程のエジプト学士院の建物です。

5 February – Fahmy Street, Mansour Street and El-Felaky Street walls

6 February – Noubar Street

 写真なし。ファラキ通り以外は場所も良くわかりません。

 以下は ahramonline に掲載されていたバリケードの地図です。クリックで拡大します。なお、CSF は、Central Security Forces の略。

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エジプト人民議会でアザーンを唱えてしまった議員

2012年02月10日 03時29分55秒 | アラブ・中東の現地の話
 アラビア語学科の先輩に教えてもらった動画です。2012年2月7日、エジプトの人民議会で、マムドゥーハ・イスマーイール議員が、アスル(午後)の礼拝のアザーンを唱え始め、ムハンマド・サアド・エル=カタトニ議長(ムスリム同胞団の自由公正党)の止めるのも聞かず、アザーンを朗誦し続けたというものです。
  →نائب يرفع الأذان أثناء الجلسة ومشادة مع الكتاتني

 私はてっきり、サラフィー主義のヌール党(光の党)の議員かと思ったのですが、ウィキペディアによると、アサーラ党(حزب الأصالة 、アサーラとは、高貴な生まれであること、あるいは深く根付いていること)という別の党の党員。サラフィー主義に傾倒した弁護士で、エジプトのイスラム集団を弁護したことで知られるそうです。1月25日革命直後、ナフダ党(復興党)という政党を組織したものの、2011年9月にはアサーラ党と合併、マムドゥーハ自身は副党首となったとのこと。

 そのアサーラ党というのは、同じくウィキペディアによると、イスラーム主義政党。美徳党(حزب الفضيلة)の党首だったアーデル・アブデルマクスード・アフィーフィー少将が、美徳党から分かれた執行部のメンバーたちとともに、2011年7月、アサーラ党を結成。2011年10月23日、ヌール党(サラフィー主義政党)と建設・発展党(イスラーム集団の政党)とともに、「イスラーム・ブロック」の同盟を組んだものです。

 アザーン朗誦事件については、上記ウィキペディアのマムドゥーハ・イスマーイールの項にも説明が少しありますし、Library PressDisplayで検索したところ、いくつかの新聞記事もヒットしてきました。

 アッ=シャルク・ル=アウサト(中東新聞、ロンドン)の2012年2月8日号の「マムドゥーハ・イスマーイールはアッ=シャルク・ル=アウサトに”私はアザーンを続ける”と」という見出し一面記事では(記事では「サラフィー主義のアサーラ党」と明記)、

エジプトの人民会議(国会の下院)のサラフィー主義の議員マムドゥーハ・イスマーイール ―ー昨日、議会の審議中にアスルのアザーンを朗誦した― は、稀な事態に、以下のように言った: 自分は、議長ムハンマド・サアド・エル=カタトニ ―同胞団の指導者― への、礼拝の時刻に議会の会合を立たせるという自分の要求を貫徹する。

 そして、「もし、ムスリム同胞団が多数を占める議会が自分を罰するなら、それは(同胞)団史上の不名誉となるだろう」とも述べたとのこと。対するエル=カタトニ議長は、マムドゥーハ議員の行動を誇張とみなし、「彼は、イスラームにおいて、我々に勝るものではない」と言ったそうです。

〜〜〜〜〜
選挙中に、エジプト人のお兄さんたちに聞いた話その1)
 ムスリム同胞団とヌール党は、同盟はしていないけれど、時折、協力はしている。例えば、ムスリム同胞団の候補が、ある選挙区で当選の見込みがないとき、他の政党に議席を取られるくらいなら、ヌール党の議員が当選してくれた方がましなので、決選投票などで、ヌール党の候補に投票するように、支持者に指示する。逆もまた然り。彼らは、組織力があるので、こういうことが可能である。

選挙中に、エジプト人のお兄さんたちに聞いた話その2)
 ムスリム同胞団とヌール党が、選挙で協力するなんてあり得ない。お互いに嫌い合っているのだから。

 →このアザーン事件を見ると、「その2」が正しかったような気がしますが、さて。

選挙中に、エジプト人のお兄さんたちに聞いた話その3)
 イスラーム系の政党は、国民に、調理油やお砂糖を配って、自分たちの候補に投票するようにと呼び掛けている。本当は違反だが、実際にはそういうことがまかり通っている。テレビで見たが、投票所から出てきた人に、どの党に投票したかとインタビューしたら、その人は、自分が何党に投票したのか、党の名前が言えなかった。

※エジプトの選挙では、非識字者用に、各候補者に記号(ラケット、ランプ、など具体的な物の絵)を与えているので、このようなことはあり得る。

【追記】 ちなみに、カイロの在留邦人の方によると、当日のアスルは、午後3時14分だったとのこと。
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お茶屋のマムドゥーハ、いまだリビアから連絡なし。

2012年02月04日 00時34分22秒 | アラブ・中東の現地の話
 お茶屋のマムドゥーハがリビアに向かってから半月ほど過ぎました。いまだに電話はありません。

 日本でアラビア語を教えるリビア人の先生に、知り合いのエジプト人が、左官屋さんとして働くためにリビアに行ったと言いましたら、その先生いわく、
「リビアは今、政府がない、仕事もない、生活費が高い。
 弟に電話したら、『生活費が高いよ』と嘆いていた」
とのこと。

 たまたま買った週刊新潮(2012年2月9日号、125頁)に、”「カダフィ」懐古の声も上がる「中東混迷」” という記事が載っていました。

「カダフィを責める気はない。誰よりも憎いのは街を破壊したNATOだ」
「この国には、もう何も残っていない。カダフィの方が良かった」

といった、市民の声が紹介されています。カダフィは、実務にたけた官僚など、専門家を政府に配置していたのに対し、新政権は素人の寄せ集めで、選挙もまだ行なわれず、行政の遅れに、国民の不満がたまっているそうです。

 こんな状態で、左官屋さんの仕事などあるのでしょうか。とにかく今は、ひたすら連絡を待つのみです。


 参考:「カダフィが死んで浮かれてるリビア人はアホだな
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サッカーの試合で暴動!

2012年02月03日 23時50分49秒 | アラブ・中東の現地の話
 2012年2月1日、エジプトのポート・サイド(ブール・サイード)で、アル=マスリ対アル=アハリのサッカーの試合が行なわれましたが、試合後、サポーター同士が乱闘となり、少なくとも74名が死亡したというニュース。私は早とちりで、負けたアル=アハリ(クラブW杯の試合で日本にも来たことがあり、2006年には世界第3位に輝いた)のサポーターが、やけになって暴力を振るい始めたのだと思い込んでいましたが、本当のところは、なぜか勝ったアル=マスリの方のサポーターが、アル=アハリのサポーター達を襲ったということでした。

 エジプト人の先生とお話したら、この事件に関して、ネット上では、サッカーのサポーターの喧嘩に見せかけた、政治的な作戦ではないかという意見が多く出ているとのこと。すなわち、サッカーのスタジアムで暴動を起こさせ、国民に、
「こんな状態では、まだまだ軍に政権を持ってもらって、しっかり締めつけてもらわなければ駄目だ」
と思わせるための、軍事政権側の、いわばヤラセではないかという推測です。

 別の報道では、逆に、アル=アハリのサポーターが、昨年のエジプト革命の後、民主化運動に一定の影響を与えたため、そのアル=アハリを弱体化させるために、治安当局が、アル=マスリ側サポーターの乱入を黙認したという陰謀説を紹介、この事件をきっかけに、民主化運動のグループが、軍政権に、改めて、民政移管を求めたとのこと。

 いずれにせよ、単なるサポーター同士の喧嘩では片付けられない事件のようです。

【追記 2012/02/05】 その後、こうした治安悪化を許している軍事政権への批判が強まり、各地でデモや抗議行動が起きていることが報じられています。さらには、そうしたデモ、抗議行動による治安悪化に乗じて、軍事政権側が自らの延命を図っているのでは?との報道もありました。せっかく議会選挙が(結果についての感想は置いておくとして)無事に終わったのに。
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革命1周年

2012年01月25日 22時20分10秒 | アラブ・中東の現地の話
كل عام وأنتم بخير
ثورة سعيدة
25/Jan/2012
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お茶屋のマムドゥーハ、リビアに行く

2012年01月14日 19時57分27秒 | アラブ・中東の現地の話
 カイロの定宿のある通りで、路上お茶屋を開いているマムドゥーハ氏が、リビアに出稼ぎに行くと言った。パスポートも取得し、ビザも取れる見込みで、アタバ広場から出るミクロバスも予約済みだという。何の仕事かと聞いたら、左官屋さんらしい。

「危なくないの?」

と、当然と思える疑問を呈したが、周りのエジプト人も、

「大丈夫だ。リビアはこれから、いろいろなものを建てるんだから」

と、まったく心配していない様子。

 トリポリまで、ミクロバスに揺られて丸2日の旅。バスの乗車賃だけで300ポンド(4千円弱)、とりあえずエジプトからは1000ポンド(13,000円ほど)くらいは持って行かなければという。日本円に換算すると、どうということもない金額だが、エジプトの物価を考えたら、少なくとも、「バス賃3万円」「とりあえず10万円くらい用立てておかないと」ぐらいの感覚だ。

 まして、マムドゥーハ氏の商売というのは、1杯1ポンドかそこら(私の推定)で、お客にお茶やコーヒーを出す路上お茶屋。さらには、年中、私なんかにお茶だ、トルコ・コーヒーだとご馳走してくれている。私だって、ご馳走してもらってばかりでは悪いと思い、良く写真を撮って、プリントしてプレゼントしていたが、写真でバスの切符は買えない。本当に1000ポンド、準備できるのか、できたのか、かなり心配なところだ。

 去年は、トクトク(三輪の簡易タクシー)の運転手になりたいが、トクトクを1台買うのには1万5000ポンド(約10万円)必要だ、と嘆いていた。因みに、日本人ムスリムの旅行者に聞いたら、その方の見たエジプトの新聞広告では、トクトク1台10万円では買えない、もっとする、とのことであった。


「トクトク」
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「お給料、良いの?」
「違う違う、俺は会社で働くんじゃない。人のところで働くんだ」

 個人営業? リビアが本当に建築ブームなら、仕事もすぐ見つかるだろうが…。でも、カイロの往来で細々(ほそぼそ)とお茶を入れるだけで終わりたくない彼の気持ちもわかる気がした。

 電話番号を教えてくれと言ってくれたので、携帯電話の番号を、日本の国番号と一緒に書いて渡した。マムドゥーハ氏は、それをお財布に入れてくれた。リビアに着いて、落ち着いたら、連絡をくれると言った。

 旅立ちは今度の金曜日、20日。彼から電話が来るのは、いつになるだろうか。
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EGYPT!!

2011年02月03日 22時16分07秒 | アラブ・中東の現地の話
 エジプトの革命のニュースを、アルジャジーラなどで追いかけております。ツイッターでつぶやき続けており(twitter.com/harukosakaedani)、ブログは以前にも増して、更新頻度が落ちております。

 ご紹介したい写真:


(クリックで拡大します)

The stuff of nerds からの写真です。エジプトが、インターネットによって変わったことを示す、すてきな写真だと思います。トロントの写真のようです

 エジプトでは、先週、1月28日の金曜集団礼拝の後のデモを阻止すべく、Nour Egypt という、シェア7〜8%のプロバイダを残してインターネットを遮断(Nour Group は、エジプト国内の多国籍企業が利用していたため、政府としても切りにくかったと言われています。後に、Nour Group も遮断され、エジプトは完全に、インターネットの陸の孤島となりました。)しましたが、それ以前に、Facebook などを通して、デモの集合予定地などは周知されており、デモは完遂されました。

 一時は携帯電話まで止められていましたが、今現在、ネットも携帯電話も復活しています。首都カイロの中心部、タハリール広場で、今もまた熾烈な戦いが繰り広げられています。残念ながら、この春休みのエジプト行きは取り消しとなりましたので、せめてコンピューターのディスプレイを通して、エジプトの行く末を見守りたいと思います。

【追記 2011/02/07】この写真を、携帯電話の待ち受け画面にしました。オリジナルの写真は大き過ぎて携帯電話で開けられなかったので、4分の1に縮小しました。
 別のサイトで、この男性が、このシートを胸のあたりで広げているのを真正面から撮影した写真も見たのですが、どこだったか…。まあ、携帯電話の待ち受け画面としては、こちらの方が、EGYPT の文字が時計と重ならなくて良いかなと思いました。
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エジプトはどこ?

2011年01月31日 16時52分47秒 | アラブ・中東の現地の話
 エジプトの革命のニュースを、ツイッターやらFacebookやらで追いかけています。目下、エジプトはネットが遮断されていますが、世界のエジプト人をあきれさせているのがこの画像。



 アメリカのFox News で、2010年4月末に流れた地図のようです。アメリカ人はエジプトの場所も知らなかったのかと、ネット上のエジプト人から顰蹙を買っている模様。

【追記 2011/02/03】知り合いの英語の先生によると、Fox News というのは、「メディア王マードック氏の所有で、既存のメディアが左派寄りだと見て“中立”を保つことをウリにして伸びてきたんですよね。普通の目から見たら、どう考えても“右派”ないし“宗教右派”なのに。そこが結構人気テレビドラマを出していたりするから始末が悪い。『ビバリーヒルズ青春白書』とかね」とのことでした。
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『世にも不思議なソコトラ島』

2011年01月08日 22時42分35秒 | アラブ・中東の現地の話
 もう昨年の話になりますが、きれいなご本を頂きました。

 新開正/新開美津子 著『世にも不思議なソコトラ島』彩図社

 ソコトラ島は、イエメンの島で、世界自然遺産にも登録されています。絶滅危惧種の動植物の多く生息する島です。そしてこの本には、そうした珍しい動物、植物のカラー写真が満載です。表紙は、竜血樹という、傘のように枝の張った大木が、すっくと立つ写真。本文中には、動植物に加え、独特の文化を持つソコトラの人々の写真、さらには、イエメン本土の風景や人々の写真が収められています。

 写真のクオリティの高さは、フランスの研究者が、『ソコトラ島の多肉植物』という本を出版するにあたり、写真を数点貸してはいただけないかと頼んできたほど。また、この本に掲載できなかった写真の数々は、著者のブログ「イエメンへ」で見ることができるそうです。

 読めば、ソコトラ島が、イエメンが大好きになること間違いなし。アマゾンで買えますが、URLを貼ると規約違反になってしまいますので、お手数ですが、アマゾンのサイトで検索なさってください。タイトルを入れれば、すぐに出てきます。
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やっぱり珈琲店は…

2010年10月10日 05時15分59秒 | アラブ・中東の現地の話
 先月、カイロの珈琲店で水煙草を吸った話をアップしましたが、あのあと、また同じお店に行ったのです。前のときは、入口近くで広場の方を眺めながら座っていたのですが、このときは、入口近くで店内を見渡す方向に座ることになりました。

 すると、店内のおじさん、お兄さんの視線がちょっと痛い…。自意識過剰なのかもしれませんが、やっぱり珈琲店には、女は一人で入らない方が良いのかもしれないなと思ったりしました。

 何ヶ月か前に、ムハッガバ(ヒジャーブ/ヒガーブを被った女性イスラーム教徒)のエジプト人に、
「あなたが水煙草を吸っていても、外国人女が物珍しくて吸っているんだろう、と誰も気にしないわ。
 でも私が水煙草を吸ったら、ムハッガバのくせに、では済まない。
 最悪、ハシーシ(大麻製品の一種)を吸っていると思われるわ」
と言われたので、こんな平たい顔なら外国人とすぐわかってもらえる、ゆえに水煙草を吸ってよろしい、と考えていたのですが。

 もうちょっと、空気を読んでみる努力をすべきですね。
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最近のカイロの風景

2010年09月09日 23時12分54秒 | アラブ・中東の現地の話
 夏休みの旅も後半戦。ひとつ山を越えてほっとしたところで、最近のカイロの風景について。

 かつてのナイル・ヒルトンが、少し前にリッツ・カールトンに買収されて、ナイル・ホテルと名を変えた。そしてこの夏、またカイロに来たら、ナイル・ホテルは、ナイル・リッツカールトンに改名され、裏手(ナイル川沿い)で大規模な工事が行なわれている。
 ナイル・ヒルトンは、昔、松本清張の小説に登場したと、地球の歩き方で紹介されていたことがあったが、実際に読んでみると、単に主人公がそこに宿泊して、窓からカイロ・タワーがきれいに見えました、というだけの話で、別に重大な事件の舞台になるわけでもない。

 あと、ナイル川で、夜間、何台ものサーチライトで上空を照らすというエンターテイメント(?)をやっている。面白いことは面白いかもしれないと思いつつも、それで何が面白い?と思う気持ちもあり…。下手に色のついたレーザー光線を使うよりは品が良いかもしれない。よくわからないけれど。



【追記 2010/10/10】 夏の夜のナイル川の写真を追加。
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ツタンカーメンの死因等 続報

2010年06月28日 00時04分56秒 | アラブ・中東の現地の話
 ツタンカーメン(توت عنخ آمون)は、転倒か何かによる骨折にマラリアが重なって死んだ可能性が高いとのロイター電の報道があったが、先程、ツタンカーメンの死因に異論 血液疾患とドイツ研究所との記事を読んだ。

 ドイツ研究者らが、「骨折にマラリア感染が重なって死んだ」との説をとるエジプト考古最高評議会などの研究成果に異論を唱えたと、フランス公共ラジオが伝えたそうである。ベルンハルト・ノッホ熱帯医学研究所の研究チームが、ツタンカーメンの脚の骨を詳しく調べ、アフリカなどで多く見られる「鎌状赤血球症」を患っていた可能性を指摘したとのこと。

 鎌状赤血球って、小学生のときに読んだ、鎌形赤血球のことだろうか。普通は楕円形の赤血球が、鎌の形になってしまって、血管の壁に引っ掛かるため、貧血になりやすいとのこと。しかし、この鎌形赤血球を持っていれば、マラリアに罹らないという大きな利点がある、という話だった。

 ツタンカーメンが、鎌形赤血球を持っていたとしたら、マラリアで死ぬはずがない。確かに議論を呼びそうだ。
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サッカラの階段ピラミッド

2010年04月21日 11時29分47秒 | アラブ・中東の現地の話
 2010年4月17日の時事通信の報道によると、サッカラ(سقارة サッアーラ)の階段ピラミッドを人力で修復中、4年後には作業完了の見込みとのこと。表面に石灰石を積み上げる作業だそうだ。
 実はわかっていなかったのだが、サッカラの階段ピラミッドは、「世界最古の巨大石造物」なのだとか。確かに、世界最古だけあって、見に行ったらボロボロで崩れかけており、もちろん内部に入ることなどできない。
 きれいに修復された暁には、サッカラ・ビールのラベルのデザインも変わるのだろうか。現在のラベルは、あのゴツゴツのピラミッドそのままが描かれているのだが。
 ともあれ、修復作業でどのように変貌するのか、楽しみではある。
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ブルジュ・ハリーファ@ドバイ

2010年02月21日 05時34分45秒 | アラブ・中東の現地の話
 実は、春休みにエミレーツ航空でエジプトに行く予定。折角、エミレーツなので、ストップ・オーバーして、ドバイを見て回ることにした。

 もちろん、かの7つ星ホテル、ブルジュ・アル=アラブ(ブルジュ burj برج は「塔、タワー」の意)に泊まるような贅沢はできないが、予約したホテルも眺めは良さそうだ。ドバイ・アメリカン大学からちょっと離れているのに予約後に気付いたが、何とかなるだろう。(ドバイ・アメリカン大学は、ハード・ロック・カフェの隣だそうだ…ううむ。)

 ところで、私はすっかり、ブルジュ・アル=アラブとブルジュ・ドバイを混同していたのだが、前者がホテルで、後者はオフィスや居住スペースのある高層ビル。目下、世界一の高層ビルであるブルジュ・ドバイは、今年に入って、花火をぼんぼん打ち上げて、豪華絢爛たる落成式が行われたが、もう不具合が生じた模様。

 AFPの報道によると、まず、「ブルジュ・ドバイ」の名称が、アラブ首長国連邦大統領、ハリーファ・ビン・ザーイド・ビン・スルターン・アール・ナヒヤーン氏(خليفة بن زايد بن سلطان آل نهيان Khalifa bin Zayed bin Sultan Al Nahyan)の名にちなんで、早々に「ブルジュ・ハリーファ」の方が正式名称になり、「ブルジュ・ドバイ」はただの通称に。

  #以前、読解の授業で、ナヒヤーン大統領を、首長と訳してしまった。大失敗!
  #授業にいらしていた皆さま、申し訳ございません。敬称が شيخ だったので、
  #まさか大統領とは思わなかった私のミス。ちなみに、ドバイの首長は、
  #ムハンマド・ビン・ラーシド・アール・マクトゥーム(محمد بن راشد آل مكتوم)氏。

 2010年02月09日AFPの記事によると、ブルジュ・ハリーファの124階にある展望台 At the Top が、混雑と送電システムの問題のため、修理点検をするので閉鎖。落成式からわずか1カ月で、これ。展望台の再開時期は未定とのこと。

 来月の修理完了を期待しては、いけないかもしれない…。
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