WBI コンシェルジュのBlog
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日食フィーバーが過ぎて

5月21日。日本では金環日食フィーバーでした。日食グラスが売れ、粗悪品が出ているとニュースになり、曇るか晴れるかと天気予報に注目し... あっというまの数分間の天文ショーだった気がします。

もちろん、我が家でも、日食グラスを3つ購入し、その瞬間に備えていました。家族4人ですが、私の分はないのです。そんなもんです。

数日前には、日食グラスで蛍光灯を見て見えるようではダメとかというニュースもあり、粗悪品だとか、大丈夫だとかお母さん方の井戸端会議でも話題になっていたようです。

しかし、思い起こせば、小生が子どもの時にも部分日食はあって、その時は、下敷きとかススをつけたガラス板で見ましょうと言っていたことを思い出します。昔と今とでは、テクノロジーの進化はあるでしょうが、下敷きで見ていた昔の子どもたちは、今思えば大丈夫だったのか?と思うことも。逆いえば、今の日食グラスは高機能すぎる?とも言えなくないですが、まぁ、防げることは防ぎましょうということで無理やり納得しています。

しかし、このわずか数分の出来事に向けて、大きなビジネス商戦があったのも事実。我が家でも、普段だったら買うことのない日食グラスを購入するということもあり、TVでも視聴率を稼ぐフィーバーぶり。数百年ぶりとか、一生に一度という修飾語に踊らされて(?)、フィーバーするのも楽しいものです。

まさに、楽しむ。そんな、日食フィーバーだったような気がします。イベントを楽しむ。そのものとあまり変わらない。日食を見たいというよりも、そのフィーバーを楽しみたい。そんな気持ちの表れなのかもしれません。そういえば、数ヶ月前では、皆既月食を夜外に出て家族で月を見上げたことを思い出しました。自然のイベントをきっかけに、家族と、友達と楽しむ。一つの話題を共有して時間を過ごす。それが、思い出になり、絆を深める。年月積み重ねとともに、同じ思い、時間、思考を共有することを積み重ねる。これが大事だなって。

我が家では、息子とは、ドッジボールという川上家共通ワードが存在しており、ドッジボールを通じて思い、時間、感情、苦労、喜びを共有しています。中学の娘とは...共有ワードがパッと思い浮かばない。そんなものかもしれません。父と娘。中学生ということを考えれば、共通項なんてないのかも。それでも、学校行事や受験、進学、イベントはそこらじゅうにあります。それを共有していくことが大事。今週末には、娘の中学の運動会があります。晴れればいいな!

娘の中学の運動会。もちろん、娘を中心に見ますけど、ドッジキッズのOB・OGもたくさんいますからね。楽しみ方は、多重です。

必要以上に、べったりしても娘としても嫌な父になりますからね。あまり考えすぎず、自然の成り行きで見守りたいと思いますが、同じ時間と場所を共有することの大事さを感じるんです。

間違いなく、今日には、日食の話題は過ぎ去ってしまいますが、将来、2012年5月20日の日食を思い出すように、様々な出来事、思い出を積み重ねていきたい。その真っ最中な今なのです。

日食を思い出すのではなく、その時に一緒にいた人、雰囲気、思い、感情、匂いを思い出すのだから。



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引き出物の変化から見たビジネスの変化

最近の引き出物に、カタログが当たり前になってきた。今までは、主催者や新郎新婦側が、決めた”もの”だったものから、自由に選べるようになり、持ち帰りの手間も楽になったと喜ばれている。と言われている。

たしかに、カタログには、本当に様々なモノやグッズ、ときにはサービスが豊富に掲載されていてどれか選ぶのに手間取るくらい。選ぶ楽しみをもらっていると感じられるくらいである。

欲しい物をご自由に。というスタイルがうけている。

小生のビジネスでも実は重要な要素がここに隠されている。専門家から見て、ベストなもの、最適なものを一つ提示する。これが、以前の引き出物スタイルだ。もちろん、全体的にみれば最適かもしれないが、どこか納得いかない部分もあった。いわゆる、強制的なものかもしれない。

最近では、複数の選択肢を提示して、選択してもらうことが多くなった。これによって、お客様の満足が飛躍的に向上する。それだけでなく、責任感を持っていただけるようになり、選択し、導入後の定着度も格段にアップする。

大事なのは、目に見える効果だけではなく、満足度や期待感などの目に見えにくい部分も大事な要素であることに気づくようになってきた。要素が増えたことにより、選択肢も幅を広げ、多種多様になる傾向がある。しかし、そこに、専門家という目と耳と知恵と勘を活かしたストーリーを描くのである。

選択肢を挙げるときにでも、本命と当て馬を意識する。最終的には本命を選ばせる、いや、選んで欲しい。そのために、他の選択肢をどう選ぶのかが腕の見せ所になってくる。選択すると言うことは、我慢する、切り捨てることでもある。予算を我慢させる、機能を我慢させる、操作性を我慢させる、時間を我慢させる。選ぶと言うのは、取るのではなく捨てるということであることに気づきにくい。それをそれとなく自然な形で切り捨てることを意識させるのが、選択肢、当て馬なのである。

どれを取るかではなく、どれを捨てられるかということを迫るのである。それでも、選択権をお客様に委ねることで満足度と責任感を得てもらえることが大事なのである。もちろん、アドバイスを求められれば意見を申し上げるが。「これがいいのではないですか?」って。

選んでもらう。そう、私のビジネスは、カタログ化しているのである。単に選択肢を広げるのではなく、最適なものを自然に選ぶような魔法のカタログなのだけれど。

ただ、引き出物せよ、小生のビジネスにせよ、盲点がある。「何も入らない、お金でよこせ」というニーズに応えられないということ。

それでも、カタログを持って、中を見てもらえれば欲しくなるカタログであるが、手に取ってもらわなければダメである。

だからこそ、小生のビジネスでもそうだが、カタログの中身を充実させる以上に、カタログを手に取ってもらう機会を増やすことも大事なのだ。

そんなことをふと引き出物のカタログから考える今日この頃でした。









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ネットと選挙

ネットに限らず、ICT(情報(information)や通信(communication)に関する技術の総称)は、確実に私たちの生活を変えています。便利に、楽しく、豊かに... 情報の受発信、共有だけでなく、ショッピングをはじめとするキャッシュ決済も当たり前のようになってきた。

そう考えると、選挙におけるネット、ICT分野への対応は、時代遅れのようにも感じる。その最大の要因が、政治家の高齢化という側面は少なからずあるだろうと思う。ネットやICTについての知識というよりは、利用体験が少ない、乏しいために、敬遠しがちであることは想像できる。

その一方で、ネット世代の政治家も数多くなりつつあり、そろそろ政治、選挙へのネット活用も本格化、せめて検討が始めるのではないかと思います。小生の知らない部分では、既に始まっていると思いますが。

まぁ、選挙、特に、投票のネット活用には、様々な問題もあるでしょう。しかし、キャッシュ決済や税務などのネット申告が当たり前になっていることを考えれば、個人特定や2重投票などの問題はその気になればクリアされるはず。便利さを求めすぎてもどうかなと思いますが、期日前投票、不在者投票の制度がある以上、ネット投票の選択肢があっても良いのではないかと思います。

投票データを見れば、若者の投票率が低いというものは、全国的に顕著のようです。投票しないのが悪いという見方もあるでしょうが、時代の変化、考え方の変化、環境の変化に人は順応していきますが、制度が追いついていない、いや、追いつこうとしないというのも変な感じがします。

ネット選挙をすることで、投票率が上がるか、変わらないかが大事な検討ポイントかもしれません。投票率が上がるのであれば、対応すべきだと思います。しかし、ネット選挙が投票率をアップに効果がないのであれば無理して対応する必要はないのかもしれません。大事なのは、ネットを使うということではなく、民の意見を正しく政治に反映させる仕組みを作ることですから。

ネット広報もネット投票も民の意見や声を正しく反映させる新しいツールか否か。選択肢を増やすことは、必要だと思うのですが...

正直、わざわざ、ネットで選挙したいとも思いません。小生の場合は、近くの小学校に出向いて投票することにあまり違和感はありませんし、期日前投票も以前に比べれば敷居が低くな投票しやすくなりました。

あくまでも選択肢を増やす。正しい情報を広く伝えるために、そして、民の意見と意思を正しく反映させるためにネットの活用は必要だと思います。

参議院議員の投票は、電子投票になりましたが、衆議院議員の投票は、かたくなに投票板の受け渡しです。まぁ、牛歩戦術ができなくなるということは想像できますが、そもそも牛歩戦術っていったいなんなんだということでもあります。

ネット選挙の歩み寄り。その進捗は、気になるところです。個人的に。







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匿名と実名

Facebookが、上場を視野に入れたこともってか、実名並びに顔写真の徹底チェックを行うらしい。特に、Facebook日本語版ユーザーは、匿名登録、顔写真以外の写真、画像での利用率が極めて高いそうだ。まさに、日本人ユーザーの狙い撃ちを行い始めたという。

Facebookでは、実名、顔写真での利用が原則らしい。今後、Faceboookを匿名、ニックネーム、風景画像、似顔絵で登録・利用されている方は、変更の準備を始めたほうが良さそうです。もちろん、これを機にFacebookの利用をやめるという選択肢もあると思う。

匿名と実名。心構えが違ってくるのは当然だろう。気軽さは、なくなるかもしれない。しかし、ネット、SNSとはいえ、責任を持った発言とかつながりを求めていくのはある意味で当たり前のことなのかもしれない。

それを前提にしたネットワーク、SNSであれば、それを了承したユーザーのみが利用すれば良く、了承できなければ、利用しなければいい。そう考えるのも自然なのかもしれない。ただし、異論反論はあるだろう。もともと、日本にとってネットは匿名性があるということが当たり前だった。特に、2ch掲示板など。

実際、匿名性のある掲示板と実名でのクローズドな掲示板では、その書き込み内容に差があるのは当たり前なのかもしれない。いわゆる、誹謗中傷を言い逃げの格好で言い放つことができるのが匿名性のある掲示板の特徴である。気軽に書き込める一方、誹謗中傷を簡単に書き込めることで他人を傷つけやすい。

一方、実名のクローズドな掲示板では、発言内容が自分の名前に紐つけられることから、その発言内容に責任を持たなければならなくなる。その結果、気軽に書き込めなくなる一方、きちんとしたコミュニケーションが成立しやすい。言い方を変えれば、トラブルを避けるような、いい子ぶりっこな発言が多くなり本音のコミュニケーションができなくなるとも言われている。

どちらが良いか...それこそ、ユーザーが選択すればいいのではないかと思うのである。どちらの掲示板に人が集まるかは、その掲示板の管理者の力量、手間によるところが大きいのかもしれないが。


リアルなコミュニケーションは、その行動、発言、表情は全て責任を自分自身で持ちながらとなる。それをネットでも同じように行おうとするものである。Facebookは、そのようなSNSであると認知させたい、利用させたいという意向なのだろう。それが嫌ならば、Facebookを使わなければいいだけである。ただ、多くのユーザーがFacebookを利用するようになれば、そいれがインフラになり、常識となるかもしれないが。

個人的に、小生は、実名でのコミュニケーションを希望する。リアルのコミュニケーションと同じつながりをネットでも持ちたいと思うし、Facebookにはそうあって欲しいと思う。

ただ、個人は特定できても、実名や顔は公開したくない状態でコミュニケーションを取りたいという人も多くいるのではないだろうか。しかし、それは中途半端としか言いようがない。その裏には、IDの廃棄、再取得などの方法が残されている以上、それは匿名であると言わざるを得ない。

ネットでの発言、行動は、実に軽いものである。ふと思いついたことや湧き出る感情のまま書き込んでしまいがちであり、その責任を自分自身で負うことに怖さもあるのも分かる。そこが、リアルとネットの違いなのかもしれない。しかし、新しいコミュニケーション、責任の取り方と考えれば受け入れていけばいい、慣れかもしれない。

新しいコミュニケーション、新しい責任の負い方をFacebookでは、提案していて、受け入れるかどうかを迫っているように感じるのである。

あなたは、完全実名性のFacebookを受け入れられますか?



2012/5/17 12:45 Facebpookの公式見解が確認とれませんので、Facebookに関すうる記述は、削除いたしました。
皆様には、誤解を与える記事となり、申し訳ございませんでした。お詫び申し上げます。
/川上




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やりたいことを実際にやるために

やりたいこと、したいこと。ありますか?

ないっていう方は、素直じゃないかも。きっと、やりたいこと、したいことを押し殺しているかもしれません。

でも、やりたいこと、したいことって、じゃあすぐに出来るかっていうとそうでもない。なかなか、踏み出せなかったり、やってみたけど続かなかったり。

その原因のひとつの要因が、人間関係かなとも思います。やりたいこと、したいことって、一人だけではできないことが多い。一人でやれることだったら、とっくにやっているかもしれないから。だから、やってみたいなぁと思うことって、何らかのコミュニティとか団体とか仲間の中に飛び込むことが必要になってくる。そうなると、人間関係がの構築が必要になる。最初に飛び込む時って、何かのきっかけを欲しがっていたり、面倒だなって思って行動を起こせないでいることも多いのではないでしょうか。

やりたいことと人間関係。表裏一体。人間関係を構築する、嫌だなと思う・感じる人たちの輪の中に入らなければならないという”負”と思うことをやらなければならないんだったら、やりたいことはしなくてもいいやって思っちゃう。小生も少なからず、あります。

でも、人間関係ってそんなに嫌なもの? そのコミュニティに既にいる先輩の方々は、楽しそうに取り組んでいるのに、新参者として入り込むのに躊躇していないでしょうか。たしかに、最初から、打ち解ける、打ち込めることはないですよ。でもでも、打ち解けるまでの時間って、思っているほど長くない。やりたいことを目指している人たちだと思うので、意思や目的は一緒の同志。そう、お互いが感じ会えれば、打ち解けるまでの時間なんて、あっという間かもしれない。

大事なのは、志を共有すること。そして、必要以上に自分を飾らないこと。そして、自分の意思でそのコミュニティに飛び込むことだと思います。

既にコミュニティを構成している方々は、新参者を必ずチェックしています。やる気、本気を。それを証明するには、時間と手間を使って、自らそのコミュニティの輪に入ってきているかという視点が大きいいのです、声をかければ来るけれど、かけなければ一切来ないというのでは、やる気、本気をい疑っちゃう。

もちろん、最初は、2−3回は声をかけてくれるでしょう。でも、毎回毎回、丁寧に声をかけるわけにはいかない。そのうちに、声をかけなくなってくる。それが当たり前。その頻度の低下に比例して参加の度合いも少なくなる。これでは、ダメ。「次は何をすればいいですか?」 「次の行事や打ち合わせはいつですか?」って、聞けばいい。この一言が、魔法の言葉!

人間関係が、うまくいかなくとも、煩わしくなくなれば、やりたいことができるようになっていく。そして、いつの間にか、人間関係がうまくいっているってことも多い。また、自分自身の周りに自分を中心とした新しい人間関係もできるようになる。

そんなもんです。

魔法の言葉...魔法の呪文... 使ってますか?











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