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競争から目を離してはいけない

子どもの世界では、競争をできるかぎり避けるという流れがあるのは事実ではないでしょうか。しかし、競争から目をそらしてもいいのでしょうか。

世の中、全ては競争だということもよく聞きます。小生は、その通りだと思っています。大人になれば、競争のなかで、勝ったり負けたりを繰り返しながら生きていると思うのです。

仕事だって、競争です。個人戦、チーム戦は様々ですが競争があるから仕事として成り立つのです。

仕事は、競争なんです。

競争に勝ちたいという気持ちはとても大事なことです。勝って、満足。負けて不満。この気持ちは素直な感情です。満足を得たいから勝ちたい。当たり前のことです。勝ちたいから、努力する。これを省略してはいけない。努力が報われるかどうかは分からないけれども、勝ちたいから努力する。その努力は、必ず肥やしとなります。

たしかに、努力もせずに、勝った負けたと騒ぐのはどうかと思う。努力して競争に勝ちたいと思うのは、実は、誰もがやっていることではないんですね。多くの方は、努力せずに楽して勝とうとする(笑 それも、自然な流れ。

子どもの世界で競争を避けようとする流れは、この努力ナシの競争だからなのかもしれない。

一生懸命、汗を流す、そして、泣き笑い。これらの経験こそ、子どもたちに経験して欲しいことなんだけどと思うのである。








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オン も オフ もあなたです

FacebookにTwitter、mixiに、Google+と、ソーシャルネットワークが盛んになってきた感じがします。いわゆる、ネットでのつながりをオンといい、リアルなつながりをオフと表現することもあります。

オンでつながって、オフでもつながる。オフのつながりが、オンでもつながる。などとオンとオフのつながりが融合していくようです。かくいう小生もオンとオフのつながりが入り混じり、区分けが難しくなってきている気がします。

そんな中、オフの顔とオンの顔が違う人がよくいます。オンでは、仕事とは全く関係のない趣味やプライベートの話が中心の人や、こんなに交友関係が広いのかと思ってしまうほど、オフはおとなしいのにオンは活発な人。様々ですから、また楽しいし面白いと感じています。

小生自身も、オンではまさにドッジボール中心の人格を展開していますからww

しかし、気を付けなければならないことも学ばなければなりません。オンもオフも知っている”友人”は、その両方の人格(?)を見ていることを。そして、その見ている友人は、自分が把握している以上の友人であることを。さらに、オンの人格を知らぬ間に継続的に見ていることを。

つい、グチを吐いてしまう。コレくらいなら、まだ可愛いと思うかもしれませんが、あることないこと呟かれたり、その場にいたことや会っていたことが他の友人にばれてしまうような会話や写真をアップしたり、仕事上の内容を呟かれたり... こんなこと、自分自身では気づかないけど他人から見たらしてしまっていることって少なからずあるんです。これを頻繁に、自由気ままに、呟きと言う名の下に公開されてしまう人格だったら...そんな”友人”との関係を考え直すのではないでしょうか。

自分自身の行動や意見や近況をアップするのであれば、楽しいソーシャルネットワーキングのツールも、暴露や悪口を他人を知らぬ間に発信してしまうツールにもなってしまう。その気がないにもかかわらずそう見えてしまうところがあるので怖いところ。

他人のことは書かない、触れない、写さないが基本。その基本を守った上で、つながれる関係を作ったり、公開してもいい内容や情報を吟味することが大事。というより、マナー。

うまく非公開グループや公開範囲の設定が出来ない人に限って、問題あるアップをしている。

誰が見ているか分からないのがオンの世界。お客様、同僚、先輩、家族が見ているかもしれません。と言うより、見ているのです。見られるのです。

そんな意識を持って、ソーシャルネットを楽しみましょう。

小生も自戒の念を忘れずに... です。




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他人の意見は、表と裏がある

人は、ミスするもの、間違えるもの。そんなことを痛感することがよくあります。

1日の間でも、数時間の間でも、緊張感はそれほど長くは続かない。また、緊張感を保っていたとしても、ミスは出る。だからこそ、そのミスを補完する仕組みが必要になる。

頭が真っ白になることもあるだろうし、完全に誤解していることもある。

小生もいつも正しい判断、行動をとっているとは限らない。自分自身の判断、行動が正しいと思い込み過ぎないことが大事なこと。

つまりは、他人の声やアドバイスに耳を傾ける準備があるかないか...

他人の声とアドバイスを聞きすぎてもいけない。しかし、聞かないことでもいけない。冷静な思考と判断が求められるのです。

自分自身の思考と判断、行動を行うこと。そして、その行動、結果に対する他人や周りの状況からの情報をを得ること。、さらに、自分自身の思考、判断、行動という”仮定”の検証を行い、修正していく。

これが、バックアップでもあり、ミスの早期発見でもあり、是正である。

言葉にすれば、これで終わってしまうが、自分自身の思考や判断を途中で、遮って違う論理が入り込んでくると、頭の中は大混乱に陥るのである。一旦、客観視して、第三者としての考え直せれば良いのだが... これが、なかなかできるもんじゃない。

ありえない判断をしてしまうのは、概してこんな状況なのではないだろうか。

他人の声で救われることも、他人の声で大混乱してしまうこともあるのだから、扱いが難しい。

思考や判断を自分の身体から離れて、第三者として見ることが出来るかどうか。ここには、意地とかプライドを切り離すということでもある。

逆言うと、自分の意見も相手にすれば他人の意見となる。

他人の声、意見、アドバイス...

活かすも殺すも、自分の裁量。懐の深さ。

最後に判断する”自分”を信じる。”自分”を信じるために、他人の声を聞く。そして、せっかく聞いたy他人の声を捨てることの勇気。自分の思考、判断を誤りと認め、変更する勇気。どちらも勇気。

他人の意見は、色々な意味での表と裏があることを認識することができれば、少しは楽に思考が出来るかもしれない。




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そこにいることが、大事なんじゃない。係わり方が大事なんだ。

社会人になり、歳を重ね、責任を積み重なり、役職が上がっていく。すると、不思議とそこにいることが使命だったり、役目だったり、仕事だったりと考えがちになる。そこにいることが仕事だ、役割だと。

しかし、それは大きな誤解。そこに居ることが弊害に感じている人は多い。

その場に、居ることが、安心を与えるのか、弊害と感じるのかの違い... このことに気づいていない人が多い。

その大きな要素の一つが、係わり方。

どう、係わっているのか、逆に、係わっていないのか。

で、あるならば、その場に居なくてもいいことも多い。居なければならないこともある。

居ることが前提ではなく、係わり方が前提。

係わりは、責任でもある。

これを理解できれば、行動範囲が広がる。係わり方も広がる。

停滞しているなと感じたならば、それは、もしかしたら係わり方が違っているのかしれません。




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休む勇気 休ませる勇気

休むって大事な行為。それが、分かっているからこそ、休むことで”逃げる”ことも、”怠ける”こともできる。休むことが、プラスの行為かマイナスの行為かその瞬間には分からないから管理しづらい。

自分自身、自分が現場に出ているメンバーであり、管理職であり、経営者である。

休みたい、逃げたい、サボりたい、休養したい、充電したい、パワーを蓄えたい、リフレッシュしたい、
気分を変えたい。様々な休み方がある。

休みは魔物。休むことの意味をぼやかしてしまう。見失ってしまう。

休むことが、停滞、下降という意味を持ってしまう。瞬間的な時間だけを見ればそう見えてしまうのも事実。だからこそ、休むということが不可解に感じることが多い。

同じように、辞めるということも不思議なことかもしれない。

いずれにせよ、休んだ後が大事なのだ。リスタート、別スタート。このリスタート、別スタートがあるからこそ、休んだことの効果・価値が見える。

休むのが先で、リスタート・別スタートが後。さらにいえば、行動の過去がある。

過去と今と将来。行動、休み、スタート。

この一連の時の流れを少し引いたところから、長い目で見なければ正しい休み方なんて分かるはずもない。また、行動、休み、スタートの経験も大事な要素。

自分を含む本人が、休みたいという意志や行動を示したとき、どう感じるか?

サボりたいのか、いっぱいいっぱいなのか、計画的なのか、瞬間的なのか、休ませたほうが良いのか、悪いのか。様々な思考や感情が入り乱れるのではないでしょうか。小生自身も自分自身の感情、思考、部下や同僚、家族などの表情、行動、言い訳、理由などが入り乱れて、錯綜し、違和感を感じることもある。

その違和感を解消するためか、休む理由を聴いたり、逆に意味付けを行なったりすることになる。

休むことよりもスタートのさせ方に意識を持っていきたい。

休むのは、当たり前。当たり前のこと。その当たり前のことに対して、違和感を感じることがおかしいのだ。大事なのは、休んだ後、どうスタートさせるかに意識と思考を集中する。その経過の中で、休み方を考えればいい。

この意識の転換ができるようになれば、少し引いたところで全体を見ることができる。

休み方は、スタートの仕方によって変わってくる。

休むだけを見るのではなく、スタートとセットで考えることこそが正しい休み方が見えてくる。

休む勇気、休ませる勇気ではなく、休むこと、休ませることが当たり前になる。

休んだ後のスタートこそ、大事な瞬間である。




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