WBI コンシェルジュのBlog
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運の総量は一定か?

よく、人それぞれ運がいい人、悪い人がいるけれど、人生での運の総量は一定なんだよって聞いたことがあります。

良い時もあれば、悪い時もある。そういう教えなのでしょうが、私は信じません。運も実力のうち。運を多く呼び寄せればいいじゃないですか!

例えば、宝くじやパチンコなどで大当たりを出した場合、運を使っちゃったって思うときありませんか。逆に、宝くじやパチンコなどで外れちゃったとき、この運はほかにとっておこうって思うときありませんか。

私は、運がいいと思うようなときは、今がチャンス!! 運が来ているので、もっと挑戦してみよう、もっと運をかきとってやろうって思います。逆に、ついてないなと思うときは、今は勝負どころではない。でも、運に頼らず実力で勝負できることはないかなと探します。もしくは、来るべきついているときのために、今は自重しておこうって。

ついているときは、いつも考えていることを実践するとき。ついていないときは、こつこつと仕事するときって気分的にメリハリをつけるようにしています。

いつも勝負、いつもこつこつではなく、メリハリをつける。単調な毎日を楽しみながら、かつ、アウトプットの質を高める一つのコツであり、楽しみ方だと思ってます。

運命に委ねるのではなく、運ちうまく付き合っていく。目に見えない、よく分からない運と遊んでいるんです。

あれっ、思ったより運が早く過ぎ去っちゃったなぁとか、今回は、結構長く居座っているなぁとか。結局は、仕事しているわけなんですが。

運の総量が一定なんて、信じません。それじゃ、つまらない。つかまない人よりもつかもうとした人の方が運を多くつかめる! つかまなくっちゃ損です。そう考えれば、単調な毎日もそれなりに楽しめますし、継続力につながります。






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挑戦後の我慢と普段

何かを始めるときは、まさに挑戦であろう。挑戦とは、勇気である。いや、馬鹿になることかもしれない。なりきって、演じきって、突き進む。まぁ、もちろん、大小加減はあるでしょうが、挑戦とは、意識的に行動を起こすことである。

挑戦の時期が、ある程度続くとそれは挑戦ではなくなる。人は、なりきることも、演じきることも、突き進むことも意図的に行動を起こすことも飽きてしまう。そのときに、人は、「その行動が意識せずにできる普段の状態」になるか、「その行動を継続するために、我慢という意識・感情で維持する状態」になるかのどちらかではないだろうか。

普段の状態か、我慢の状態か。挑戦を成功するかしないかの境界線は、実はここにあるのではないかと思うのです。

挑戦しているときは、気持ちが高まっているでしょう。その高まった気持ちがあるときに、結果が出れば成功率は高いかもしれない。しかし、高まった気持ちは冷めていく。しかたのないこと、静まった気持ちが我慢になるか、普段になるか。どちらに転ぶかは、それこそ誰にも分からない。我慢となれば、やがて消えていくだろうが、普段になれば、いつか結果が出るかもしれない。同じ状況でも、我慢となるから結果が出る前に、諦めてしまうことが多いような気がする。

つまり、成功するため・結果を出すためには、いかに、我慢せずに普段となって継続するかだと思うのです。

では、我慢を普段に変えるには、我慢にならずに普段とするには...

好きになる! でも、好きになれなかったら、逆に余計なことを考えないこと。好きになれればそれでよし。好きになれなかったら、逆に考えないこと。考えないことの難しさ(笑) でも、考えないこと、無感情に何かがある。普段とは、なにも考えないことなのだから。

成功したい、結果を出したいという気持ちをなくすことに、成功する、結果を出す秘訣がありそうです。難しいですけど。





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気合い入れて... 気持ちを込めて... 集中して...

仕事でも、クラブ活動でも、「気合い入れて...」 「気持ちを込めて...」 「集中して...」という言葉が用いられることが多くないですか?

当たり前のように、コーチや指導者、上司が、投げかける言葉。

しかし、具体的に、気合の入れ方や気持ちの込め方や集中の仕方を教えてはくれない。

自分なりに考え、行動しているのではないだろうか。日本人に多い指導方法だと思う。

これらの言葉、実は、コーチや指導者、上司の力量不足を照明する言葉なのである。本来であれば、具体的に、所作や行動ややり方を教えることが望ましい。しかし、その具体的な指導ができないからこそ、「気合を入れてとか、気持ちを込めてとかという抽象的な概念を持ち込むのである。

アメリカなどでは、このような指導方法は少ない。あくまでも論理的な指導、確率論的な指導に徹している。

そして、自分自身がそう教えられてきたので、指導者になっても同じことを繰り返す。

抽象的な指導は、指導者が指導することができなくなった証拠でもある。

勝負をビジネスも気合いとか根性では語れない。きちんと、論理的な思考の上に気合いとか根性があってもいいと思うが...

いかがでしょう。こんな言葉、言っていませんか?



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指導者としての3か条

体罰の是非が話題になり、体罰は必要ないということも強く言われ始めました。大人として、指導者として統制・統率のスキルが必要とされることになります。単に、経験者だから、実績があるからという理由だけでは、指導者になれない時代がやってくると思います。

そこで、指導者としての3か条を考えてみます。

1.達成感を感じさせる

子どもや選手に、達成感を感じてもらうこと。まずは、小さなことから。指導した、教えたことに近づいた、一部でもできたときに、褒めることから。そして、評価してあげることに。子どもや選手が、どうすればいいかを確実に理解させる。もちろん、指導ポイント、教える内容が正しいことが前提になりますが。ときに多少、大げさに褒めて、評価してげることが効果を高めることが多い。


2.失敗したときに失敗したことを認識させる

指導していく中で、最初からうまくいくことなんてありえない。失敗の連続が当たり前。だからこそ、失敗することを当たり前と軽視させてはいけない。失敗を失敗と認識させてあげることが指導者の本当の役目であり、責任です。ここで体罰という手段を使うケースが問題になっているのです。子どもたちや選手は、失敗は、認識させてあげればそれだけでも嫌なこと。つまりは体罰を与えなくとも同じ効果を挙げられるはずなのです。失敗したこと、失敗していることを単に流すのではなく、本人に認識させる。そして、フィードバックさせて、改善するアイディアを考えさせる。もちろん、そんなアイディアでうまくいくとは思えないでしょうが、考えること、嫌なことを克服しようとする姿勢が大事なのです。もし、失敗が認識できない場合、認識してもアイディアが出てこない場合は、時間をかけて認識させてアイディアを出させる。体罰ではなく、コミュニケーションと時間をかけるしかない。


3.我慢する

うまくなる、上達する、教えたことができるようになるには、時間がかかる。できるまで我慢すること。我慢できることこそ指導者の資質だと思うのです。我慢することは辛くて嫌なこと。だからこそ、早く達成できるように新しいアイディアを出せるようになり、研究するようになり、コミュニケーションをとろうとする。これしかない。これができない人は指導者になれない。

いろいろとあるでしょうが、小生はこの3つに要約できると思います。

指導者たるもの、技術的にうまいだけでは成り立たない。スポーツだけでなく、ビジネスでも学校でも組織の中、社会の中にいる以上、指導者は必須です。指導する方もされる方もこの3か条を共有できればきっといい結果に結びつくものと思っています。もちろん、これだけではダメでしょうが...


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IT化で効率化というけれど、笑顔がなくなる現場でいいのか?!

IT化で、業務の効率化が図られるのは世の常となっています。人が携わっている仕事がコンピュータや機械に奪われていく。高額な人件費を初期投資と電気代という安価な費用で高品質な業務に変えていく。企業の経営者からすれば、当たり前の動きである。

しかし、社会全体を考えれば、雇用が減り、給料が減り、消費が減り、企業の売上も減るという悪循環、悪のスパイラルに陥る。その社会の中でも、数少ない生き残る産業や会社にすがっているのが今の日本なのかもしれない。

そんな大きな社会の話ではない。会社の現場、職場でも人が減り、パソコンとにらめっこする時間が長くなり、人と人のコミュニケーションがなくなりつつある。これが当たり前になりつつある。

概して、人と人のコミュニケーションでさえ、ITやネットを介する。その方が便利であるかのように見える。事実、確かだろう。

職場や現場に、笑顔がなくなる。会話がなくなる。これでいいのか。まぁ、逆に一人で笑っているのも怖いけど...

笑顔がない仕事に明日はあるのか?

それも仕事といえばそれまでだが、どこかで笑顔を欲しているともいわれている。

上司、同僚、部下とのコミュニケーション、お客様、業者の担当者とのコミュニケーション。コミュニケーションというよりは、笑顔の交換が足りない。

職場の環境との現実。社外の人との接点の少なさ、減少傾向。笑顔が生まれる要素が減っている。余裕やゆとりがない。その中で、自分から笑顔を作りたい。笑顔を交換したい。そのために、笑顔を出すために、楽しもうとするスイッチが必要だと思うのである。

現実を見ているだけでは、滅入るばかり。その中でも楽しもう、楽しんじゃえという気持ちのスイッチをオンにしたい。どうせやるなら楽しまなくっちゃ! 日々の仕事でも同じじゃない。昨日より今日。今日より明日。様々な尺度で測っちゃえ! 図れば、比べられる。比べれば良くしようと思える、良くなればうれしい、楽しい。仕事の達人って、こんなことを実は実践しているのではないかと思うのである。

楽しもうが笑顔につながる。笑顔が出れば。周りが変わる。笑顔が増える。笑顔を増えれば笑顔の交換ができる。交換できた笑顔は、また笑顔につながる。

ITに埋もれる仕事場だって、そうではない仕事場だって、仕事に尺度や定規を当ててみる。図ってみる。なんだかぼんやりあやふやのまま進めているのではなく、きちんと小さな成長や上達が認識できるように変えてみる。まずは、気持ち。そして、笑顔につなげる。笑顔を作ろう!

業務の効率化が求められるが、笑顔をなくす効率化はダメだと思う。経営者や上司、管理者は、このあたりを考えていかなくてはならない。数字を追うのは当たり前。そこに、笑顔を生み出す方法を組み入れる。漠然とした仕事から、きちんと整理した仕事にするのは上司の役目。効率化の中にも整理が必要である。

うまく表現できないけれど、人はうまくなる。上達する。そこに喜びや意欲が生まれる。機械と人を同じ土俵で競争させてはいけない。そんな気がしてならない。




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