小さな村の指導者の選び方

2016年10月31日 06時03分13秒 | 社内事情
私の村の区長さんは選挙で選ばれる訳ですが 
 
これ大変面白い事に立候補者はありません 
 
つまり誰も立候補しないのに選挙が行われる訳です。 
 
どうしてそうなのか? 
 
この理由を聞くと 
 
今の民主主義のシステムの問題が浮き彫りになります。 
 
どうして立候補が禁止かと言うと 
 
立候補するような人間は村の指導者にはさせない 
 
って話しです。 
 
つまり 
 
立候補するような出しゃばりにはロクな人間はいない 
 
そんな空気が漂ってる訳です。 
 
実際に立候補はしませんが 
 
区長になりたくて裏工作をした人はたくさんいたそうですが 
 
悉くアウトだそうです。 
 
本当に選びたい人は立候補しない 
 
この小さな村の常識 
 
これはもしかしたら国レベルでも同じだろうと思います。 
 
実際に私も地方レベルの議員さんは直接知ってる人がいますが 
 
まぁ人格的に問題がある人 
 
多いですね。 
 
特に都市部の地方議員は人格より経済力 
 
これがなければ選挙運動もできませんから 
 
逆に言えば 
 
金儲けで失った評判を 
 
議員という看板で補う 
 
そんな風に見える人もたくさんいます。 
 
私自身は政治には距離を置いていますが 
 
一つの理由は 
 
この政治家と言う職業が好きになれないからです。 
 
が 
 
自分が好きじゃ無いからと言って政治家を見下してる訳ではありませんよ 
 
ウチの村のように立候補もしないのに選ぶ事はできませんから 
 
少なくとも誰かが立候補しなければならない訳で 
 
例えそれがどんな動機であれ 
 
立候補しない私に責める資格はありません 
 
資格はありませんが 
 
選びたくない人が立候補する 
 
これが今のシステムですから 
 
どうしても欠点が目立つ訳です。 
 
この欠点 
 
どうすれば補えるのでしょうかね? 
 
そのためにはまず 
 
私の村の区長選挙と 
 
その他の選挙の違い 
 
これを理解する必要がありますよね。 
 
私の村で立候補もしないのに選挙ができるのは 
 
村の人間はお互いよく知ってるからです。 
 
ところが県会議員や国会議員になると 
 
立候補してもらわないと 
 
全く知らない人ですから投票のしようがありません。 
 
立候補する人は基本的に自己顕示欲が強い人が多い訳ですから 
 
いまいち身近にいると好きになれない 
 
にも関わらず 
 
私達は選挙演説やなんかのように 
 
飾り付けた言葉だけを材料に選ぶ訳です。 
 
この違いは大きくて 
 
結果 
 
身近な選挙は人格者が選ばれますが 
 
そうでない選挙は 
 
極論すれば 
 
芝居上手が選ばれる訳です。 
 
これでは政治家の質は上がりませんよね。 
 
猪瀬さんやら桝添さんはまさにテレビでの露出度が高くて選ばれた訳ですが 
 
テレビは取り繕えますが 
 
政治はお金に対する思いが出ますので 
 
失脚って訳です。 
 
この二人 
 
都知事にはなれましたが 
 
うちの村の区長にはなれません。 
 
そんな視点から見ると 
 
私は今の民主主義のシステムの欠点 
 
これが良く見える訳です。 
 
まぁしかしこの欠点 
 
改善の方法は無さそうに見えますよね 
 
アメリカの選挙人システムに詳しいわけではありませんが 
 
多分あれは選挙のそんな負の側面を意識して出来上がってるんでしょうね。 
 
直接候補者に投票するのではなく 
 
身近な選挙人を選ぶ訳ですが 
 
どうもそれもいまいちすっきりしませんよね。 
 
形骸化してるように見えます。 
 
そんな訳で 
 
私達は選挙では人格者を選びたい訳ですが 
 
選挙で立候補する人には 
 
滅多に人格者はいない 
 
このジレンマ 
 
多分永遠に続くように思います。 
 
であれば絶望的? 
 
ではありませんね 
 
実際には私の村のような小さな集団では人格で治める事ができますが 
 
これが市だとか県だとか国レベル 
 
ここでは人格だけでは務まりません 
 
実際に沖縄の翁長知事は過去の政治姿勢と今は180度変わったように見えますが 
 
それでも平然と誠実な人間を演じる 
 
これができるから沖縄の知事が務まる訳です 
 
これが 
 
過去の自分の発言にとらわれると 
 
とても辺野古反対なんて口にできません。 
 
また桝添知事も 
 
自分の事は棚に上げて猪瀬知事のお金の問題を追及する 
 
そんな人間だから都知事になれるのです。 
 
自分がやましいから人は攻撃できない 
 
なんて人はとうていなれない職業です。 
 
そんな感じで 
 
組織が大きくなれば 
 
それをまとめるのは 
 
人格から演技力 
 
あるいは狡猾さや卑劣さ 
 
こんな物が求められる訳です。 
 
途上国ではそれに加えて 
 
残虐さ 
 
なんてのも重要な要素です。 
 
フィリピンの大統領やら金正恩なんてのは 
 
平然と人殺しができるから務まるのです。 
 
ですから 
 
組織が大きくなれば 
 
ある意味卑劣な部分が必要になりますから 
 
それが嫌であれば 
 
絶対に人の上に立つべきではありませんね。 
 
この原理は企業も同じですから 
 
私自身の能力から行けば 
 
零細企業が限界って訳です。 
 
 
ジャンル:
アパート・賃貸・不動産
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