気紛れ貴婦人願望バーバの徒然草~カムイミンタラに憧れ、悠々自適人になりたい

ご訪問いただきありがとうございます。安政の探検家松浦武四郎足跡を訪ね、音楽と自然、いにしえのロマンを愛する旅人です。

道南の中世ロマンを訪ねる:その3茂別館跡と開拓使煉瓦製造所跡

2016-07-27 17:49:15 | 旅行
渡島半島の史跡を訪ねて、北斗市矢不来にある安東氏の館である茂別館跡の石碑を2012年、2016年3月に訪ねた。
4年前に訪ねた時には史跡にある矢不来天満宮境内に朽ちた材木が、ブルーシートに包まれていたので確認したいという思いもあった。再訪では、真新しい鳥居に改修されてあった。
また、この天満宮の守り神は牛なので天満宮と神社の区別がつかない私には解明不能。
天満宮鳥居前の茂別館跡石碑など(鳥居は天保十一年庚子五月吉日と刻まれている。)

新天満宮鳥居と牛


肝心の「茂別館跡」については天満宮鳥居の手前に石碑と説明版がある。
説明版
『茂別館跡は、嘉吉三年(一四四三)津軽十三湊城主、安東太郎盛季が館を造ったのに始まるといわれ、南の大館と北の小館から成っている。
大舘は西は茂辺地川岸に面し、南と北は自然の沢で切られ東は空濠を巡らしている。
また、小館は西は茂辺地川左岸の崖地で、他の三方は自然の沢を利用し、更に土塁を設けている。
北海道の室町時代の和人の館跡のうち、志苔館跡・大館跡・上之国勝山館および上之国花沢館の四件はすでに指定されているが、今回これで、茂別館を加え、蝦夷島中世史の解明に資そうとするものである。
   文部科学省・北斗市』と説明があり、板の左側には茂別館跡の図面に大館・小館のマップが書かれている。
指定月日 昭和五樹七年七月三日
因みに、第一回目は茂辺地川側から進んだ。(写真は2016年)川の対岸の小高い山に茂別館跡
がある。
満宮の裏参道からの入ることが出来、その裏側に「開拓使茂辺地煉瓦製造所跡」という木柱と説明版がある。
裏参道

説明版

説明の中に、この煉瓦製造所で作られた煉瓦が函館の元町公園内の「旧箱館支庁書籍庫の建物の外壁に残っている。
明治七年の刻印があるので、この煉瓦を探す。
煉瓦製造所跡は林の中
木柱


旧函館支庁書籍庫の建物と煉瓦の写真(煉瓦は逆さに刻印されていた。写真が逆さなのではありません。煉瓦を張る時に逆さ・・・のままなのです)


北斗市の煉瓦製造所と函館の旧支庁とのつながりです。歴史は面白い・・・と感じた。また何か発見できそうです。
私の史跡探訪は歩けるうち続くと自分に激で鍛えてます。