青空世界

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ヘロデ王の死

2017年04月25日 | Weblog
今日は、キムジョンウンが核ミサイルを発射したらどうするかとTVがかまびすしい日です。

「×××いに刃物」ならぬ「キムジョンウンに核ミサイル」状態で、世界がこの

とっちゃん坊やの劇場型、劇画型、漫画型言説に呆れかえり、中傷し、嘲笑しています。

猜疑心の塊である彼は、次々に身近な者達を殺害し、身内にすら手にかける危ない状態で、

その恐怖心は彼を過食症にして、その身体を130Kgにまで肥満させ、

養豚場を視察すれば「友達」と揶揄される始末です。


しかし雲には、彼が現代のヘロデ王のように思えるのです。

猜疑心の塊の暴虐の王ですが、その死に様を読んだ時、衝撃を受けたのです。

暴虐のヘロデ王は実在し、その死は史実だったというのです・・・・・

以下部分転載
http://www.igmtokyo.com/sermon/2014/07/sermon140720.html
礼拝メッセージ インマヌエル中目黒キリスト教会

使徒の働き 12章11-25節
ヘロデの慢心と急死(20-23節)

「さて、ヘロデはツロとシドンの人々に対して強い敵意を抱いていた。
そこで彼らはみなでそろって彼をたずね、王の侍従ブラストに取り入って和解を求めた。
その地方は王の国から食糧を得ていたからである。

定められた日に、ヘロデは王服を着けて、王座に着き、彼らに向かって演説を始めた。

そこで民衆は、『神の声だ。人間の声ではない。』と叫び続けた。

するとたちまち、主の使いがヘロデを打った。

ヘロデが神に栄光を帰さなかったからである。

彼は虫にかまれて息が絶えた。」


・和解式典で急死:
その賄賂が前提となって、ヘロデとツロ、シドンの人々との和解が成立し、和解の儀式が盛大に行われることとなりました。
何事も派手好きなヘロデにとってこの儀式は、その生涯を飾る華のような位置づけでした。一説によれば、この式典は、ローマ皇帝クラウディオの誕生日祝い、または、
皇帝のブリテンからの帰還を祝う式典であったとも言われています。
いよいよ、式典の日がやってきました。
ヘロデはきらびやかな(ユダヤ人の歴史家ヨセフスによれば、すべてが純銀で飾られた)
王服を着けて、内外の大勢の高官たちが列席している中、
円形劇場にしつらえられた王座に着き、ツロ、シドンの人々に向かって演説を始めました。恐らく自画自賛の業績報告とか歯の浮くような美辞麗句の連続だったことでしょう。

彼が演説を始めたとき、
「私たちを憐れみ給え。」とか「あなたは人間を超えた存在です。」
という声があちこちから挙がったとヨセフスは記しています。
ルカは、民衆が
「神の声だ。人間の声ではない。」と叫び続けたと言います。実質は同じです。
しかし、もしヘロデに常識のかけらさえあったならば、
「みなさん、誉めてくださるのは嬉しいが、
その讃美は私個人に向けられるべきものではなく、神にのみ向けられるべきものです。」
と語ったことでしょう。
しかし、ヘロデはそれを行わず、内心ニマっとしながらその賛辞を受けたのです。
その時です。多分サソリのような虫が彼を噛み、ヘロデは亡き者となりました。
ヨセフスは、その時ヘロデは彼の頭上にフクロウが止まったのを見て衝撃を受け、
内臓の障害を得て死んだと記録しています。
いずれにせよ、恐ろしいことです。
ヘロデは7年間の治世の後、AD44年に死にました。享年は54歳でした。
その後、彼の領地はグーンと狭められて、子供たちに受け継がれます。

     肝心のユダヤは、再びローマ帝国の直轄となります。


以下転載
http://socj.org/toyoake/message/glory.html
 
 glory

【ヘロデについて】
 今日の聖書宣教の聖書箇所からヘロデという人物について注目してみたいと思いますが、聖書の中に「ヘロデ」という名前の複数の人物が出てきます。
最初に出てくるヘロデはイエス様が生まれた頃ユダヤの王として即位していた人物で
「ヘロデ大王」と呼ばれています。
彼が幼子イエス様を殺そうとしたことでイエス様一家はエジプトに下っていって、
ヘロデ大王が死ぬまで、エジプトで生活をされたということが、
マタイの福音書2章書かれている記録です。

 また、マタイ14章1節にはイエス様の噂を聞いて
「バプテスマのヨハネがよみがえったのだ」と言っている「国主ヘロデ」という人物が登場します。彼は、ヘロデ大王の4番目の妻が産んだ子供で「ヘロデ・アンティパス」という名前の人物です。
イエス様が十字架に掛かられる前にエルサレムでの尋問をしたのがこの人です。

 そして今日の聖書箇所に登場するヘロデ王は
ヘロデ大王の2番目の妻による孫で、「ヘロデ・アグリッパ」という名前の人物です。
ヘロデ・アンティパスから見れば「甥」という関係になります。
このようにヘロデは王の家系で、随分多くのイスラエルの王様が彼の身内から出ています。

権力的には大きな影響力があったようです。
しかし、人格的な事に注目して聖書の記述を見るとイエス様を殺そうとしたり、
バプテスマのヨハネを殺したりしていることから見られるように、自分に対して協力的ではないと判断される、敵対者に対する残忍さはヘロデの家系には見受けられる特徴のようです。

 使徒の働き12章1、2節には
「そのころ、ヘロデ王は、教会の中のある人々を苦しめようとして、その手を伸ばし、
ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。」とあるように、
ヘロデ・アグリッパもやはり同じような性格を持ち合わせていました。

ヘロデの残虐さはそれで終わるのではなく、12章3節にあるように、
次にペテロにも手をかけようとしました。
しかしこの時ペテロは御使いの導きによって牢から出られたのですが、
その責任を番兵達に負わせ、ヘロデは彼らを処刑するように命じています。

そしてこのような出来事があった後の記録が今日の使徒の働き12章20節からです。

【ツロとシドンの人たち】
 ヘロデの残忍さはその当時多くの人に知られ、恐れられていたことでしょう。
20節に「ツロとシドンの人々に対して強い敵意を抱いていた」とあります。
そうなると彼らもヘロデ王の標的にされないとも限りません。

ツロとシドンの地方は当時ローマの統治によるシリヤ州に属する地中海沿いにある町です。そして20節の後半にあるように、この地方は王の国から食料を得ていました。
このまま王から敵意をいだかれたままだと、彼らの食料の確保についても怪しいことになってしまいかねません。
ですから人々は和解のためにエルサレムまでの長い距離をやってきたということです。

 ここまで見てきたヘロデ王の姿からは指導者としての良い模範を見ることは出来ないでしょう。
人々がリーダーシップに対する恐れから従うのは健康な状態とは言えません。

ヘロデが王としてその地域を治めていたとはいえ、彼が王として立てられていたのは、
世襲によるヘロデ家に属していたということと、人々が彼らに反発することから
自分に向けられるであろう被害を恐れて選ばざるを得なかったということが言えると思います。

【ヘロデのさばき】
 そしてそのような悪王ヘロデに対して今日の箇所で、神様からのさばきがくだったというように見なすことが出来るでしょう。
多くの人々を目の前にしてヘロデ王は演説を始めました。
その演説を受けて民衆は
「神の声だ。人間の声ではない」と叫び続けたとあります。
この表現自体が、ヘロデ王のご機嫌取りのお世辞と見なすことが出来る表現と思いますが、23節の表現によると、
この後「主の使いがヘロデを打った。ヘロデが神に栄光を帰さなかったからである」とあります。
彼が打たれた理由について「神に栄光を帰さなかったから」ということです。
ヘロデ王は「神の声だ。人間の声ではない。」という民衆のことばをニコニコしながら受け取って、そのようにいわれることを快しとしたというなのことでしょう。
彼は自分が「神」と呼ばれることについて恐れの感覚はなく、かえってそれを歓迎しているということで、
ここに明らかか高慢な姿を見て取れます。
そのような彼の態度に本当の神様からのさばきがくだって彼がいのちを落としたということになります。


【ヨセフォスの古代誌より】

 実はこの出来事について、聖書以外の記録からも、同様のものが見られるので今日はそれも紹介したいと思います。

ユダヤ人の歴史家ヨセフォスという人がいるのですが、その人の記録した
「古代誌」というものの中に次のような記録があります。

「この行事には彼の支配領域内の指導者達が出席しており、

明け方、彼がきらめく銀色の衣服を身にまとって円形競技場に入ってきた。
すると、朝日の光がその衣に当たって、驚くばかりキラキラときらめき、
その輝きはそれを見つめる人たちに一種の畏怖の念を起こさせた。

すると、彼のご機嫌取りたちが彼を「神」と呼んでこう言った。
『どうか、我らにあわれみをかけてください。
もし我らがこれまであなた様を人として恐れていたのなら、
今後あなた様を死ぬべき人間以上のお方としてお認めいたします。』

そして、王は彼らのこのような称賛のことばを否定することなく受け入れた。

その時王が上を見上げると、一羽のフクロウがロープにとまっているのを見た。

王はそれをわざわいの兆候と思ったところ、その時彼は激しい腹痛に見舞われた。

彼はすぐに宮殿に運び込まれたが、五日間の苦しみの後に息を引き取った。

享年54歳。治世7年目のことであった。」

 微妙な表現の違いはあるものの、基本的に同じ出来事をそれぞれの表現で書き記したということが言えるでしょう。
これらの一致はこの出来事が歴史的な事実であったことを証明しているものです。

 ヘロデが息を引き取ったときの表現で聖書は「虫にかまれた」と書かれていますが、
どんな虫にかまれたら死に至るのかと不思議に思われる方もおられるでしょう。

しかしこの「虫にかまれる」というのは慣用表現で、実際に虫にかまれたわけではなく、
特に悲惨な最期を遂げた人に対するそのいのちを落とした時の表現として用いられていたものだそうです。

以下一部引用転載
http://blog.livedoor.jp/yoshihirano/archives/51635210.html
聖書翻訳について

原語は1語で「スコーレーコブロートス」という形容詞です。織田ギリシア語小辞典によると、(スコーレースク)、長虫+(ビブロースコー)、食う、から成っている語で、
虫に食われた(食われて)、寄生虫に冒されて」という意味のようです。
なお、参考として「scolex」という語は動物学で条虫(さなだむし)の頭節を指す学術用語であるとの記載もあります。

これまで、毒虫にかまれて毒が体に一瞬に回って死んだのかな、というイメージでいたのですが、そうではなくて、虫に内部から食われたというのが、この言葉の意味に近いようですね。そうすると、虫にかまれてばったり倒れて死んだというのではなく、じわじわと苦しんで死んだのかもしれませんね。

岩波書店訳の注によると、ヨセフスの「古代史」によれば、
ヘロデ王はカイサリアの劇場でローマ皇帝の安寧を祈願する祭りをしていた時、
自分に対する「神よ」という呼びかけを斥けなかった。
その直後に、心臓に刺すような痛みを覚え、その痛みが全身に拡がって、
五日目に死んだと言われる、そうです。
ジャンル:
文化
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