青空世界

ようこそ「雲のサロン」へ。
創作物語、日々の面白い出来事や、私の考えなどなど。

立川サイキック戦争

2017年03月19日 | Weblog
まともな国ならば、こんな犯罪組織を見て見ぬふりをしないはず・・・・・・・・

まともな国ならば、こんな犯罪組織を選挙に利用しないはず・・・・・・・・

以下一例として「真如苑」の事例を上げましょう。

この世の地獄がここにありました・・・・・・・・・

吐き気を催す内容ですが、カルトにやられている人は、

これを見て、目を醒ましてください。


「聖☆お兄さん」も・・・考えものですね・・・・・・・


もう、こんな犯罪組織をのさばらせるのをやめさせる、法的措置を取らない方がどうかしています。

最高裁判事が首相のオトモダチで、

首相夫妻が統一教会で、

議員が色んな新興宗教で、

新興宗教を利用しているのがCIAで、

この国には、「宗教法人」というなんでもありの「悪魔の組織」を

作ることのできる法律があって・・・

        「信教の自由」ったって自由すぎるだろっ!!!!!


犯罪組織を摘発できる、日本国民を犯罪組織から守る、あたりまえの国にするために、

市民運動を展開し、まともな法律の専門家を産み出し、

目覚めて、声を上げ、1歩でも前に進まなければ、

このままでは誰も救われることはありません、


まともな宗教家の皆さんは、その声に答えて、

本気で、本物の神仏に祈り、活動してほしいと願っています。




以下一部抜粋 転載

http://toyoda.tv/shinnyoen.taiken.htm

● 伊藤真乗の長女 映子氏の証言

■ 長女・次女が告発 真如苑教主カネと女の乱脈

小誌八月三日号既報の通り、信者による暴行で、教主・伊藤真乗の長女は全治一週間の打撲傷、次女は三週間の入院を強いられた。
かつて四姉妹が君臨し、数多くの女優が入信する宗教として一見華やかな真如苑に、いったいなにがあったのか。
石もて教団を追われた長女・映子さんが、敢えて父の罪を告発する。


■ 真如苑は、映画「マルサの女2」のモデルになった教団だとか、お手当てを出して女優さんに教団をPRさせているとか言う人がいます。
かつてそこに籍を置いた者として、それは信じたくないことですが、もし真如苑に問題があるとすれば、それは、
「教主である父親の異常なほどの性欲と、 お金への執着心」が原因です。

七月十九日に亡くなったばかりの父親をそこまで言うのは、何も父が惜いからではありません。
父の後桧者である私の妹たち,信者たちに目覚めてほしいからこそなのです。

教主は教団の台所を担当する女性を総ナメして、まるで大奥のようでした。

古参幹部のKさん、私の息子の乳母役だったKさん、それにその後父が再婚した松島文枝さん……、数えあげればキリがありません。


■ 母の死で金銭感覚が一変

金銭感覚も、母が亡くなった後ではまったく変わりました。

教主の誕生祭(三月二十八日)には、万単位のお金の入った熨斗袋がお祝いとして信者の方々から入って来ました。
母の生前は、それはすべて、いったん教団の財務(会計)に入り、後でその一部が父のところに届けられましたが、
母の死後は、父はそれに不満を鳴らすようになりました。

▼「真如苑に入ったものの中からもらうんじゃおもしろくない。
誕生祭のお祝いなんだから、まずオレがもらうんだ。そこから財務にやる」


父は自分のベッドの下に井村屋のダンボール函を置き、その中に札束を入れるのが癖で、

▼「映子、見てみろ。今年はダンボール何函だ」

その中から逢瀬のホテル代を抜き出したりしていました。


後に周りから再婚に反対された時のこと、教主は旅行カバンに札束を詰めて、

▼「皆が反対するから、オレは家を出る」

そうして裸足で出て行こうとしたこともありました。


当時信者数は15万人ほどでしたが、宗教団体というのは有力な「票田」です。
中でも本部のある立川市には信者が多く、例えば立川市議会議員などの選挙は金儲けの絶好のチャンスで、"票を売る"のが通例でした。
選挙が近付くと教主から指示が出ます。

▼「Nは百万円出すと言うから、Hには150万円要求しろ」 

それでH陣営がその通り出すと答えると、 またN陣営に連絡します。
それも水増しして、

▼「Hは二百万円出すと言っているがお宅はどうしますか」

そうして吊り上げておいて、投票直前に高い方に信者の票を売るわけです。
それでも、開票速報を見ていて、推薦した候補が危ないことがあります。
すると、教主はその候補に電話をかけてしゃあしゃあと、

▼「危ないようですな。いやあ、票は水ものですからな、 ハハハ」 

そうして票を売って得たお金は、すべて教主のポケットマネーになりました。


一度、夫が
「教主様、そんなことなら、事務局から一人立候補させたらどうですか」
と言ったことがありましたが、

▼「幹司は若い。そうしたらお金が入らなくなるだろ。オラ知らね」
 
"オラ知らね"というのは山梨弁で、父の口癖なのですが、父にとって宗教は商売のタネだったようです。

■ 「添い寝させられた娘たち」

父の気に入る人が居ないので、とりあえず元女優で信者のWさんに“面倒”をみてもらうことになりました。
けれど、母が亡くなって間もない時期に子供が出来たら、信者に言い訳ができません。

それで、「お父さん、子供が出来ない様にしてもらえませんか」と頼むと、父は、

▼「お前たちはそんなもの(避妊具)を使っているのか、そんなんじゃダメだ」

仕方なく、もしも父の子供を宿したら、Wさんと私の夫の間にできた不倫の子として堕胎することに決まり、手術はかかりつけのT医師の病院でする手筈にまでなっていました。
父の再婚相手が決まるまで、夫のいる私でさえも、添い寝の役をさせられたものです。




次女孜子の証言

「私とすぐ下の妹の真砂子も一週間交代で父の添い寝をさせられました。
父は『郷里の山梨では父親と娘が関係することもあるんだぞ』と、親娘のセックスを匂わせました。

当時、私は婚約中で、その相手から、『親不孝と言われてもいい。教主様とだけはやめてくれ』と頼まれました。
幸い、そばに寝ていればいいだけで、肉体関係はありませんでした。
でも、父が夜中にお手洗いに行くたびに布団を直してやったり、時々起きて寝相を見てやったり、いくら娘でもそれは辛い仕事でした」

その後、末娘・志づ子の勧めで、友人のお母さんである松島文枝の名前が上がりました。
父は大変乗り気でした。
父とその女性の初デートの日---。
当日は私たち夫婦が同行することになっていましたが、大雪で電車も車も動きません。
それでも、教団本部のある立川から電車を乗り継いで、なんとか東京駅に着き、近くのホテルまで連れて行きました。

▼「お前たち、映画でも見てこい」

父は上機嫌です。
しばらくして迎えに行くと、

▼「映子、ありがとう。文枝とは切っても切れない仲になった。本当に感謝しているぞ」

それは母の一周忌も済んでいないうちのことでした。

母の友司は、心臓発作で死んだことになっています。
しかし、実際は「後退性鬱病」といった症状で、少しずつ衰弱していきました。
はっきり言って、母は父の女性問題に悩んで体を悪くし、死んだのだと思っています。
女性に走る父に「お父さん、お父さん」と、か細い声で呼び戻そうとしていた母の声が今も耳に残っています。

昭和四十二年、母はべッドで休むことが多くなりました。
ある日、母が休んでいる部屋から父の怒鳴る声が聞こえてぎたので、私と夫の幹司の二人で駆けつけました。
すると父は、

▼「三月以降、何方月も妻の役目を呆たしとらん。実家に帰れ」

と怒っています。
病気で衷ている母に、父は無理に関係しようとして拒否されたらしいのです。
その時、父は六十一歳、母は五十五歳でした。
夫がたまりかねて、「教主様、それは苑主様(母のこと)がご病気ですから」とかばうと、父はさらに逆上して、あろうことか、

▼「映子、見てみろ。幹司と母親は親子丼だ!」

と言って、母に、「ヤカン」を投げつけます。
そんな夫を見て情けなくなった母は、
「お父さん、この年になって孫もいるのに、実家に帰れないでしょう」
そう言いながら、涙を溜めた目で父をじっと見つめていたものです。
母の死後、性欲を抑えきれない父に、当時ピンク女優として映画に出ていた女性を寝所に送り込んだこともありました。


■ 「教団に頭は二つ要らね」

教団に追い出されてから、私たち夫婦は生活に困りました。
手元には私の退職金が1140万円あるだけ。
夫は追放処分ですから退職金はゼロ。
まず37坪の家を買い、電気釜から買い揃えなければなりませんでした。
夫が就職しようとしても、履歴書の「真如苑」が採用を妨害しました。
人事担当者が教団に問い合わせると、教団の人間が夫の悪口を言うのですから、それも当然です。
私の裁縫と編み物で細々と食いつなぐ毎日、 どれほど教主を、教団を恨んだことでしょう。



「次女の証言」

▼「姉が出て行ってから、父は、『妹たちが束になってもおまえの霊能にはかなわないから、お前に真如苑を任せたぞ』

と言っていました。
それなのに、私の力が教団内で強くなってくると

▼『教団に頭は二つ要らね。オラ知らね』

と私を追い出しにかかったのです。 
私は、城南支部があった奥沢(世田谷区)の土地と家屋(当時で5000万円相当)を退職金としてもらいました」

私たちは「闡提」(仏教用語で救われない弟子)の烙印を押されました。
けれど、私は教団に楯突いたことも無ければ、信心をやめる、と言った覚えも無いのです。
闡提と言うなら、亡き父に手を合わせに行った私と孜子に集団リンチを加えさせた真砂子と志づ子こそ、その言葉がピッタリです。
父の後継者となった2人は、信者たちの行動の責任を取るべきでしょう。

父が亡くなった直後に父の恥部を世間にさらすのは、娘の取るべき道でないことは承知しております。
でも、8月28日の本葬が済むと、父は教主から教祖となって崇め奉られてしまうのです。
 私たちの真意を、信者の方にもわかっていただけると良いのですが。





「次女の証言」

「財務を見ていた母が亡くなってからは、教主のお金に対する考え方が変わりました。
私にこう言ったこともあります。

▼ 『オレはもう宗教家でなくていい、宗教屋で』。

信者さんから歓喜(真如苑独特の用語で寄付の意味)を受ける態度も横柄になりました。

▼『おれは百万や二百万じゃ(歓喜する信者に)会わない。孜子代わりに受け取ってこい』

"長者の万灯より貧者の一灯"という諺は、真如苑には適用しなくなっていたのです」

43年の暮れになって、父親の再婚話で、教団幹部を巻き込んだ騒動が持ち上がりました。
強硬に再婚に反対した孜子は父親から勘当を言い渡され、真砂子と志づ子は家出してしまいました。
私も再婚には反対でしたが、長女の私まで出て行ったらお父さんが一人ぼっちになってしまうと思い、夫とともに教団にとどまりました。
しかし、結婚に反対しない私たちに教主は

▼「文枝と結婚させてくれないのはヘビの生殺しと同じだ」

の一点張りで、次第に私たち夫婦を疎ましく感じるようになったようです。
44年9月、当時、教務長という教団ナンバー2の夫に内容が知らされないまま"宗教裁判"が開催され、「義妹たちの風呂を覗いたり、暴行を加えたりした」という濡れ衣で追放処分が下されました。
もし本当に夫が、言われるような痴漢だったら、私は妹を狙うような男とは離婚したはずです。
しかし、夫の無実を信じた私は、教団を出て行く夫と行動を共にすることにしました。 

結局、教主の再婚話から生じた教団内のトラブルは、「伊藤幹司の痴漢が原因だった」と話題をすり替えて、妹たちを教団に戻しました。
妹たちも、自分たちがいない間に再婚の既成事実ができてしまったのを諦めていたようです。



押し問答の末、結局、映子さんと孜子さんのみが通用門から中へ入ったが、その直後、「中から"ギャーー"という女性の悲鳴や"ウォーー"という叫び声が聞こえた。
つきそってきた男性が中へ入ろうとするのを「真如苑」側の人間10数人がスクラムを組んで妨害。
脚立を立てて塀から撮影していた、姉妹に同行してきたカメラマンが "大変だ、中でやられている"と叫んだ直後、引きずりおろされ暴行を受けたので、それを撮影しようと近づいたところ、10数人の若い男に下半身を蹴りつけられ、その場に倒されてしまった。
何回も何回も 足蹴にされ、本当に殺されるのではと思いました」(本誌写真記者)


その際、カメラとストロボも壊されてしまう。
状況を危険と判断した同行の本誌記者が110番。
パトカーが到着したときには、映子さん、孜子さんはすでに 「二度とくるな!」の怒号を背に立ち去った後だったが、「真如苑」側の攻撃は今度は本誌記者に向げられる。
蹴りつけたり押したりの暴行を操り返し、駆け付けた警察官に向かって「こいつは悪いカメラマンだ」「オマエたちは悪魔だぁ~!」と叫ぶ始末。
あげくに教団側のビデオカメラのライトを記者に向け 「顔をかくすな!」
本誌の抗議に対して、「真如苑」側は後に、「長女、2女側のカメラマンだと信者たちが思ってしまった」(広報部長代理・西川勢二氏)と語っている。




3.「真如苑」四姉妹 教主が死んで骨肉の争い リンチ暴行事件

「不信心者に宗教が分かるはずがない、と言われればそれまで。
しかし、実の娘を父親の遺骸と対面させではいけないとは、
どんな宗教の教典にも書かれていまい。新興教団で四番目の信者数を誇る真如苑とは、一体いかなる教団なのか。
四姉妹と父・教主との確執は?」
* * *

その場に居合わせた目撃者たちの証言によると、暴行は次のようにして加えられた―――。

十九時十分頃、映子さん、孜子(あつこ)さん、映子さんの長男(19)らが本部前に到着。
守衛が「お焼香したいなら中へ」と脇門を明ける。
姉妹が門をくぐると、その直後に中から鍵が掛けられた。
そこには、六十人ほどの信者がいて、突然、二人はコンクリートの床に叩ぎつけられた。
孜子さんは頭を打って脳震盪を起こす。

映子さんが抱き起こそうとすると、信者たちは、「脳震盗の演技をしている」
別の信者は 孜子さんにツバを吐きかけて、腹部を中心に体中を蹴る。
二人が抱き合って互いをかばおうとすると、信者たちは二人を引き難してはまた蹴る。
映子さんの着物の袖は引きちぎられて、草履もビこかにいってしまった。


「もういいから帰らせて」と孜子さんが叫ぶと、「お焼香に来たんだろ」
そうして信者の集団は、焼香台ヘ二人を引ぎずって行った。
焼香台といっても、それは中庭に香台を置き、
台の上に白い布をかけただけのものだった。
やっとのことで二人が焼香を始めると、
「教主様を返せ。お前たちはどんな顔してお焼香できるんだ」
そして二人を取り囲み、
「教主さまを殺した!教主さまを殺した!」のシュプレヒコール……。




「次女・鈴木孜子の証言」

「母が亡くなる前の晩でした。
私が『お父さん、お母さんはもう長くないよ』と言うと、父は、

▼『おれにはこんないい娘が四人もいるから再婚なんかしない』

とはっきり言い切りました。
それが父ときたら、母の通夜になるともう、それも母の遺骸を前にしながら、

▼『女なら誰でもいいわ。早く再婚したい』

と言いだしたのです」
初七日もすまないうちに、父は私たち夫婦にこう頼みました。

▼「いいか、お前たちがオレに再婚を勧めたことにするんだぞ。
オレは再婚する気持ちはないことにしてな。
早く女を世話しろ」


また、母の本葬の日、父と夫の間でこんな会話があったそうです。

▼「幹司、お前いくつになる」

 「三十一歳です」

▼「若いな。お前、映子とうまくいっているのか?」

 「(夫婦仲の意味で)はい」

▼「お前たちなら毎晩でもできるだろうな。オレはもう我慢できないんだ」

夫は、これがすべてを捧げてきた教主様の言うことか、と信じられなかったそうです。


それで仕方なく私たちと最高幹部が相談して、先ほどお話した二人のKさん、同じく信者のIさん、順天堂大学病院看護婦のAさん などを候補に挙げました。その中でも、看護婦で教主の健康管理も安心して任せられるAさんが適任だとの結論に達しました。
すると父は

▼「おれはあんなバアアは嫌だ。相手は映子(当時34歳)より若くてもいいくらいだ」

と、言い出したのです。





真如教徒による暴行事件が述べられていますが、問題は暴行そのものに在る、と考えるのではなく、
「信者がそのように動かされている」という観点を持つことが大事です。マインドコントロールされれば、
おかしな論理も信じるようになりますし、結局は、教団の操り人形になってしまうのです。

そして2つ目は、「長女の夫が、義妹たちに痴漢行為を働いた」という部分ですが、まず、その結婚を許したのは教主である「伊藤フミアキ」ですが、
特長としている『真如霊能』が贋物でなければ、娘の「婿」になる者の本質も事前に分かるはずですし、のちに「痴漢」の症状を発症させたのも「
真如苑」である、と言うことができるでしょう。何故ならば、真如苑では「帰苑(参拝)するだけで浄まる」と謳っています。それが真実であるならば、
教主に最も近い位置で修養したと言われる長女、そしてその夫は「ずいぶんと浄まっている」はずです。(※「帰苑(参拝)するだけで浄まる」というのは、
カルトの手口「まず環境に引き込む」
であることは明白です) もちろん、「痴漢」そのものが、権力争いの為の、単なる「濡れ衣」である可能性は高いでしょう。
長女は、「形見分けをしてもらえないことは寂しい。せめて、焼香させてもらえませんでしょうか」と語っているようですが、真如苑としてはそれを許可するべきではないでしょう。
なぜならば、それをネタにして、長女・次女が「遺産の分配」を主張してくることが考えられるからです。

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*立川サイキック戦争

とは、真如苑の内紛によって教団を離脱した長女・次女がなんと創価学会に入信してしまった結果、真如苑側が創価学会を敵視。 創価学会側も自らの優位性を示す事例としてこの事件を利用したことによって対立が激化した。
内紛の影響もあり、かなり劣勢に立たされた真如苑であったが、70年代半ばになると霊能力者量産に成功し!!創価学会に逆折伏戦をしかける。
本土決戦の地である(真如苑の本部がある)東京立川近辺では壮絶なる宗教紛争が巻き起こり、後に吉田司はこの紛争を「立川サイキック戦争」と命名している。

1980年代には、幾度かにわたって仏法論争を公式を設けて行う「法論」が創価学会(OR日蓮正宗)との間でおこなわれた
(当時の文章を見る限りでは、仏法論争では創価学会に完敗
しており、どこかネット上にも落ちてた)が、結局、双方とも勝利を主張してうやむやに。

もちろん、今日では世間から忘れ去られており、立川も当時の戦乱のおもかげはなくなり、まともな人間が住める町に戻ったようである。
もはや戦後ではない。

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3.「真如苑」四姉妹 教主が死んで骨肉の争い リンチ暴行事件

「不信心者に宗教が分かるはずがない、と言われればそれまで。
しかし、実の娘を父親の遺骸と対面させではいけないとは、
どんな宗教の教典にも書かれていまい。
新興教団で四番目の信者数を誇る真如苑とは、一体いかなる教団なのか。
四姉妹と父・教主との確執は?」

* * *

「教主ざまを殺したのはお前らだ。どのツラさげてここに来れた」
「お前ら死ね~~」
「ギャー!」

七月二十日のタ方、東京,立川に教団本部を置く「真如苑」の聖域には怒号と悲鳴が渦巻いた。
その前日、伊藤真来教主(本名・伊藤文明)が心不全のため八十三歳で亡くなったばかりである。
この悲鳴の主は、かつて教団を追われた教主の長女・伊藤映子さん(56)と次女・孜子さん(49)。
父親の訃報を聞いて本部に連絡し、駆けつけると、遺骸との対面どころか、 信者たちに暴行を受けるハメになってしまったのだ。


よーするに性欲いっぱいの色情父親も、欲の権化の4人娘も、金欲しさ、権力欲しさに争い、紆余曲折して現在に至っている。
教団の歴史とかチリュウインでは教えるそうだが歴史なんて勝ったものが自分を正当化するために書くものと決まっている。
これだけ争ったこいつら全部同じ穴のムジナ。
カルトの頭になることはとってもおいしい。
三日やったらやめられないのは乞食と一緒。
誰が頭を取ったからと言って金集め人集めに走るのは同じ。


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真如苑概論

2 :匿 名:2009/11/10(火) 11:06:40
「真如苑」とは、あの創価学会が脅威としている、立川の新興宗教です。
接心修行という、霊能者を介した占いに似た修行があり、それが多少当たるので、みな、それにヤラれて、自らの思考能力を抜かれ、マインドコントロールされてしまいます。

教主は、昭和16年、真言宗・醍醐派正統の「大阿闍梨」となりましたが、
実態は、「世のインチキ宗教の典型」・・・ なので、そんな「権威付け」に、惑わされないことが大事です。
会費は小額ですが、護摩/施餓鬼 などで「徐々に経済的負担が大きくなっていきます」ので、
お金がもちません。 入信したらいつの間にかその気になり、
終いには▼「この教えでなければ不幸になる」「因縁にまみれ恐ろしいことになる」といわれ、
その「人間関係」を振り切って辞めるのは、並大抵ではありません。

真如苑は、「あったかい」です。 だから「破壊的カルト」には見えません。
カルトはカルトには見得ないのです。

信者には『良い行い』をさせていると錯覚させ、『利他』と称して教団勢力拡大を画策する偽善的団体。それが真如苑の実態です。

他のカルト同様、「不可思議な霊力」も在り、その力の発現の見返りとして「人と金と献身」を要求し、信者は骨を抜かれ、空ろな目の「奴隷」と化します。

破壊的カルトが破壊するのは、「人の心」です。 あなたも苑に入信すれば、オウム信者同様、異常なことを口走るようになります。真如苑は、創価学会に似ていますが、より「巧妙」です。 けっして近づいてはいけません。
「見せかけのすばらしい教え」に納得してしまうと、「取り込まれて」しまいます。



3 :匿 名:2009/11/10(火) 11:08:30
真如苑は他の宗教よりも遥かに上ですし、涅槃経を獲り入れた邪悪な仏教団体です。それと、霊能者になることを前提として入るわけではなく、ほとんどの方が始めはご利益が欲しくて入信されます。でもこれじゃいけないと考え、他の方を騙さしていただく。この思想に絡め取られたときに
狂信(→歓喜→大歓喜→詐欺師)
とつながれていくんです。
これはどのように行われるかというと、会座といって簡単にいえばシャーマンを通じて自分の心を見透かされ、狂信がはじめて稼動するので、筆記試験というのもないですし、マトモな心では絶対相承は不可能です。欺瞞をはいたり、自分の利益のために人を勧誘する心がなければ絶対無理です。
うちの母は、教えを盾に、威張るので、みんなから嫌われ、悪口ばかり、言われてます。しかし何故か大歓喜ですw。その程度のことなんです。
真如苑の誹謗、中傷がたくさんありますが、真如苑の根本は、偽善性です。