都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「李禹煥展 余白の芸術」 横浜美術館
横浜美術館(横浜市西区みなとみらい)
「李禹煥展 余白の芸術」
9/17~12/23
李禹煥の近作によって構成された大規模な個展です。展示作品は約40点ほどでしょうか。横浜美術館の展示空間は、かつてないほど大胆に変化しています。究極のインスタレーションです。
展示作品の配置は、李禹煥自らによって厳密になされたとのことですが、作品が生み出す空間の広がりや、その圧倒的な存在感からすると、全体的にやや手狭な印象を与えているように思います。李の作品の中でも、特に今回の展覧会に出品されたものは、どれも決して「作品自体の閉じた空間」とはならずに、それこそ前後左右の『場』を取り込むかのようにあるわけですが、それを充分に味わうためには、もっと作品同士に『間』があった方が良いでしょう。「関係項」シリーズこそ、美術館の余白的な空間を何とか上手く使い、その魅力をなるべく削がないように置かれていたとは思いますが、展覧会前半に並べられた「風と共に」と「照応」のシリーズは、作品同士が共鳴し合うと言うよりも相互に干渉してしまっていて、もしそれが李自身の意図だったとしても私にはあまり良いとは思えませんでした。もちろんこのように置くことで、逆説的に李の作品のデリケートさが伝わるわけですが、余白を主人公とするためには、さらにもう少しだけの『間』が必要だと言えそうです。
一方で、重い鉄板や石を直に床へ置くとカーペットが損傷してしまうという現実的な問題があったにしろ、会場の床の全てをコンクリート剥き出しにしてその上に作品を並べたことや、いくつかの作品を、一つの展示室に一つだけ展示するという、極めて贅沢な『場』を作ったことは、この展覧会の評価すべき点だと思います。また美術館で唯一、天井の高い展示室に並べられた「照応」シリーズは、それぞれが連鎖的に共鳴し合うかのようにあって、その伸びやかな開放感と、どこかザワザワとした揺らぎを見せながらも、ピーンと空気が張りつめたような緊張感を併せ持つ様を感じ取ることが出来ました。率直に申し上げれば、「これを会場全体でも味わえれば…。」と思ったほどです。
最後の展示室は、ウォール・ペインティングとして、壁に直接、李によって面的な点が打たれていました。左、中央、右に三つの点が、大きさも高さも僅かに異なって配されています。それらは緩やかに繋がるのか、それとも外へと拡散していくのかは分かりませんでしたが、まずは三点が交わる位置に立ち、点と余白をゆっくりと見渡してみることにしました。展示室の中を一巡、二巡、そして上を見上げたり、下のコンクリートを見やりながら、右往左往するのはなかなか贅沢な経験です。ところでこの部屋に打たれた点は、比較的早い時期の「照応」に使われたような限りなく黒に近いものではなく、やや青みを帯びた白っぽく薄いものでした。また「空間の広がり」や「余白の連鎖」と言うよりは、この展示室の照明がやや暗い(展覧会全体の照明もかなり暗く設定されています。李に言わせれば、日本の美術館は照明が「ダメ」ということなのだそうですが…。)こともあるのか、点同士が対峙的にせめぎあっていて、どこかもがいているようにも感じます。そして、余白は、点とは別に、あまり混じり合うことなく泰然としながら確かに存在していました。ちなみに展覧会の終了後、この作品がどうなるかは未定とのことですが、もし別の場所への移設が可能であるならば、陽の光が淡く緩く差し込むような、もう少し明るい場所で見たいとも思います。
会期中にもう一度出向くつもりです。会場は極めて閑散としていますが、それが余計に『余白』と『場』を引き立てます。12月23日までの開催です。
*拙ブログの「李禹煥展 余白の芸術」関連記事
・李禹煥と菅木志雄の対談「もの派とその時代」(11/13)
・李禹煥本人によるレクチャー「現代美術をどう見るか」(9/23)
・横浜美術館学芸員柏木氏によるレクチャー「90分でちょっとのぞいてみる李禹煥の世界」その1、その2(8/28)
・美術館前庭の「関係項」(写真)
*二回目も行ってきました。
「李禹煥展 余白の芸術」
9/17~12/23
李禹煥の近作によって構成された大規模な個展です。展示作品は約40点ほどでしょうか。横浜美術館の展示空間は、かつてないほど大胆に変化しています。究極のインスタレーションです。
展示作品の配置は、李禹煥自らによって厳密になされたとのことですが、作品が生み出す空間の広がりや、その圧倒的な存在感からすると、全体的にやや手狭な印象を与えているように思います。李の作品の中でも、特に今回の展覧会に出品されたものは、どれも決して「作品自体の閉じた空間」とはならずに、それこそ前後左右の『場』を取り込むかのようにあるわけですが、それを充分に味わうためには、もっと作品同士に『間』があった方が良いでしょう。「関係項」シリーズこそ、美術館の余白的な空間を何とか上手く使い、その魅力をなるべく削がないように置かれていたとは思いますが、展覧会前半に並べられた「風と共に」と「照応」のシリーズは、作品同士が共鳴し合うと言うよりも相互に干渉してしまっていて、もしそれが李自身の意図だったとしても私にはあまり良いとは思えませんでした。もちろんこのように置くことで、逆説的に李の作品のデリケートさが伝わるわけですが、余白を主人公とするためには、さらにもう少しだけの『間』が必要だと言えそうです。
一方で、重い鉄板や石を直に床へ置くとカーペットが損傷してしまうという現実的な問題があったにしろ、会場の床の全てをコンクリート剥き出しにしてその上に作品を並べたことや、いくつかの作品を、一つの展示室に一つだけ展示するという、極めて贅沢な『場』を作ったことは、この展覧会の評価すべき点だと思います。また美術館で唯一、天井の高い展示室に並べられた「照応」シリーズは、それぞれが連鎖的に共鳴し合うかのようにあって、その伸びやかな開放感と、どこかザワザワとした揺らぎを見せながらも、ピーンと空気が張りつめたような緊張感を併せ持つ様を感じ取ることが出来ました。率直に申し上げれば、「これを会場全体でも味わえれば…。」と思ったほどです。
最後の展示室は、ウォール・ペインティングとして、壁に直接、李によって面的な点が打たれていました。左、中央、右に三つの点が、大きさも高さも僅かに異なって配されています。それらは緩やかに繋がるのか、それとも外へと拡散していくのかは分かりませんでしたが、まずは三点が交わる位置に立ち、点と余白をゆっくりと見渡してみることにしました。展示室の中を一巡、二巡、そして上を見上げたり、下のコンクリートを見やりながら、右往左往するのはなかなか贅沢な経験です。ところでこの部屋に打たれた点は、比較的早い時期の「照応」に使われたような限りなく黒に近いものではなく、やや青みを帯びた白っぽく薄いものでした。また「空間の広がり」や「余白の連鎖」と言うよりは、この展示室の照明がやや暗い(展覧会全体の照明もかなり暗く設定されています。李に言わせれば、日本の美術館は照明が「ダメ」ということなのだそうですが…。)こともあるのか、点同士が対峙的にせめぎあっていて、どこかもがいているようにも感じます。そして、余白は、点とは別に、あまり混じり合うことなく泰然としながら確かに存在していました。ちなみに展覧会の終了後、この作品がどうなるかは未定とのことですが、もし別の場所への移設が可能であるならば、陽の光が淡く緩く差し込むような、もう少し明るい場所で見たいとも思います。
会期中にもう一度出向くつもりです。会場は極めて閑散としていますが、それが余計に『余白』と『場』を引き立てます。12月23日までの開催です。
*拙ブログの「李禹煥展 余白の芸術」関連記事
・李禹煥と菅木志雄の対談「もの派とその時代」(11/13)
・李禹煥本人によるレクチャー「現代美術をどう見るか」(9/23)
・横浜美術館学芸員柏木氏によるレクチャー「90分でちょっとのぞいてみる李禹煥の世界」その1、その2(8/28)
・美術館前庭の「関係項」(写真)
*二回目も行ってきました。
コメント ( 12 ) | Trackback ( 0 )
« 「現代美術を... | 10月の予定と9... » |
TBとコメントありがとうございます。
そうそう。この展覧会では屋外の作品の創作
ノートも展示されていましたが、なかなか味
がありました。
一見、無造作に置かれている鉄板や岩が、実
は机上のアイデアから生まれているなんて...
思いのほかかわいらしいスケッチだったので、
絵葉書にでもしてくれたら買うのにな...
>展覧会では屋外の作品の創作ノートも展示されていました
そうでしたね。
あまり目立ってはいませんでしたが、
意外にも細かく丁寧にスケッチしていて驚きました。
>絵葉書にでもしてくれたら買う
絵葉書ですか!
李のグッズって殆どありませんものね。(当たり前?)
私が行った日もミュージアムショップが改装中で閉まっていて、
図録とポスター程度しかありませんでしたが、
確かにあっても良さそうですよね。
私は当然買いますが…。
>朝鮮民画”に、リ・ウファンがでてきました
そうですか!
これは見逃しました…。
>鎌倉に住んでるそうですね。
そのようです。
パリと鎌倉の両方に拠点があるそうです。
>なんだか、普通のおっさんで、イメージしてたシャープな現代アーティストとはかけ離れてました。
私も先日のレクチャーで李さんを拝見しましたが、
飄々とした感じの方でした。仙人のようでも…。
ただ、ご本人曰く、若かった頃は相当に過激だったとか。
>あんな余白の芸術は生み出せません
そうですよね。
記事にも書きましたが、
彼の作品はある意味で過激ですよね。
仰られる通り革命的とも言えそうです。
稚拙な感想文をTBさせていただきました。
この感想には、
ゴチャゴチャと会場のことについて書いてしまいましたが、
今度もう一度出向く予定です。
またじっくり見てこようかと思います。
(先日のレクチャーの際も、
その終了後に行こうかと思っていたのですが、
レクチャーがあのようでしたので時間が潰れてしまいました…。)
またTBさせていただきます!
あの日のレクチャーの司会は何だったのでしょうか。
30分の遅刻の後で15分も前置きとして喋るとは、なかなかできることではありませんよね。
社会性のある大人であるなら、もうちょっと場を読んでいただきたいと思いました。
普段どんなにいい仕事をされていても、これではちょっと、という感じです。
暴動が起きなかったのが不思議です(なんてね)。
>30分の遅刻の後で15分も前置きとして喋る
そうですよね。
しかも殆ど文語体のように書き言葉で…。
学会等ならあれでもOKかもしれませんが、
この日は一般の美術館でのレクチャーですものね。
>暴動が起きなかったのが不思議です
いやはや、皆さん結構殺気立っておられましたよね。
それも李さんがお話になられてから、
静まったというか…。
改めて李さんは話が上手いなあなどと思ってしまいました。
今頃やっとupしました。
武満徹さんのことを
思い浮かべてしまいました。
作品を観ながら。。。
TBさせていただきます。
武満と李ですか…。
確かに面白そうですね。
李の作品には、いくつか音楽性を思わせるものがありますが、
そこに武満を鳴らしてみることで、
さらに美しい空間が出現するかもしれませんね。
後ほどご感想をたっぷりと拝見させていただきます!
まずはTBをありがとうございました。
私もやっと昨日、最終日にみてきました。はろるどさんの素晴らしい批評は、あえて事前に拝見せずに、自分の感性だけでみてきました。
>、「余白」を主人公とするためには、さらにもう少しだけの「間」が必要だと言えそうです。
確かに、「間」は感じられない展示構成だったかもしれません。
しかし、李とミュージアムに、作品を見せようとする姿勢は、十二分に感じ取ることができたと思います。
うちの拙いブログをTBさせてください。
最終日にご覧になられましたか!
素晴らしい批評なんてとんでもないです。本当に拙いもので…。
李のこれだけの規模の展覧会など、
もう10年はないかもしれません。
色々と文句をつけてしまいましたが、
実際に今終ってみると少し寂しい気がします…。
コメントとTBをありがとうございました。