よっちんのフォト日記

旅先や日常で感じたことを
写真と文章で綴ってみたい。
そう思ってブログを始めてみました。

郷愁の商店街-大阪府岸和田市:城見橋筋商店街

2013年07月31日 | 大阪(大阪市以外)
Kishiwada City, Osaka Pref.

さてさて、大阪府岸和田市の散策を楽しむワタクシでありますが、重森三玲の庭を楽しんだ後は岸和田城を後にしました。


岸和田城からすぐのところに岸城神社という神社がありまして、なかなか立派な佇まいなんですよねぇ。


かの有名な「だんじり祭り」はこの岸城神社の祭礼でありまして、毎年敬老の日の前々日、前日に行われます。
かつては大阪の人くらいしか知らない祭りだったのですが、最近はテレビで紹介されるようになって多くの見物客がやって来るようになりました。


大学の時に岸和田出身の子がいたのですが、彼の話によるとだんじり祭りの時は、岸和田市内の小中学校は休校になったそうです
(現在はハッピーマンデーのおかげで、祭りが土日に行われます)
また、社会人もみんな仕事を休むそうですので、だんじりにかける熱意はすごいものがあるようですね。


こんな古い町並みを汗をかきかき歩いていき…


懐かしい風景を眺めながら歩いていくと…


城見橋筋商店街という商店街がありました。この商店街は先日紹介した駅前通商店街から枝分れするような形で
名前の通り岸和田城の方に向かって伸びている商店街なんですよ。


商店街を歩いてみると、こんなお店がありました。昭和30年代から時間が止まったかのようですよね。
売っている商品を見ると、洋服、カバン、トイレットペーパー、チリ紙(!!)、洗剤…
いったいここは何屋さんなんでしょうね


八百屋さんを覗いてみると、さすがに岸和田の八百屋さんですね。泉州名物の泉州水ナスが並んでおりました。
泉州水ナスは名前の通り水分がすごく多くて、最近では泉州のみならず大阪では多くのお店で売られているんです。


しかししかし、この商店街の寂れ具合はちょっと想像以上でした
駅前筋商店街はそれなりの賑わいと、お客さんがいるのですが、こちらの商店街は本当に閑散としておりました。
時間は正午前ですので、普通ですと昼食の材料やお惣菜を買いに来る人で賑わう時間帯だと思うんですよね。
にもかかわらずこの状態ですので、うーん、大きな手を打たないと先行きが心配ですねぇ

使用したカメラ:FUJIFILM X-E1


いつも素通りするばかりで、ゆっくり訪ねたことがなかった岸和田の町。
なかなか趣があり、歩くのが楽しい町でありました。
大阪に住みながらこういう町を知らなかったというのは、文字通り「灯台下暗し」でしたね



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重森三玲の大胆な発想-大阪府岸和田市:岸和田城・「八陣の庭」

2013年07月30日 | 大阪(大阪市以外)
Kishiwada Castle, Kishiwada City, Osaka Pref.

さてさて、大阪府岸和田市の岸和田城にやって来たワタクシでありますが
ワタクシには岸和田城に来るのに大きな楽しみがあったんですよねぇ

ワタクシ、よくお寺の庭を見に行くのでありますが、その中で昭和の作庭家である重森三玲の庭が大好きなんです。
このブログでも、東福寺の方丈庭園光明院の波心庭瑞峯院の庭園を紹介させていただきました。
その重森三玲の手による「八陣の庭」が、ここ岸和田城にあるんですよ。この庭を見るのが大きな楽しみでありました。


「八陣の庭」は三国志で有名な諸葛孔明の八陣法からとったものなんです
三玲の庭の見方は四方正面といわれ、どの方角から観られてもよいようにつくられていますが、
八陣の庭はさらに上空からも観られるようにつくられた珍しい庭なんですよ


重森三玲を称して「永遠のモダンを求め続けたアヴァンギャルド」という言い方があります。
この「八陣の庭」のような大胆、そして柔軟な発想の庭はその愛称にふさわしいのかもしれません。
しかししかし、アヴァンギャルドなんていう言葉も、それなりに意味がわかるのは50代以上の人だけじゃないでしょうかねぇ


天守閣の前に造られたこの庭の存在感は、天守閣に負けないものだとワタクシには思えます。


ちなみに、ここに置かれた石なのですが、岸和田からほど近い和歌山県和歌浦の沖ノ島から重森三玲が自ら運んで来たものだそうなんですよ。


あぁ、このアングルで見てみると「これぞ重森三玲の庭だ」と思わずにはいられません
やっぱりワタクシは、重森三玲の庭が大好きです。

ところでところで、ワタクシは「八陣の庭はさらに上空からも観られるようにつくられた珍しい庭なんですよ」と書きました。
ではでは、上空から見てみるとしましょうか


天守閣の上に登ると、八陣の庭の全景を見渡すことが出来るんです。
ワタクシは中国の兵法などについてはまったくの無知なのですが、詳しい方にはこの形が「八陣の兵法」であることがよくわかるのでしょうね。


ワタクシにはまだ見ぬ重森三玲の庭がいくつもあります。ワタクシに枯山水という庭の素晴らしさを教えてくれた重森三玲。
これからも三玲の庭を訪ねていきたいと思うんですよねぇ


岸和田城に来て良かった…心からそう思ったワタクシでありました。

使用したカメラ:FUJIFILM X-E1

PS.こんなことってあるのでしょうか…
ワタクシのブログは、だいたい毎日の訪問者数が300人~350人ぐらいなんです。
ところが一昨日の訪問者数が3000人を超えていて「何かの間違いやろ」と思っていたら
昨日の訪問者数が34000人になっているんですよ。こんなことってあるんですかねぇ。


平安時代のいわゆる「国風文化」が栄えた時代に日本独自の庭園造りが始まりました。
ですので、お寺でも飛鳥時代や奈良時代に造られたものには庭園というものがありません。
ワタクシがもう一つ奈良のお寺に惹かれないのはそのせいなんですよねぇ


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岸和田にも名城あり-大阪府岸和田市:岸和田城

2013年07月29日 | 大阪(大阪市以外)
Kishiwada Castle, Kishiwada City, Osaka Pref.

さてさて、大阪府岸和田市にやって来て紀州街道から蛸地蔵商店街にかけて歩いたワタクシは
商店街から北の方に向かって歩いていきました。するとそこに、けっこう立派な神社がありました。


この神社を三ノ丸神社というのですが、写真の右下を見ていただけるでしょうか。
そこには「岸和田だんじり発祥の宮」と石に彫られているのですね


ワタクシちょっと調べてみました。するとこういうことなのですね。

1703年、岡部長泰(おかべながやす)が民の安泰を祈願するため、京都伏見から稲荷神を三の丸神社に勧請しました。
当時、三の丸神社では9月27日に稲荷祭が行われ、各町の地車が神社太鼓を打ち鳴らし、色々な芸をして殿様に見せていました。
この稲荷祭りが岸和田だんじり祭の起源という説があるそうなんですよ。

だんじりも最初は今のように勇壮、豪快というわけではなかったのですね


こんな長屋が立ち並ぶ一角を通り抜けていきますと…


岸和田城の堀端にたどり着きました。大阪といえばなんと言っても大阪城が有名でありますが、ここ岸和田にも天守閣を持った城郭があるんですよね


岸和田城は伝承では、建武新政期に楠木正成の一族和田高家が築いたといわれています。
天正13(1585)年、羽柴秀吉は紀州根来寺討滅後、伯父小出秀政を城主とし、秀政によって城郭整備され、天守閣もこの時に築かれました。
その後寛永17(1640)年、岡部宣勝が入城すると、以後明治維新まで岡部氏13代が岸和田藩を統治しました。

残念ながら天守閣は文政10(1827)年に落雷で焼失、維新期には櫓・門なども破壊されたため、近世以前の構造物は堀と石垣以外には残存していません
現在の天守閣は昭和29年に建造された3層の天守閣ですが、本来は5層天守であったことが絵図などで確認されています。


ワタクシ、大阪府民であるのですが、恥ずかしながら岸和田城は列車や車の車窓から眺めることはありましたが
実際に足を運ぶのは今回が初めてなんですよ
たとえ天守閣は再建されたものであっても、立派な石垣を見るだけでもなかなかの価値がありました。


特徴的なのが石垣の下にある犬走りなんですよね。城の石垣と堀の間に犬走りという空間があるということは
敵の侵入に有利ですから、防御という面からは決して望ましい構造ではないのですよね。
おそらく石垣や土塁の崩落を防ぐために、あえて犬走りが作られたのでしょう。


なかなか立派な岸和田城ですが、このお城にはワタクシにとってもう一つの大きな楽しみがあるんですよ
それはまた明日、紹介させていただきますね

使用したカメラ:FUJIFILM X-E1


特別にお城が好きというわけではないのですが、歴史が好きなので旅に行くとよくお城を見に行きます。
行ってみて「よかったなぁ」と思うお城もあれば、がっかりするお城もあるのですが
あえてワタクシが好きなお城を3つ選ぶとしたら「彦根城」「松本城」「姫路城」でしょうかねぇ



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蛸がいる町(^^)-大阪府岸和田市:蛸地蔵

2013年07月28日 | 大阪(大阪市以外)
Takojizou Temple, Kishiwada City, Osaka Pref.

さてさて、ワタクシは大阪府岸和田市にやってまいりまして旧紀州街道を歩いていたのですが
紀州街道を南に向かって歩いていくと、次の写真のような光景に出会いました


いつものようにワタクシの大好きな赤い郵便ポストがあるのですが、注目していただきたいのはその横の道標なんです。
道標には正面に平仮名で「たこぢぞう」右側には漢字で「天性寺」と彫り込まれてあるんですよね。
この道標の横を奥に入って来ますと…


ここに天性寺があるのですが、大阪人なら天性寺という名前は知らなくとも「蛸地蔵」という名前はご存知でしょう。
その由来は戦国時代の天正年間に紀州根来衆・雑賀衆の軍勢が岸和田に攻め込んで大乱戦となりました。
敵の勢いが物凄く城が危うくなった時、蛸に乗った一人の法師が現れて、次々と敵を薙ぎ倒しました
(このあたりの荒唐無稽ぶりはなかなか面白いです)
しかし、敵勢が盛り返して、蛸法師を取り囲もうとした時、海辺より轟音をたてて幾千幾万の蛸の大群が現れ、
敵を殺害することなく退却させました。城主は喜び、その法師を探したが、結局分からなかったそうなんです。


ところがある夜、法師が城主の夢枕に立ち、自分は地蔵菩薩の化身であると告げたので、
その昔戦乱から守るため、堀に埋め隠し入れた地蔵菩薩像を出して祀ったのだそうですね。
その後、一般の人もその御利益が受けられるように、日本一大きいとされる地蔵堂に移され、現在に至っているのがこのお寺なんですよ。


そしてそして、これが南海本線の蛸地蔵駅なんです。南海本線には堺市の浜寺公園駅、諏訪ノ森駅などのモダンな西洋風の駅舎があるのですが
ここ蛸地蔵駅もステンドグラスのある西洋風の駅舎が鉄道ファン、レトロ建造物ファンに人気なんですよね


左側の3枚のステンドグラスが、上述した岸和田の戦乱を描いたものですね。右側の2枚は岸和田城のようです。


駅前には蛸地蔵商店街があるのですが、どこの駅前商店街でもそうですが、人通りが少なく寂れているようです。
なんとか客足を伸ばそうと、「たこじろう」「た~こ」というようなゆるキャラを考えてみたり…


手作りの「たこすけ」を販売したり…
なんとか商店街を活性化させようと、皆さんが努力されている様子がよくわかりました


パン屋さんまで「タコ」になっていたのには、ちょっと笑ってしまいました。
まさかとは思いますが、「たこ焼きパン」なんてのがあったりしたらすごいですね


さあ、それではお城の方に向かってみるとしましょうか。
城下町に行って、お城を素通りするわけにはいきませんからね。

使用したカメラ:FUJIFILM X-E1


日本中どこに行っても駅前商店街は寂れ、廃れていく一方です。
私の住む町でも、駅前の商店街は半分近くの店舗のシャッターが降りたままです。
良心的な小売店が次々に無くなっていくのは、時代の流れとはいえ悲しさと切なさを感じるのです



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旧街道を往く-大阪府岸和田市:旧紀州街道

2013年07月27日 | 大阪(大阪市以外)
Kishiwada City, Osaka Pref.

さてさて、大阪府岸和田市にやって来たワタクシは、アーケードがある駅前商店街を抜けてしばらく歩くと
旧紀州街道に到着しました


紀州街道は名前からもわかるように、かつては大阪と和歌山を結んだ街道です。
1701年(元禄14年)以降は、徳川家紀州藩主の参勤交代や御上使通行の道でもあったということですから
なにせ御三家の紀州藩の参勤交代ですので、その時は大層な賑わいだったことでしょう

交差点の向こうに見える建物は、大正時代に建てられた旧四十三銀行の建物で、今は信用金庫の建物として利用されているようです。


こんな懐かしい散髪屋さんを見かけました。今も健在なんですねぇ


こういう簾を見ると、昔の我が家を思い出します。ワタクシが住む長屋では、どこのお家も窓に簾をかけていたように思うんですよね。


岸和田城の西あたりにやって来ると、昔の街道筋らしい佇まいになりました。
岸和田は「だんじりの町」であり、「カーネーションの町」でもありますが、「歴史豊かな町」でもあるのですね


そういえば紀州藩といえば八代将軍徳川吉宗の出生地でしたね。
ワタクシ、江戸時代の15人の将軍の中では吉宗が一番好きでありまして、ふと、吉宗もこの道を通ったのだろうかと考えてしまいました。


今もこの道は人々の生活道路なのですね。自転車で行き来するお年寄り、部活の道具を持って学校に走って行く中学生
そして井戸端会議に花を咲かせるおばちゃん達…ここはあくまでも地元の人達の生活の場であることを実感しました。


同じ大阪府なのですが、岸和田がある大阪府南部一帯を泉州(かつては和泉国でした)と呼ぶのですが
泉州弁は微妙に大阪弁とは言葉が違うんですよねぇ。
このあたりは文章では表現できない微妙なニュアンスなのですが、泉州弁には紀州弁の影響があるんですよ


といっても、大阪市内と河内、泉州の方言の違いを感じるのはおそらく40代から50代以上の人達だけでしょう。
今はテレビで使われるお笑い芸人の大阪弁に、昔ながらの大阪言葉は片っ端から駆逐されてしまいましたから


ふと道端を見ると、玉ねぎを無人販売所で売っていりました。皆さんはご存知ないかもしれませんが
かつては泉州玉ねぎというのは大阪を代表する農作物でした。
というよりも、日本の玉ねぎ栽培の始まりは明治時代にここ泉州で始まったと聞いたことがあります

ワタクシが中学校の時、都道府県別の玉ねぎ生産量で大阪府が4位だったのをよく覚えています。
ちょっと気になったので調べてみると、今は大阪府は玉ねぎの生産量は16位にまで下がっているんですね。
都市化による農地の減少、農家の後継ぎ不足…大都市の近郊ほど、そういう影響が出るものなのですね

使用したカメラ:FUJIFILM X-E1


死んだ祖母は大阪の船場あたりの商店で働いていたせいか、いわゆる「船場言葉」と呼ばれる品のある大阪弁をよく使っていました。
「あんたはいちびりで、せわしのーて、ほんまにいらちやな」(お前はいつもふざけてて、せかせかして、落ち着きが無いな)
「山田はんのぼんぼんは、えーしの子やさかいに、ぎょうさんお金持ってますがな」(山田さんの長男は金持ちの子やから、たっぷりお金持ってるわ)
というような言葉を、今ではもう誰からも聞くことがなくなりました



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