国際結婚を経て、この世に生を授かった愛息子(笑)である友人のブログを見て、改めて考えさせられたので、ここで引用しちゃいます。(ごめんね、本当は話題として取り上げるだけのつもりだったのに、私が要約しただけではきっと第三者に気持ちが全部伝わりきらないと判断したから、全文をコピペしちゃいました。許して。)
友人だったりすると、慣れ親しみのあまり、相手の立場を意識しなくなってくるから、言動の許容範囲もつい曖昧になってしまいがちである。だから、言葉の持つ意味も忘れがちなことなんだけど、だからこそ、無神経に接していてはいけない。良い人間関係を保つっていうのは、相手の気持ちを考えられる間柄から生まれるものだと思っているから、これを始めとして、普段何気なく使っている言葉の意味を改めて考えたい。
そして、これからこの閉鎖された島国に訪れる国際化並びに様々な面で多様化する世の中を生きる人達に、少しでも考えてほしいことです。
『人種差別エトセトラについて思うこと。
この年齢になって考えるようなことでもないのだと思いますが、
今まであまり人に話したことがなかったので、
blogという道具を使って、皆さんにきいてもらいたいと思います。
僕は半ジャパです。
もっとメジャーな言い方をすると、「ハーフ」です。
「ハーフ」という言い方。昔は大嫌いでした。
いまでも好きではありませんが、
昔ほど嫌いではありません。
以前は「何が『半分』だ。ひとのことを馬鹿にしやがって。」と思い、
「ハーフ」と呼ばれる度になにやら、
並の人間扱いしてもらえなかったような気分になっておりました。
いえ、実際そういう言葉に「並の人間以下である」という意味を含める人間もいます。
先日も、僕の通う大学の学生が
「ハーフの子供が、中途半端に外国人のような顔をして、
流暢な日本語を話しているのを見るとそれだけで気持ちが悪い。やめてほしい。」
そう話しているのを聞きました。
自分が彼等を呼び止めて殴ることや一言話すことをしなかったのを、
当然、とは思いながらも少し悔やみました。
ここ数年で最も腹の立った出来事のひとつです。
その逆に妙な優遇(?)をしてくる人もいます。
「アイツはハーフらしい」とわかった瞬間、
飲み会で近寄ってくるキモチワルイ女性もいるのです。
初対面のクセに。俺を評価する基準はまずソレかい。
でも、最近気付きました。
僕の友人達が僕を「ハーフ」と呼ぶときには、
先ほどの早大生がいっていたような、
「不完全な日本人」というニュアンスは含まれていない、と。
あなた方は単に「1:1の混血の人」をあらわす言葉として
「ハーフ」という語を用いていると。
「ハーフ」のほかに、僕を含めた「ハーフ」の人間がしばしば好んで使う、
「ダブル」その他の呼び名を知らないだけなのだ、と。
確かに、ひとさまのことを「半分」と呼ぶのは気が利かない。
でも、そこは僕の友人。
大切な友人。悪意なんてないんですよね。
そして決めたのです。
「悪意や妙な優遇を感じない範囲でなら、
『ハーフ』と呼ばれることを受け入れよう」と。
「ローマ人への手紙」等で知られる歴史作家・塩野七生さんの言葉に、
こんな内容のものがありました。
「白人と黒人、イタリア人と日本人が、
互いにシロンボ、クロンボ、イタ公、ジャップ、と
悪意なく無邪気に呼び合うようになること、
差別用語や禁句を、使わないことではなく面と向かって堂々と言い合うこと。
これが人種差別をなくす唯一の方法であろう。」
大好きな考え方です。
というわけで、最近自分の国籍やら人種について話すときに、
「オイラは半ジャパだよ。」と言うようにしています。
半ジャパ、全ジャパ、ノンジャパ。
基本的な意味は「ハーフ」云々と変わらないと思うけど、
ちょっと茶化してある感じ、深刻味のなさを、少し気に入っています。
日本時間で12月8日。
アメリカ時間で9日。
僕が国籍を持つ二つの国が60年前に戦争を始めた日です。
僕は、アメ公の国とジャップの国、
どっちの国も大好きです。 』
彼とは同じNGOでボランティアをしていたし、個人的には彼の一風変わった視点と個性派キャラが好きだったから、半ジャパということをすっかり忘れて、よく懐いては、かまってもらったりしていた(誤解されそうだから断っておくが、友人関係として、という意味である)。
このブログを読んで、今時古臭い考えを持っている人に、私も憤りと呆れを感じたし、男選びの着眼点が人間性よりも外見重視の異性の存在に、浅ましさを感じるところだって、共感できる。きっと彼が友人でなければ、ここまで感情を共有することなんてなかっただろう。(まあ、彼としてはこういう感情の共有とかは、あまり重点を置いていないのかもしれないけれど。)
私は『人間である』ということを否定されたことなんてあまりないから、『ハーフ』の意味を全く無視して、何の抵抗もなく使っていたため、この単語を使われる度に『並の人間扱いしてもらえなかったような気分』になっていた彼や半ジャパの人の気持ちを考えると、ものすごく無神経なことをしてきたことに気付かされる。
まあ、ここからは彼個人の話になるけれど、彼は別にあの記事を通してこんな風に反省を啓発しているつもりはないだろう。彼に関しては、逆に深刻になって考えない方がいいのかもしれない。だからといって、『ハーフ』という言葉をわざわざ使いたいとは、もう思わないけれど。
彼が本心を伝えてくれたことが、なんだか素直に嬉しい。前向きな人でよかったよ。
友人だったりすると、慣れ親しみのあまり、相手の立場を意識しなくなってくるから、言動の許容範囲もつい曖昧になってしまいがちである。だから、言葉の持つ意味も忘れがちなことなんだけど、だからこそ、無神経に接していてはいけない。良い人間関係を保つっていうのは、相手の気持ちを考えられる間柄から生まれるものだと思っているから、これを始めとして、普段何気なく使っている言葉の意味を改めて考えたい。
そして、これからこの閉鎖された島国に訪れる国際化並びに様々な面で多様化する世の中を生きる人達に、少しでも考えてほしいことです。
『人種差別エトセトラについて思うこと。
この年齢になって考えるようなことでもないのだと思いますが、
今まであまり人に話したことがなかったので、
blogという道具を使って、皆さんにきいてもらいたいと思います。
僕は半ジャパです。
もっとメジャーな言い方をすると、「ハーフ」です。
「ハーフ」という言い方。昔は大嫌いでした。
いまでも好きではありませんが、
昔ほど嫌いではありません。
以前は「何が『半分』だ。ひとのことを馬鹿にしやがって。」と思い、
「ハーフ」と呼ばれる度になにやら、
並の人間扱いしてもらえなかったような気分になっておりました。
いえ、実際そういう言葉に「並の人間以下である」という意味を含める人間もいます。
先日も、僕の通う大学の学生が
「ハーフの子供が、中途半端に外国人のような顔をして、
流暢な日本語を話しているのを見るとそれだけで気持ちが悪い。やめてほしい。」
そう話しているのを聞きました。
自分が彼等を呼び止めて殴ることや一言話すことをしなかったのを、
当然、とは思いながらも少し悔やみました。
ここ数年で最も腹の立った出来事のひとつです。
その逆に妙な優遇(?)をしてくる人もいます。
「アイツはハーフらしい」とわかった瞬間、
飲み会で近寄ってくるキモチワルイ女性もいるのです。
初対面のクセに。俺を評価する基準はまずソレかい。
でも、最近気付きました。
僕の友人達が僕を「ハーフ」と呼ぶときには、
先ほどの早大生がいっていたような、
「不完全な日本人」というニュアンスは含まれていない、と。
あなた方は単に「1:1の混血の人」をあらわす言葉として
「ハーフ」という語を用いていると。
「ハーフ」のほかに、僕を含めた「ハーフ」の人間がしばしば好んで使う、
「ダブル」その他の呼び名を知らないだけなのだ、と。
確かに、ひとさまのことを「半分」と呼ぶのは気が利かない。
でも、そこは僕の友人。
大切な友人。悪意なんてないんですよね。
そして決めたのです。
「悪意や妙な優遇を感じない範囲でなら、
『ハーフ』と呼ばれることを受け入れよう」と。
「ローマ人への手紙」等で知られる歴史作家・塩野七生さんの言葉に、
こんな内容のものがありました。
「白人と黒人、イタリア人と日本人が、
互いにシロンボ、クロンボ、イタ公、ジャップ、と
悪意なく無邪気に呼び合うようになること、
差別用語や禁句を、使わないことではなく面と向かって堂々と言い合うこと。
これが人種差別をなくす唯一の方法であろう。」
大好きな考え方です。
というわけで、最近自分の国籍やら人種について話すときに、
「オイラは半ジャパだよ。」と言うようにしています。
半ジャパ、全ジャパ、ノンジャパ。
基本的な意味は「ハーフ」云々と変わらないと思うけど、
ちょっと茶化してある感じ、深刻味のなさを、少し気に入っています。
日本時間で12月8日。
アメリカ時間で9日。
僕が国籍を持つ二つの国が60年前に戦争を始めた日です。
僕は、アメ公の国とジャップの国、
どっちの国も大好きです。 』
彼とは同じNGOでボランティアをしていたし、個人的には彼の一風変わった視点と個性派キャラが好きだったから、半ジャパということをすっかり忘れて、よく懐いては、かまってもらったりしていた(誤解されそうだから断っておくが、友人関係として、という意味である)。
このブログを読んで、今時古臭い考えを持っている人に、私も憤りと呆れを感じたし、男選びの着眼点が人間性よりも外見重視の異性の存在に、浅ましさを感じるところだって、共感できる。きっと彼が友人でなければ、ここまで感情を共有することなんてなかっただろう。(まあ、彼としてはこういう感情の共有とかは、あまり重点を置いていないのかもしれないけれど。)
私は『人間である』ということを否定されたことなんてあまりないから、『ハーフ』の意味を全く無視して、何の抵抗もなく使っていたため、この単語を使われる度に『並の人間扱いしてもらえなかったような気分』になっていた彼や半ジャパの人の気持ちを考えると、ものすごく無神経なことをしてきたことに気付かされる。
まあ、ここからは彼個人の話になるけれど、彼は別にあの記事を通してこんな風に反省を啓発しているつもりはないだろう。彼に関しては、逆に深刻になって考えない方がいいのかもしれない。だからといって、『ハーフ』という言葉をわざわざ使いたいとは、もう思わないけれど。
彼が本心を伝えてくれたことが、なんだか素直に嬉しい。前向きな人でよかったよ。










よろしく。