窪田恭史のリサイクルライフ

古着を扱う横浜の襤褸(ぼろ)屋さんのブログ。日記、繊維リサイクルの歴史、ウエスものがたり、リサイクル軍手、趣味の話など。

繊維リサイクルの歴史 【011】繊維製品多様化への対応

2008年06月27日 | 繊維リサイクルの歴史
鉄や紙は回収して溶かせばまた素材に戻ります。経済が発展し産業界は設備の拡大を続けていましたから、ぼろと違いこれらの再生資源業界は値段が上がらなくても量を扱うことによって対処できました。

 しかし素材に戻すことのできないぼろの場合は事情が異なりました。その上、故繊維事情にも大きな変化が現れました。それは繊維の種類の急激な多様化です。

 戦前、回収されてくるぼろは綿か毛織物、それにせいぜい麻と絹でした。ところが戦後も昭和30年代以降になると、化学繊維や合成繊維が急速に出回り始め、数年の間をおいてぼろとして大量に回収されるようになりました。さらにナイロン混紡、アクリル混紡といった具合に、素材を組み合わせた毛織物も回収されてきます。それらは従来の100%毛織物と同じように扱うことはできなかったので、選別をする必要があります。選別作業は大変手間とコストがかかる仕事ですから、故繊維は単純に量を扱えば儲かるという話にはならなかったのです。

 前回お話しましたように、故繊維の主力であるウエスは家庭から綿ぼろを回収する必要があるわけですが、日本中の家庭から綿ぼろだけを選びだして回収するというわけにはいきません。結局「ぼろ」という名であらゆる多様化した素材のものを一括して回収し、選分しなければならず、綿以外の余った素材をどうするかが大きな問題となったのです。

 さて、故繊維業界において当時ウエスに次ぐ大きな需要は反毛でした。しかしこれも安価な繊維製品が市中に大量に出回るようになると、品質の均一なバージン原料が好まれるようになり、扱いが難しいぼろは使われなくなりました。したがって、その後反毛は特殊紡績といって、もっぱら軍手、モップ、カーペットなどの太糸として再生する用途が主流になりました。こうした消耗品にはまだぼろの需要があったのです。というのは、特殊紡績はウエスと違い工場から大量に出る繊維屑でも作ることができますので、その分市場価格が安く推移したからです。このほか、合成繊維も使用して作られた反毛は主な用途として車の内装材やフェルト、椅子やぬいぐるみの中入綿などに使われました。

注:反毛は用途によって使用できる素材の種類が異なります。

 このほか、故繊維の再生方法として溶解して使用する方法があります。最初にお話した通りそもそも故繊維業の起こりはぼろを溶解して製紙原料として使用することでした。その需要は木材パルプの普及とともになくなりましたが、工場で発生する純綿のぼろはその後も若干ではありますが絶縁紙の材料などに使用されました。一方、合成繊維などのぼろを溶解したものは、「ルーフィング」という建築のときにモルタルを塗る前に貼る防水シートやスレートタイルの補強材として使用されました。

 しかし再生資源として再利用できるかということと、そうして作った再生品で採算がとれるかということは、今日でもそうですが全く別の問題です。繊維製品は次第に安価な使い捨ての時代に入り、売れないぼろが増加するにつれ結局ごみにせざるをえないものが増えていきました。もちろん新たな用途を探る研究開発も行われましたが、うまくいきませんでした。

  繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした

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