高原千尋の暗中模索

行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しく止とゞまる事なし。

普通の人(その四)

2009年04月13日 | 書籍・ことば
 天台宗大阿闍梨(だいあじゃり)・酒井雄哉(ゆうさい)師を知ったきっかけは、2003年に出版された健さん(高倉健)の随想『旅の途中で』においてであることを、このシリーズの冒頭に書いた。同書を読んでいなければ、酒井師を知ることもなかっただろうと思う。これも一期一会の出会いなのだろう。
 酒井師を知ったときには、さぞかし雲の上に住むような高僧なのだろうと想像していたが、酒井師の著書「一日一生」に巡り合い、師が地上の人、普通の人であることを知ることができた。そして、いのちや人生について、見つめ直すきっかけを授けていただいた。これも健さんのおかげかもしれない。

 健さんファンの私としては、一度ブログで健さんのことを取り上げたいと思っている。健さんは九州の炭鉱町に生まれ育ち、北海道を舞台とする作品も多い。北海道の炭鉱町に生まれ育った私は様々な意味で健さんにシンパシーを持っている。健さんを語ることは、私にとっては大きなテーマでもあるのだ。いずれそれを行おうと思うが、今回は酒井師の言葉を借りて、健さんに触れたい。酒井師は健さんと直接、交流をお持ちで、健さんの本当の姿をご存じである。そして、私と同じく健さんの大ファンでもあるのだ。酒井師は誠に「普通の人」なのである。

 酒井師は健さんの随想『旅の途中で』に、「健さんのこと」という一文を寄稿されている。少し長くなるが、その抜粋を以下に紹介させていただく。これを読んでいただくと、健さんのことばかりでなく、酒井師のことも、また理解が深まるのではないかと思う。このシリーズの締めとさせていただきたい。



健さんのこと

      比叡山飯室谷不動堂 大阿闍梨 酒井雄哉

僕が坊さんになる前は、いろんな意味の葛藤があった。
生きていたことは生きていたんやけれど、
生きる目標、ひとつの心棒がなかった男でしたな。
(中略)
宝くじ買うと、必ず当たるような気がするのと同じ。
仕事をすると、変な夢ばかり持ってしまう男やった。
しまいには、かみさんも愛想を尽かしたのか、自らの生命を絶ってしもうた。
その時は辛うてね。どうしたらええものか、
この世の瀬戸際まで追い込まれてしもうて・・・・・。
その時、何も考えずに歩いたんです。歩かされたというほうがええかな。
その道の途中、二股に分かれている場所があった。
右に行けば友達の家。左に行けばお山(比叡山)。
(中略)
僕は何となく左の道のほうへ、とっとっとっと歩いたわけだ。
その時思うたことは、ただただ独りになる時間が欲しかった。
今思えば、僕には独りで歩くという宿命があったんやと思う。
亡くなったかみさんのことは三年間くらい頭の中にちらついていたけど、
三年経ったらお山の修行のことでいっぱいになって、
これっぽっちも思い出さなくなってしもうて。
とうとう、何年何月に死んだかも忘れてしもうたね。
薄情というのか・・・・・。けど毎日、拝んでいる。
毎日がかみさんの法要の日と思うているから、赦してくれるかな。

坊さんにも坊さんの勉強があってね。
学校へ行って自分の息子と同じ年頃の子と一緒に勉強して試験受けて。
頭も疲れるし、ストレスもかかってくる。
しまいには、なるようにしかならへん、と試験が終わった日に、
映画館へ行って目をつぶって、音だけ聴いている。
子守歌みたいに聴こえてきて、気がついたら映画が終わっていた。
観る映画は、いつも健さんの任侠映画やった。
弱い人とかいじめられている人がいて、
最後には健さんが悪い奴をやっつけてしまうやないの。
映画を観終わると、俺もやれるんや、という気になる。
男の世界がそろそろおかしくなってきた頃に、
男って何だってことを、もう一遍考えさせてくれた映画やと思うよ。
もともと、僕は健さんのファンやった。
健さんが大学を出てすぐの頃にサラリーマン役とかやっ演ってましたな。
その頃、若いけど、おもしろい人が出てきたな、と思うた。
坊さんになっても、健さんの映画に励まされていたのに、
昭和四十五年頃に、当人が僕の目の前にいて、
正座して話をしているんやから、不思議に思うたね。

(中略)
健さんのラジオ放送を聴かせてもろうた。
出張の時、電車の中で、テープで聴いたんやけど、
ようあの忙しい人があれだけのことをやりこなしてますな、
この人は何て人やろ!
どこにそんな暇があるんやろう? と思うた。
映画を観てる。本は読んでる。
音楽もいろんな音楽を聴いていて、自分の感想をきちんと言うている。
おまけに外国へも出かけて行って、いろんな体験をしてる。
二十四時間、ひとつのリズムを掴んでいるんやと思うな。
それが健さんのバネになっている。
殿様みたいに上げ膳据え膳されると殿様で終わってしまうけど、
あの人はそこに甘んじていない。
自分の道を進めば進むほど、独りになると思う。
たまに旅に出て、
独りでいる時間が愉しいんやないかな。
そんな時にごちゃごちゃ言おうもんなら、
「うるさいな」
「今度から来るな」
と言われると思うよ。
僕もかみさんに死なれて、とっとっと歩きだして独りの時間を選んだ。
今では、お山にいろいろな方が見えていろいろな話を聞かせてくれますけど、
自分が解放されているのは、山を歩いている時・・・・・。
峰々で拝んでいる時は、誰も寄ってこないやないですか。
独りの時間は人間にとって大切。
その時にこそ、いろんな発想や発見ができるもんです。

独りで生きることができる人が、最終的に強いんやないかな。
そういう人には、何とも言えへん人間としての温かみもあるんやね。
そういう人はじぶんが善行を積んでも、
これこれをしました、なんてことをごちゃごちゃ言わない。
そんなこともあったかいな、という顔をする。
陰徳というものは、そうして積まれてくるもんやね。
ある時何気なしにすーっと現れ、ある時すーっと姿を消していく。
何かをしても、結果や報酬を期待しない。
健さんはまさにそういう人やね。
「俺は高倉健だ」
とか一言も言わず、仕事が済めば外国へ出かけてしまう。
健さんのそういう生き方を観せてもらうようになって、
あの人はお侍さんやと思う。
どんな仕事でも命を賭けてやっている。
軽く流すことは絶対にしない。
普通の人なら、来た仕事は一応全部引き受けて、
こちらは軽くいきましょう、
こちらは大事やからしっかりやりましょう、
そんな計算が働くけどね。
そういうことが大嫌いな人やと思う。
すべてに命懸けで、いつも刃の上を歩いているような、
そんなお人やと思う。
周りの現象に流されず、折目正しく生きている。
それは座った姿にも出ておる。
誰しも人間やったら、老いていくことへの不安はある。
しかし、一日一生。
今日の自分は今日で終わり。
明日は新たな自分が生まれてくる。
今日、いろんなできごとやいざこざがあっても、
明日はまた新しいものとして生まれる。
こだわりを捨て、同じような過ちを修正しておけばええ。
最終的には息を引き取る時が、
人生の勝負やないかな。何があろうとなかろうと、
独りきりで旅立っていくんやから。
生まれた時と同じ。
何も持たずに旅立って行くわけやね。
赤ん坊か、くしゃくしゃの年寄りかの違いだけやね。
自分に課せられた人生。
仏様からいただいた人生を、
「これだけ燃えつきました」
高倉健はそう言って逝ける、
数少ないお人やと思います。

        (2000年12月・比叡山にて)

        (高倉健『旅の途中で』より)


 酒井師の尊貴な説法のあとにことばを発するのは如何にも無精なことだが、ひとつだけ補足させていただく。健さんは12年寄りそった江利チエミが1982年に45歳の若さで他界したのち、独り身を通してきた。健さんと酒井師の生き様には、どこか重なる部分を感じる。酒井師の奥様が自ら命を絶ったことを記している冒頭の文節を敢えて省略しなかったのは、この分節が師と健さんの接点と感じるからである。


<関 連>

普通の人

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普通の人(その三)

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一日一生 (貝磨き。)
2009-09-14 07:54:10
初めまして。一日一生。で検索中に辿りつくことが出来ました。昨日、大分を拠点に循環農法を実践されている赤峰勝人さんに13年ぶりにお会いする機会に恵まれました。13年前、とある講演会で出会った赤峰さんに、着ていたベストに一言お願いしますといって書いてもらったのが「一日一生」でした。著名人のサイン会での交流のように、わずか1分程度の時間でしたのに、そのことをお話すると、おー、覚えてるぞー。と当時の私の様子を語ってくださいました。驚きでした。そして、ふけたな。と云われ、今の自分の宙ぶらりんな日々をみすかされたようでした。家に戻り、一日一生。を検索しました。はじめは、内村鑑三さんのサイトばかりをあちこち辿っていました。そのうち、もう一人、一日一生のタイトルで本を出している方がいるのを知りました。酒井さんでした。はじめは、はじめに一日一生。という言葉を文字にされた内村さんの二番煎じくらいに感じていた自分がいました。しかし、アマゾン書店の読者の感想、立ち読みコ-ナ-でその一遍に触れ、吸い込まれました。草履は自分、自分は草履。つい先日聞いた入我我入。の心境?!と早とちりした自分がいました。でも、ほとんどの人が見向きもしない貝のかけら拾い、その貝磨きをしてきた自分を振り返って、あー、かけらを拾ってきたのは、かけらは、自分のように感じたからだった。と思い出させてくれました。私は、そのかけらをおよそ10トン、数にして100万かけらを拾い集めたまま、そのままにしてきました。自分をそのままにしてきました。多くの自分が、土にまみれてコケがはえてしまいました。清らかだった白い自分が、土色に染まっていました。そんな自分を、これから毎日、海の入り江で洗濯しようと考えています。すいません、近い未来、すべての自分を海に還したとき、またこのペ-ジに戻ってきたいので、気持ちを記させていただきました。白い貝の天の川。できたら、感じにきてほしいです。そのとき、またお便りさせてください。再起の朝に、絵描き。のこころ、けんさんのこころに触れることもできました。ありがとうございました。出会いに、感謝したします。
Re.一日一生 (高原)
2009-09-14 18:05:00
貝磨き様
コメントを頂戴し、誠にありがとうございます。

 10トン、100万かけらの貝を拾い集めたということですが、収集の作業が、まるで千日回峰行ですね。百万かけらを千日(三年)で集めるためには、一日に900かけらを拾わなければなりません。もし、十年でそれをやろうとすれば、毎日毎日300近いかけらを拾わなければなりません。もし、三十年であれば、毎日100かけら拾わなければなりません。これは千日回峰行に優るとも劣らない修行のようです。
 酒井雄哉師は、「『これだ』と自分で思ったことを繰り返しやっているのがいいんじゃないのか」と仰っています。師は、ひたすら歩き続けることをご自身の生きる糧とされているように思います。

 自分が毎日拾うものを知っているひとは、少ないのだと思います。イチローが今日、9年連続200本安打というメジャー新記録を108年ぶりに塗り替えました。安打を拾い続けることがイチローの生きる意味なのかもしれません。イチローはそれが好きだからやっている。自分が拾うものを知っているひとは幸福です。
 私などは、何を拾えばいいのかわからないで、半世紀を過ごしてしまいました。あらぬ夢ばかりを描くだけで、何も拾ってこなかった。これはもう最悪です。それに気づいて、このブログを始めたしだいです。だから「暗中模索」というタイトルにしました。私は「ことば」を拾って、それを磨くことを続けようと思っています。

 貝磨き様が、海の入り江で洗濯される貝が連なり、天の川になる日を想像しています。「再起の朝」が「快気の日」になり、満天の夜空にむけ、白い貝の天の川が昇っていく姿が目に浮かびます。

 貝磨き様のおかげで、一日一生の意味を、もう一度考えてみることができました。こちらこそ、感謝を申し上げます。今日一日を大切にしていきたいと思います。

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