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往生呪

2012年12月05日 | 仏教・思索
阿弥陀如来(甘露王如来)信仰とか浄土信仰とかいっても、なにも浄土教系の「南無阿弥陀仏」の口称念仏だけじゃないのですよ。そもそも念仏とは「仏を念ずる」ことですから、たとえば『阿弥陀経』などを観想の手引として観想念仏することは出来ますし、称えるのだって「六字名号」以外にも色々とあります。

今日はそういうもののうちのひとつを紹介。

『阿弥陀経』に付属しているとされる「抜一切業障根本得生浄土神呪」、別の名を「往生呪」というものがあります。これは羅什訳の流布本『阿弥陀経』には記載がないものの、求那跋陀羅訳『阿弥陀経』にこの呪があったようです(残念ながら、この訳は「失訳」です)。
一見してわかるように、これは「阿弥陀如来根本陀羅尼」と非常に近いものです。「根本陀羅尼」の縮小版かとも思われますが、もしかしたら「根本陀羅尼」のほうが増広されたものかも知れません。前後関係が不明ですからこのあたりは何とも言い難いですが、いずれにしても内容的にはほぼ同じことを述べていると考えて差し支えないでしょう。

根本陀羅尼については、たとえば『陀羅尼集経第三』では、「陀羅尼の力は恰も日月の光の如く、之に比すれば念仏の功徳は夜燈の光のようなものである。されば、人若し日日に此の陀羅尼を誦じ、之に兼ねて念仏せんか、その功徳広大恰も須弥の高く、大海の深きが如くである」とあります。また『無量壽儀軌』などにもその功徳の広大なることが説かれていますが、これは根本陀羅尼の精髄である抜一切業障根本得生浄土神呪にも当然ながら通じるものであり、「南無阿弥陀仏」のいわゆる「口称念仏」と並ぶ、阿弥陀如来信仰のもうひとつの姿と言えるでしょう。
『大乗起信論』などに説かれている「念仏往生」については、そこに「観想念仏」の大切さが込められていますから、六字名号よりもこちらの呪のほうが相応しいのかも知れませんね。


抜一切業障根本得生浄土神呪
          劉宋天竺三蔵求那跋陀羅 詔を奉じて重ねて訳す 

南無阿彌多婆夜哆他伽哆夜
哆地夜他
阿彌利都婆毘
阿彌利哆悉眈婆毘
阿彌利哆毘迦蘭諦
阿彌利哆毘迦蘭哆伽彌膩
伽伽那枳多迦隷
莎婆訶

若し善男子善女人あつてよくこの呪を誦せんに
阿弥陀仏は常に其の頂きに住して
日夜擁護し給ひ
怨家をして 其の便りを得しむるなく
現世に常に安穏を得
命終の時に臨み 任運に往生せん



なむ あみたばやあ たたぎゃたやあ namaḥ amitābhāya tathāgatāya
  南無無量光如来
たぢゃたあ tad yathā
  所謂
あみりとうばべい amṛta-ud-bhave
  甘露不滅を生む者よ
あみりた しぢばべい amṛta-siddhi-bhave
  甘露不滅の成就あらしめる者よ
あみりた びきらんてい amṛta-vikrānte
  甘露不滅の神変ある者よ
あみりた びきらんたあ ぎゃみねい amṛta-vikrānta-gāmine
  甘露不滅の神変を行ずる者よ
ぎゃぎゃのう きちきゃれい gagana-kṛti-kare
  虚空の如き作用を作す者よ
そわか svāhā
  成就あれ
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6 コメント

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??? (玉猫ちゃん)
2012-12-05 17:42:41
以前台湾の尼寺に、2,3か月お世話になった事があるのですが、朝晩こういうお経を読んでいました。発音は北京語式だったかな?で、これはサンスクリットの音を漢字に置き換えているだけだから、北京語の発音で読んでもサンスクリットが分からなければ、意味がさっぱり分からないですよね?原文のサンスクリットの意味をよく理解して、(その上で、漢字を見ながら?)しっかり称えれば、浄土に往生できますか?(現代の日本人なら、いっそローマ字の方がよくないですか?)
Unknown (管理人H)
2012-12-05 22:44:09
もしかしたら阿弥陀如来根本陀羅尼という、もうちょっと長いものかも知れないですが、禅宗系なら往生呪を称えていたかも知れないですね。

さてこの「呪=マントラ=陀羅尼」ですが、意味を理解していなくても、阿弥陀如来の来迎を信じて誦していれば十分だと思いますよ。というか、「南無阿弥陀仏」でもいいでしょうが。
もちろん、意味をわかって称えても良いとは思います。
その場合の「発音」ですが、慣用音でいいと思いますよ。よく梵語原音通りでないとダメだとかいう人がいますが、私個人としてはそういうことでもないと思っています。事実、歴史上、慣用音で真言を唱えてきたわけですから(そしてそれで高い宗教的境地を形成してきたのですから)。大切なことは、原音・慣用音以上に、称える場合、「カラ念仏」ではなくて「どう考えて称えるか」だと思っています。どこを志向しているのか。

また、意味を考える場合は、どの部分がどの意味に対応していて、称えている時にしっかりと観想できるかどうか。問題はそこでしょう。
…もちろん、いわゆる「浄土系」の宗派の考える「念仏」はまったく別の次元の概念なので、私の言ったことはまったく当てはまらないので悪しからず…。

なお、「浄土に往生できますか」とのことですが、「若し善男子善女人あつてよくこの呪を誦せんに」「命終の時に臨み 任運に往生せん」と書かれています。これを仏語と信じるならば、そういうことなのでしょう。

ただ私の場合、浄土といっても「天国」などのように別のどこかにあるものではなく、無分別の宇宙ぜんたい・存在ぜんたいがそのまま浄土と思っています(娑婆即寂光土!)から、死に臨んでは妄念無明の闇が晴れ、しっかりとその「ぜんたいの浄土」が現前し、死もまた仏業・生もまた仏業・生死ともに浄土の妙用・自他不二の弥陀即自己即浄土である…と厳と自覚して、不二絶対の真如に帰入することをこそ、本当の往生なんではないかと考えています。
四十華厳には、「生前に不断に仏道に精進して無限向上のみちを志して励めば、死に臨んで弥陀の来迎がある」とも言います。

もちろん私も今のところはグダグダの生活、覚りなど遠く遥かですが、それでも自分なりにコツコツと愚直にやっていけぱ、今生で覚れずとも、そこを目指すと言う菩提心さえ持っていれば、現世成仏が叶わずとも、きっと往生できるのではないかと。

もう少しこの「呪」について調べて、読み方を確定して、もしかしたら私も毎日、誦することにするかも知れません…というか、「根本陀羅尼」はずっと受持して称えていますが、この「往生呪」を中心にしていくかも知れないですね。
Unknown (管理者H)
2012-12-05 22:48:28
因みにこの往生呪は、日本では臨済宗や黄檗宗でよく使われるそうですが、読み方は呉音ではなくて唐音だと思いますので、まったく違う聞こえ方をする筈です。
なお、梵音に近いのは、やはり呉音だと思います。
ありがとうございます (玉猫ちゃん)
2012-12-06 09:52:29
ご解説ありがとうございます。発音は、余りこだわっても仕方ないですね。要するに心を清らかにして、自他の分別をなくし(少なくし)て、何があっても笑っていられればそれが浄土ですものね。私はパーリ語のお経を称えています。経本は、台湾のパオ分院で貰ったものですが、中では<アネカジャーティ>と<パティシンカヨニソ〜四資具省察文>が好きです。往生呪はなくて<慈心禅>があり<善吉祥偈>で終わります。
Unknown (明空)
2012-12-07 23:26:23
このマントラは中華圏ではポピュラーみたいですね。
経本にもありましたし、若い歌手も歌っているようです。
http://www.listenonrepeat.com/watch/?v=iVrIwl_1J9U
(こういう風に仏教が生活に密着しているのはいつも羨ましく思います。)

真言宗所用の「根本陀羅尼」は不空訳の『無量寿軌』が典拠ですが、この往生呪は『阿弥陀経』系のいわば顕教系の信仰から唱えられるようになったのではないかと思いました。
いずれにせよ、今日の末尾に付される真言陀羅尼は経典のエッセンスを凝縮したものであると言っても過言ではありませんので、それを念誦することは大きな意義があると思います。
Unknown (管理人H)
2012-12-08 11:36:17
生活仏教。日本もそうなれば良いですが、道遠し。。。

さて、多分、根本陀羅尼と往生呪のルーツは同一だと思います。似過ぎですから(笑)
そして真言陀羅尼などは結局、顕教密教の区別を超えた真実語だとも思いますので、ただ仏語を信受し、己心の弥陀の顕現と光臨がそのまま自分自身であった…という「観想」があれば、それで十分なんじゃないでしょうか。
その後の事は、それこそ「他力」ですよね(笑)
まず自力、そして他力…自他力融合こそ、仏教の本道。

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