卍 応無所住而生其心 卍

仏教に関すること、お寺の行事、法話…

衒学趣味?

2016年10月17日 | 仏教・思索
Facebookやblogなんかで、レベルはそう高くないものの仏教関係の細かい、あるいは教義的、思想的、歴史的な問題について書くこともありますが、以前いちど「そんなことは机上の空論で、我々の苦しみに関係ない衒学趣味で無意味」「もっと社会運動やれ」と指摘されたことがあります。

さて、どんなもんでしょう。

たとえば、医者が細かい医学的な話をしていて、「それは患者の風邪を治さないものだ」「すべての医師は臨床であるべきだ」と言いますでしょうか。たぶん、言わないでしょう。
もしくは、「一般人が見ているFacebookでは、風邪や病気で深刻に苦しんでいる人が多いのだから、そういう話は不謹慎だ」とでも言うでしょうか。それもたぶん、言わないでしょう。

仏教も、僕は同じだと思うんですよね。

たとえば「心王と心所とは何か」とか、「三性説による世界認識のありかた」「真如思想の変遷と行論」について話をしたり学んだりすることは、それを根拠として仏教の思想は成り立つわけですから、当然に実践の根拠になります。必要なんですよ。
それは一種の「研究」的なものの蓄積です。その成果を臨床医は咀嚼しつつ、患者と向き合うわけですよね。僕たちも、研究医である学者や学僧の蓄積を学んで突き詰めて、臨床であるそれぞれの現場、寺や自行にフィードバックするんです。
その大きな基礎の部分を、いまはネットと言う環境がありますから、有志とお話をする、という。

臨床にしか興味のない僧侶は、危険です。しかし逆に、研究のみの僧侶は、確かにある意味で役に立ってくださっています。僕たちは、後者から多大な学恩を被ります。

一般的には枝葉末節で無意味でツマラン議論に見えるかも知れませんが、こういう無意味に見えることを理屈でネチネチ考えるのが坊主の仕事で、これを蓄積していくことで、現場に活かせることが出来るわけです。
その過程は昔はあまり外部に見えなかったのですが、今はその過程の一部がネットに出てきていますから、多少の違和感を一般の方が感じるのは致し方ないのかも知れませんけれども、まぁ…生温く見守っててください。

ネットに書いてるようなことが、僕たちのやってることのすべてではありません。具体的な活動は、毎日毎日、現場でやっていますから。
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