大乗仏教主義!

諸大乗経顕道無異
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坊主丸儲け?

2012年01月18日 | 寺のこと
いまだに「坊主丸儲け」で税金をまったく支払っていないと思ってる人がいるらしい。
また、お布施はそのまま僧侶の収入になると思ってる人も。
「だから」僧侶にでもなれば安泰だ、失業したから坊さんに…などというアホも出てくる。

そんなわけないやんw

たとえばうちの寺は住職である私と、一応は副住職格の妻とふたりでやっています(ふたりとも勿論、真言宗籍を持つ法師です)ので、いわゆる大寺ではない所謂フツーの檀家寺です。
行事あるいは法事、葬儀の際に「お布施」をお預かりして、それで寺院運営をしているわけですが、この「お布施」の考え方に、ふたつあります。

ひとつは宗教的な考え方。
簡単に言うと、布施は基本的にはすべて「御本尊にあがったもの」ですので、僧侶の個人的なものではありません。その御本尊に上がったものを「寺院の維持運営&宗教実践&仏教学等の学習&基礎的な生活費」に使わせていただいている、と言う事です。「基礎的な生活費」の「基礎」の解釈が問題ですが、「なるべく贅沢しない」という事です。基本的には、「お布施」は寺院の維持運営と伝道活動その他のためですから、それをする為の生活に使うという事です。高級外車に乗る等(しかも寺の経費で!)、その目的を逸脱する部分は当然×でしょう。

もうひとつの考えは、世俗的な部分。
いわゆる「布施」は「法人収入」です。「法人収入」である以上、きちんと帳簿が必要であるのは言うまでもなく、僧侶個人の取り分は「給与」として、一定額が決まった日に支払われる、という形になります。つまり「法人所得」はあくまでも「法人所得」ですので、好き勝手に使ったら背任になります。犯罪です。
さて、この「法人収入」については、公益法人として確かに免税です(但し、境内地以外の法人名義の土地があれば、固定資産税は課税されますし、駐車場等の事業をしていれば普通に税金がかかります…うちは事業は何もしてないですが…)が、しかし僧侶個人の収入である「給与分」については、これは普通に所得税がかかりますし、住民税その他、すべて一般と同様です。

こういうこと、あまり知られていないんですよね。

そもそもの話ですが、一部の大寺院を除けば、「法人収入」のトータルでも年間500万円以下、という寺院が地方では大多数です(500万あれば、中の上です)。ここから境内の維持運営、行事采配、そして給与を取る…なんて、ほとんど不可能。ですから兼業僧侶が多くなるわけですが、幸い私の住持している寺はギリギリのラインであれば僧侶に専念できるので幸せな事ですけれど、それでも法人収入の総額で公務員平均給与と同程度のレベルです。
寺院維持には想像以上のお金がかかる(常に古びた建物の修繕をしなくては住めないし、本山への宗費、かなり高額な火災・地震保険その他、莫大に出費がかさみます)し、また将来の改築のための貯金もしなくてはなりません。給与がどの程度になるか、推して知るべし。とてもじゃないけれど「坊主丸儲け」とは程遠いのが現実です。

まぁ私の場合、好きでこの道を選んだわけですから、個人的には金銭的に不満もなくこれで結構なんですけれど(維持できなくなれば維持できないんだろうと、それはそれだけの事ですしね)、ただ、「坊主丸儲け」という色眼鏡で見られてしまうと、現実的に「やりにくいなぁ」と困ることがあります。勝手に「寺は金持ちだから、うちらとは違うしねぇ」と思い込んでいる人もいますので、そうなると斜に構えられてしまい、どうにも仏法の話もやりにくい…という場合があります。
ま、寺の建物自体が大きいので、そういう誤解をしているのかも知れませんが、建物も法人の建物ですから、別に僧侶の持ちモノじゃないですからね。住職(法人代表役員)を辞任したら退去しなくてはいけない。
他にも24時間年中無休、旅行どころか夫婦で昼間に外出すらほとんど出来ないし、地域で人の目は注がれるし、人間関係は複雑になるし、風邪引いても代わりが効かないから葬儀・法事・行事は這ってでもやらなきゃいかんし。それで給与は初任給以下、ボーナスなし、国民年金、下手したら兼業しないと食えない…。
というかそれ以前に、そういう「食えない寺」ですら、一般家庭出身者はなかなか入ることができないのが現実です。

仏教が好きで、これに一生すべて懸ける覚悟じゃないと、まず、やってらんないでしょう。実利的に考えれば、割には合いません。自由もなく、お金もないんですから。

ということで、失業したからとか、職がないからとか、なんとなく楽そうだからとか、そういう安易な理由で坊さんになりたいという人は、どうぞ、他の道をお薦めいたします。
逆に、最低限度の生活であっても、仏教が好きで、仏教の行学を真剣にやっていきたいという人がいれば、どんどんこの道に進んで欲しいものです。これからの時代は今までと違い、本当に真剣に精進する宗教者・仏教者だけが求められていく時代です。
決して経済的には「坊主丸儲け」ではありませんが、自分の人生にとってはこれ以上の「益」なる道はないと思います。本当の「利益」を「丸儲け」したい人にとって、単なる「世俗の自由」ではない「本当の自由」を得たい人にとって、仏教者になる事は理想の道だと思います。
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キーワード
固定資産税
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7 Comments

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Unknown (よっき)
2012-01-18 18:04:08
ご苦労様です。表題の言は一部の人が派手に遊ぶためにできたのでしょう。たとえ裕福な寺でも出家者としてふるまってほしいです。
Unknown (管理人H)
2012-01-18 18:14:29
そうですね。

でも、私は出家者ではないのですが(笑

とはいえ、私も居士とは雖も大乗法師なわけですから、そういう自覚だけは忘れないでいたいものです。
寺が裕福であることは法城の維持のためには結構なことですが、僧侶個人にはそんなにお金はいらないですよね。
うちみたいに冷暖房なんか扇風機と炬燵だけありゃ用は足りるんだし、自動車も軽で用は足ります(なくて済むならすぐ捨てたいくらいです)。

陳腐ですが、初心忘れるべからず。そう言うことだと思います。
Unknown (よっき)
2012-01-18 21:29:52
えっ、今、頭が混乱しています。真言宗では出家と言わないのですか?
Unknown (管理人H)
2012-01-18 22:02:31
2009.8.9の記事の「僧侶の結婚」をご覧ください。私の基本的な考えを書いています。
Unknown (よっき)
2012-01-19 00:15:29
なるほど、出家の定義が分かったように思います。
Unknown (管理人H)
2012-01-19 10:29:27
少なくとも結婚していたり、副業を持っている僧侶は「在家」です。
でも大乗仏教は在家でまったくOK。出家である必要は宗教的にも無用と私は思っています。そもそも菩薩主義というのはそういうコンセプトの筈です。在俗にありながら如何にして覚に向かえるのか。また、在俗にあって仏教徒のリーダーとして生きていく。それず法師です。
まぁ、単純化して言うと、出家は神父、法師は牧師ですね。万人菩薩主義。
Unknown (よっき)
2012-01-19 18:14:10
よく分かります。私の師も在家になりましたから。

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