卍 応無所住而生其心 卍

仏教に関すること、お寺の行事、法話…

大師信仰

2017年06月13日 | 仏教・思索
僕にとって弘法大師は他の祖師方とは一線を画します。

実は最近まではそうでもなかったのですが、いやむしろ否定的ですらあったのですが、いわゆる弘法大師信仰、それに対する認識が変化してきました。

僕にとって、弘法大師はブッダです。

釈尊の仏教と、弘法大師の仏教。それは等価です。もちろん同じものを観ていると確信してますからどちらから仏法に入るのもOKですが、弘法大師の存在(教義思想ではなく)自体が、僕にとってかなり重要なのだな、と。
もちろん釈尊もブッダでありながら「私を盲信して服従しなさい」とは説いておられません。教説を吟味せよ、と仰せです。これは仏教の基本で、弘法大師についてもそれは同じです。
その上で、僕は弘法大師をブッダだと考えています。

そうして、僕、あるいはそれぞれの人がそれぞれのやりかた、実践方法を通して、より本質的に生きていくことが重要なのではないかと。別に「真言宗」の公式教義やシステムに依存していなくても、弘法大師の思想、世界観を受け止めて咀嚼して、善く生き善く活かす生活をするのなら、その人はブッダの子であり、弘法大師の弟子でありうる。
そういう意識で改めて弘法大師に向き合ったとき、まったく違う風景が、真言密教というものの中に見えてくるように感じます。

細かい事相に通暁してるとか、難解な教相に熟達してるとか、いや、本質はそこじゃない、と。平凡な毎日の立ち居振舞い、考え方そのものこそが重要で、具体の実践方法には様々な形があり得る。行法修法は雛型でありよく学ぶべきだけれど、その形式ではなく、その形式の根底にあるものをこそ、身につけなくてはならない。
そしてそれは、僧侶の世界の話ではなく、万人に開かれた世界である、と。
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