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諸大乗経顕道無異
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漢学塾

2012年01月24日 | 閑話休題
江戸時代から明治初期にかけて、日本各地に「漢学塾」というものがありました。
官立の昌平黌や各地の藩校では朱子学が教授されていましたし、大阪・懐徳堂や京都・古義堂、山口の松下村塾などの私塾も各地に大小様々あったわけですけれど、現在、すべて見る影もなく消滅しています。
もちろん東大や阪大、あるいは二松學舎大など、その原点に漢学塾の存在がある大学はありますが…それはもはや往時の「漢学塾」とはまったく違います。
それでも時々「漢学研究会」的なものがありますけれど、大抵はビジネスにどう論語を活かすのか…とか、易占絡みのものか…そういう「実利的」方向のもの、或は安岡正篤の本を読んだりする程のことで、とてもじゃないけれど朱子学だの陽明学だのの世界観的な部分まで扱っていないようです。
というか、そもそもそういう「場」すら上方・東京以外にはないわけで。

私はあくまで仏教者ですから、宗教的な意味で必ずしも朱子学だのを学ぶ必要性があるわけじゃないんですが、しかし漢学の素養は、東亜の仏教者として当然の教養として知っておくべきです(そうしないと、俯瞰的に漢訳大乗仏教世界を総覧できない)。それを学ぶ場が、かつての寺院や漢学塾だったのだと思いますが、今やどちらもダメ。寺院僧侶に漢学の素養はなく(漢文訓読の素養すらも)、塾は皆無。
私も現代教育を受けた者ですから、当然の如く、素養ナシ。

これじゃいかんと思って、以前から片手間に勉強はしているのですが、愈々このままじゃダメだと、最近になって本当に勉強しないとな…との気持ちが強くなっています。
とは言うものの、山口にそんな場があるわけもなく、完全独学の茨の道が眼前に続くだけ…。

しかしそれにしても、漢学・漢籍というのは宝の山なんですけれどね。
千年以上も日本の骨格を形成してきた漢学(広義の国学もそうですし、もちろん漢訳仏典に基づく硬質な日本仏教も含め)を捨ててしまって表層的な事象や経済性に翻弄されるだけの現代日本が、絶望的なくらい精神性の薄っぺらい国になったのも当然です。
時代は変わると言いますが、温故知新とも言います。過去と断絶した現在などあり得ないのに、それを敢えてしてしまうと、根っこもなく茎と花だけを愛でるような、脆弱な人間しか生み出されないことでしょう。
自分を土着の土から離して、別の根っこに接木してしまうなら別ですが(その是非は問いませんが、現実として現代日本人は既に土着の土から掘り出されてしまっていますので、いずれにしても根を下ろすべき土を見つけなくてはなりません…個人として、日本民族として、日本国として、東亜また世界の一員として…)。
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Unknown (管理人H)
2012-01-24 19:22:04
因みに、漢学塾とまではいかないですが、日本でほぼ唯一、専門的な講義を一般向けに行っているのが、湯島聖堂の斯文会が主催する文化講座です。http://www.seido.or.jp/index.html 
実は仏教にも東方学院というのがあるんですが、こういう私塾的なものも、多少はあります。東京に、ですが(-_-;)
私はまったく東京に住みたいとは思わないのですが(5年ほど住んでましたけれど、やはり住むなら畿内です)、こういう分野での充実度を考えると、やはり東京在住の有利さは正直、羨ましいとは思いますね…。

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