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リオ五輪とはなんだろう?

2016-08-15 14:10:17 | 日記


ブラジル・リオデジャネイロの丘の上に立つ「コルコバードのキリスト像」

女子団体準決勝で愛ちゃんが惜敗。その結果決勝進出は果たせなかった。見ていて疲れた。
しかし、男子シングルステニスで、錦織が銅メダルをとることが出来た。日本は96年ぶりのメダル。
この大会のテニスの試合は、2セット取った方が勝ち。錦織は世界ランク5位で過去1勝9敗の相手
に、第1セットは楽勝。第2セットも楽勝かと思った終盤にメダルを意識して固くなり敗戦。しかし、
第3セットは気持ちを奮い立たせて勝利した(YouTube2分)。 テニスファンにはたまらない喜び。
また、この試合のようにアグレッシブな、リスクを冒しても戦う錦織の姿勢には励まされる。

それにしても、リオ大会が今までのところそれなりの平穏さのなかで行われていることは素晴らしい。
でも、女子マラソン選手が走っている沿道の様子をみていて、その警備の状況は心配になった。あまりにも
無防備なように見えた。でもTV画面では見えないところでは、厳しい規制や監視が行われていたの
かも しれない。

また、ぼくはブラジルやリオデジャネイロについて何も知らないことに、当然のことなのだが、驚く次第。
たとえば、首都はサンパウロで、言葉はスペイン語なのかと思っていた。世界史もやったはずなのに、
ポルトガルの植民地であったことも、またキリスト像の立つ一帯が世界遺産になっているのももちろん
知らなかった。

日本国外務省のHPだと、ブラジルは、 

人口 約2億40万人(ブラジル地理統計院推定、2014年)
首都 ブラジリア
民族 欧州系(約48%)、アフリカ系(約8%)、東洋系(約1.1 %)、混血(約43%)、先住民(約0.4%)
   (ブラジル地 理統計院、2010年)
言語 ポルトガル語
宗教 カトリック約65%、プロテスタント約22%、無宗教8%( ブラジル地理統計院、2010年)

しかし、ぼくはテニスというスポーツが大好きだ。卓球も最近はやる機会がないがまあ好きだし、草野球
はもっと好きだ。正直なところ、興味を持てない競技もあるが、しかしスポーツマンシップの精神のもと
各種競技のルールのなかでお互いを競い合うことは大好きだ。楽しくて面白いし、競技に没頭する自分
も仲間と競いうあう関係もきわめて嬉しいし好ましい。大好きなのは、ただそれだけのこと。

あらゆるスポーツは当然ながら、ルールの下ではすべてが平等であることが、原則。この平等・公平
という約束事がとてもいい。そしてなによりも、練習やゲームをとおして”思い切り身体を動かす”こと
の快感!これがテニスに限らず、あらゆるスポーツのだいご味だと思う。
でも、その内まもなく、そうしたこともできなくなる。身体年齢という身体部品の劣化や故障もある。
でも、そのときはそのときにまた考えればいい。
身体原則については、なににせよ死ぬまでは目一杯生きる!という単純なこと以外はない。

そして、表題の「リオ五輪とはなんだろう?」ということになる。
自分で考えるよりも、どなたかが代弁してくれそうなので検索。

「暴論 オリンピックなんかやめてしまえ」 という意見の大方に共感。
(抜き書きを下記に)

<かつて古代ギリシャでは競技会を開き運動能力を競い合った。それから何千年もたった20世紀、
これを復活させようとしたのは、スポーツの持つ人間性をたたえるためだった。

したがって最初のうちはアマチュアに出場を限定していたのも、純粋にスポーツを楽しむことを主眼
においていたからである。それがいつしか金メダルをとることが国家の威厳の発揚の場になってしまった。
特に第2次世界大戦後、冷戦による東西対立の中ではスポーツ面での優位が軍事や経済に劣らず重視
された。

……商業主義が全世界を毒しているが、スポーツの世界ほどそれが露わになっているところはないだろう。
そしてサッカーや野球での想像を絶する契約金や報酬の額は、貧しい生まれから脱出する唯一の方法と
して世界中の運動を得意とする若者の憧れの的となっている。

21世紀に入り新自由主義とグローバル化の波はこれらを一気に不自然で拝金主義への流れをもたらした。
もはや選手たちの頭にあることは金メダルによる栄誉を手に入れることよりもそれによって保証される裕福
な生活である。

金儲けがすべての世の中にあっては、スポーツも投資の一つとなった。企業が選手を養成するのは自分
の売る製品の売り上げを増すためであり、開催国や放送局は、放映権のために巨額の金を動かす。
知名度を増すことを望む企業は大会にスポンサー企業として名乗りを上げ、会場の至る所に自分たちの
ロゴマークを張り付ける。

開催都市はオリンピックによって必ず利潤を生むように全体を企画する。また地下鉄や競技場の建設に
よって業者が潤い彼らとの癒着によって市の当局者たちも大いに収入を増やす。多くの場合競技場は
開催後はさほど利用されず維持費だけがお荷物になるのだが。

……そしてオリンピックは、ますますナショナリズムを高揚させるための道具ともなっている。「ニッポン勝った、
ニッポン勝った」と絶叫するスポーツアナウンサーのヒステリックな声を聞くがいい。そこでは人間の肉体の
限界を破ったことへの畏怖はまったく姿を消し、小学校の運動会なみの勝ち負けだけにだけ関心が集まる>

「暴論 オリンピックなんかやめてしまえ」 

そろそろテニスの準備にかかろう。
それにしてもこの数日、涼しい日が続いている。 


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