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佐川理財局長さんと東大話法とは?

2017-05-11 01:02:06 | 日記

前回の投稿に間違いがありました。
稲沢先生のブログ(雑筆蔵)のなかの「続 思想としての援助1~10」の中には、
「思想としての援助1~5」の論文は含まれていませんでした。ぼくの勘違いです。
『書斎の窓』2008年~2009年に連載された「思想としての援助1~5」は、
ぼくがコピーで持っています。もし読んでみたい方がいたら、その旨お伝えくだ
さい。(web版のバックナンバーには、古いので不掲載)
また、『援助するということ』の再版や改定版も、予定はないとのことでした。

ここから先は、ぼくの、いつにも増しての「漫語放言貫徹コース」です。
お暇なかたはお付き合いください。そしてご批判、ご異見を是非ともお願いいたします。

いつも、テニスにいく前には家でストレッチをします。
きのうもストレッチをしながらテレビをつけたら、参議院予算委員会の中継でした。
すこし見ただけなのですが、あの安倍首相は相変わらずの答弁のわけです。
そしてまた、テレビ画面で閣僚席と予算委員席の自民党議員の表情がとても気になって
しまったのです。

民進党議員の質問と安倍首相の答弁とのやりとりを見ているときのことです。
佐藤正久議員(元自衛隊員)の恵比須顔、三原じゅんこ議員(元タレント)の能面状表情。
太田房江(元大阪府知事)議員の普通顔。そして、麻生財務大臣の意味不明ないつもど
おりの微苦笑というか冷笑もどき。また、稲田防衛大臣の不思議な屈折状表情などが
気になってしかたがなかったのです。
こう書くと、なんだかこの議員の皆さんの悪口を言っているように思われるかもしれ
ませんが、ぼくの見た目での印象そのものを正直に表現しただけなのです。

しかし、衆参両院の委員会審議でなんと言っても気になったのは佐川理財局長です。
ここから先は佐川さんへの悪口になりそうです。人さまの悪口を言っている暇な時間
などないはずの自分なのです。また、他人を批判する資格なども自分にないことも自己
了解しています。ただ佐川さんは国家権力をその身にまとっている役職のひとのわけです。
ぼくたち国民が、その権力の行使は間違っていると感じた時には、それは間違いでしょう、
と批判する責務はあるはずです。責務といってしまうとぼくのことばではなくなりそうです。
ただ、なによりも、佐川さんへの批判は佐川局長への批判のわけです。

佐川局長の委員会での質疑応答の中で、その存在感の圧巻さに目が点になってしまう
わけです。圧巻という言葉はなにかすぐれているといったプラスのイメージで使われる
ことばなのかもしれませんが、とにかくいろいろな意味で、役人の答弁では圧倒的な存在
感です。

ぼくはこの佐川局長の答弁を聞いていると、与謝野晶子の歌「君死にたもうことなかれ」
を思い出してしまいます。
どうしてかなのですが、森友問題では佐川局長が答弁をすることが一番多いわけです。
そして、そこで繰り返される佐川局長の答弁を聞いていると、ほんとうに空しい気持にな
ってしまうのです。そしていくつかのことごとを想い出すわけです。

この歌を思いだすのは、佐川さんのご家族はどんな気持ちで、この局長答弁の様子を
テレビの前で見ているのだろうかと想像してしまうところからです。テレビの前のご両親や
ご兄妹が、そのような血を分けた身内としてもっとも近しい佐川さんの答弁を見聞きして、
どのような感慨をもたれるのだろうかと。
そうした情景とこの歌の内容とは同致しているわけではないわけです。でも、なぜだか
この歌のイメージは、ぼくにとっては佐川局長とそのご家族との関係へと妄想してしまう
のです。しかし、あの時代に、与謝野晶子さんのこの歌は、もの凄い決心の内容です。
軍国主義の真っ只中に詠ったこの歌は、まさに“反戦歌”のはずです。

君死にたまふことなかれ
(旅順口包圍軍の中に在る弟を歎きて)

あゝをとうとよ、君を泣く、君死にたまふことなかれ
末に生れし君なれば 親のなさけはまさりしも、
親は刃(やいば)をにぎらせて 人を殺せとをしへしや、
人を殺して死ねよとて 二十四までをそだてしや。

堺(さかひ)の街のあきびとの 舊家(きうか)をほこるあるじにて
親の名を繼ぐ君なれば、 君死にたまふことなかれ、
旅順の城はほろぶとも、 ほろびずとても、何事ぞ、
君は知らじな、あきびとの 家のおきてに無かりけり。

君死にたまふことなかれ、 すめらみことは、戰ひに
おほみづからは出でまさね、 かたみに人の血を流し、
獸(けもの)の道に死ねよとは、 死ぬるを人のほまれとは、
大みこゝろの深ければ もとよりいかで思(おぼ)されむ。

あゝをとうとよ、戰ひに 君死にたまふことなかれ、
すぎにし秋を父ぎみに おくれたまへる母ぎみは、
なげきの中に、いたましく わが子を召され、家を守(も)り、
安(やす)しと聞ける大御代も 母のしら髮はまさりぬる。

暖簾(のれん)のかげに伏して泣く あえかにわかき新妻(にひづま)を、
君わするるや、思へるや、 十月(とつき)も添はでわかれたる
少女ごころを思ひみよ、 この世ひとりの君ならで
あゝまた誰をたのむべき、 君死にたまふことなかれ。

与謝野晶子については何も知らないのでネットを少し歩いてみたら、反戦は日露戦争
のときまでで、その後は非反戦的とのことなのです。また晩年にはキリスト教の洗礼を
受けたということなので驚いています。いろいろ知っている方は教えてください。

佐川局長の答弁を見ていて想い出すもう一つのことがあります。
昔仕事のなかで、生活保護の方に市役所の担当者からの伝言を伝えることがあったの
です。そしてそのことをHさんに伝えた時に、とてつもなく冷静に、でも断固とした
表情でHさんからお叱りを受けたことがあったのです。
叱られた理由は、午前中に受けた伝言を午後も遅い時間に伝えることになってしまった
からです。伝言の内容に緊急性がないと、かってに判断してしまったぼくのミスであった
ことは明らかでした。そこで、ぼくはもちろんひたすらお詫びを繰り返したのです。
でも、「これから気をつけなさい」という言葉をさいごまで、頂くことができなかったわけです。

ぼくはそのときのHさんの表情を、忘れることはできないわけです。
佐川局長のああした無意味な、いい加減な答弁を見聞きするなかで、ぼくはこのHさんの
表情とそのときのHさんとのやり取りを思い出してしまうのです。悪いのは、Hさんではなく
ぼくでの方であったことは確かなことです。でも、そこで、意志の疎通がまったく成りたたな
かったわけです。Hさんの眼光鋭いまなざしの中で、ぼくはただなんども繰り返してお詫び
することしかできなかった。
 
そして、それからもう一つのことがらを思い出さざるを得ないのです。
それは、東大教授(経済学)の安富歩さんが著書『原発危機と東大話法』で言われてい
ることです。もし、安富さんについて初めてで興味のある方は、ウイキの記事を読まれると
ともに、ユーチューブに講演などがたくさんアップされています。女装趣味も興味を引かれます。

今、検索したら、安富さんは上記の本の続編として『幻影からの脱出―原発危機と東大話法
を越えて
』ー明石書店 2012/7/19ーや、その他とかも書かれていますね。

佐川局長は東大(経済)の出身です。上級職に合格して大蔵省入省。30歳で高山税務署の
署長をされたエリート(キャリア)のわけです。そして、佐川さんの答弁を見聞きしていて痛切に
感じさせられることは、安富さんがその著書の中で言われていることが、そっくりそのまま佐川
局長にも当てはまってしまうように思えてしまうのです。佐川理財局長ウイキペディア

安富さんの本については、アマゾンの紹介サイトを上欄にリンクしておいたので、お気が向い
たらお読みください。『原発危機ー』のサブタイトルは「傍観者の論理・欺瞞の言語」です。
下記の規則のような思考方法が、東大話法としての特徴であるとも言われています。上記
アマゾンの著書紹介の カスタマーレビュー(玉石混淆)や、興味のある方はネット検索で
安富さんの所論のあらすじが読みとれると思います。

東大話法というのは東大関係者にかぎったことではなく、官僚答弁についてよく言われる「霞が
関言語」といった、誰であっても立場主義100%の幻惑的言語について言われていると思います。
幻惑的というより、眩惑的というほうが妥当するのかもしれません。またいわゆる“偏差値”は高い
ほうがいいわけです。でもそのせっかくの優秀な頭脳の正格さを、「不正」「不善」「不義」のために
使ってしまっては、初心志したはずの「正義」が泣いてしまうとおもうのです。 

たとえば、「東大話法規則一覧」ということで、20ほどの規則を列挙されています。
(佐川局長の答弁を見聞きしていると、まさに下記の規則が当てはまってしまうのではないかと)
規則1 自分の信念ではなく、自分の立場に合わせた思考を採用する。
規則2 自分の立場の都合のよいように相手の話を解釈する。
規則3 都合の悪いことは無視し、都合のよいことだけ返事をする。
    (規則は20まで続きます)

安冨歩さん「マイケル・ジャクソンの思想」トークショー(上)(ユーチューブ)

いま読み返してみて、このまま投稿をしてもいいものなのか少し迷うところです。まあ漫語放言と
断り書きをしているわけですからですね。でも、ひと昔前だったらこのようなもの言いであっても、
もしかしたら非国民だとして非難や訴追の対象になってしまうのかもしれません。
吉本隆明さんの『共同幻想論』の解説本をよむなりして、本質的な問題はどういうことなのかと
いったところから……

         

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2 コメント

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感性の欠如 (Unknown)
2017-05-12 08:20:20
霞ヶ関で出世する人は感性が麻痺していなければなりません
そうなのでしょうね (Unknown)
2017-05-12 22:52:37
その昔、藤原弘達さんの講演を聞いたことがあります。
創価学会と公明党の政教一致を批判して『創価学会を斬る』を書いたひとです。今、ウイキを見たら丸山眞男さんのお弟子さんだったみたいです。どういう人であったのかはよくわからないのですが、その頃、テレビの政治討論番組などを見た限りでは、豪放磊落なかたであったという印象しかありません。
藤原さんの話で記憶に残っているのは、「日本の政治は官僚が支配しています」ということだけなのです。その官僚の養成機関でもあったのは東大(主に法学部)だったはずです。
そして、そうした東大関係者のあり様を分析した安富さんの現場からのレポートは、いろいろな意味でとても刺激的です。

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