気の向くまま日記

広島の気功整体師の日常から~
日常の生活のなかで感じたこと
日々の写真、食べ歩きなど気の向くまま綴っています。

果しなき流れの果てに

2013年09月23日 | 最近読んだ本、観た動画

1965年に発表された長編SF小説。半世紀あまり前の作品、私の中ではSF最高傑作の中のひとつです。

     

果しなき流れの果てに  小松左京  ハルキ文庫

私は高校生のころSF小説にはまり、星新一、筒井康隆や海外作家などいろいろ読みましたが、特にこの作品が印象に残って、当時の自分には理解しきれない内容もあり、またいつか理解できる自分になった時に読み返したい、と思っていた本でした。

小松左京というと映画にもなった「日本沈没」を思い出されるかたが多いと思いますが、この作者にとって、日本を沈没させる、なんてことは朝飯前のことで、映画では日本が沈没する!ということがセンセーショナルに描かれて、小松左京の表現したいこととは違うんだがなぁ~と思いながら映画を見た記憶があります。

さて、「果しなき流れの果てに」は何があるのか?
物語は恐竜の闊歩する白亜紀にけたたましく鳴る電話機の音からはじまり、過去、未来、時間を超え、空間的にも地球を越えて太陽系を超えて、銀河を超えて、平行宇宙、すべての時空、次元も超えた、秩序を支配管理するものと、それに抵抗反抗するものの捕り物劇が展開されます。

現実的物語的には最後に全てをやりつくして、全てを失って燃え尽きた主人公が、50年の年月を経て記憶喪失で戻ってきて、50年も彼を待ち続けお婆さんになった以前の恋人のもとにたどり着き、縁側でひなたぼっこをしながら昔話、夢物語を語り合うシーンが、高校生時代の私にも非常に感動的で印象に強く残り、40年後の今の自分が読み返しても胸の奥がキュンと反応します。

時間、空間、次元を超えて「すべてを知りたい、認識したい」と強烈に欲する意識。

これは作者そのもののでもあるし、私が最も共鳴するところでもあります。人間という”認識するもの”という段階になった生物は肉体としての生物で終わるものではなく、次の段階のさらに上の次元を認識するものへと進化していく・・・

人間とは、意識とは、時間とは、空間とは、進化とは?
そんなことに強烈に興味を持ち始めた高校生の私が感銘を受けた本であり、なぜか40年経った今読み返して、感動を深めた本です。

 

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