気の向くまま日記

広島の気功整体師の日常から~
日常の生活のなかで感じたこと
日々の写真、食べ歩きなど気の向くまま綴っています。

花はどこへ行った?

2017年05月18日 | ヒーリング講座

今日はたわいのない妄想話

若い人は知らないかな?この名曲

ピーター・ポール&マリー(PPM)/花はどこへ行った(Where Have All The Flowers Gone)

ついさっきまで目の前にあったものが行方不明になる、なんて経験ありませんか?
花はどこへいった・・・ならぬ、ハサミはどこへ行った?の巻

先日、私に起こったことは・・・

施術に使う大きめのフェイスペーパーを二つに切ろうと、治療ベッドの上にペーパーとハサミを用意して
さあ、切ろう!としたその時に、空気の入れ替えで開け放していた玄関の風鈴が、風で激しく鳴りました。

先に玄関を閉めておこうと、立ち上がり、玄関を閉めて戻ってくると、
あれっ!?ハサミが無い!?

歩いて往復、25歩

時間にして20秒(再現して計測しました)

ハサミを手に持って玄関まで移動したんだろうか?と移動経路で手に持ったものを置きそうな場所をくまなく捜索するも

無い・・・

よ~く思い返してみました。

ハサミを手にしてペーパーを切ろうとしたところまでは覚えている
その直後、風で開け放した玄関の風鈴が鳴った
玄関に向かうとき、ハサミをどうしたのかはまったく記憶にない
自分の意識は玄関を閉めることだけに向かっていた
玄関を閉める目的を完了し、元の場所に戻ると、ハサミが見当たらなかった

目の前の現実は自分の意識(あるいは記憶)の投影であるから、物質、物体というものは自分の意識から外れた時に存在しなくなるものなのか?

現代物理学でも、その人が意識した時にその物体、現象は現れ、意識しないときはすべての物体、現象はカオス状態であるといいます。

ホ・オポノポノでは目の前の現象は、すべてその人の潜在意識にある記憶の繰り返しの再生である、といいます。
自分が見ているものは、自分だけの世界であり、自分に100%責任があるととらえます。

ハサミに対し自分の意識が向かなくなった瞬間に、それは存在するともしないともわからないカオスの状態になり、自分の世界から消えてしまったのだろうか?

しばらくの捜索と思考の時間の後、もうあきらめてほかのことをした後に、違うハサミで切ろうと現場に戻ると

なんとっ!!

探すのをやめたとき♪見つかることもよくある話で♪(by井上揚水)

ペーパーの下からハサミは出てきたのでした。。。

状況から考えて、風が吹いたのでペーパーが飛ばないように上にハサミを置くことはあっても、わざわざペーパーの下にハサミを入れてその場を立つということは考えられないのですが・・・

普通に言えば、単なる思い違いということに過ぎないのですが、じつはハサミはいったん非物質化して別空間に瞬間移動してまたテレポーテションして戻ってきたのではないかと、どうも納得のいかない私なのです。

すると今朝起きた時、奥さんが「無い、無い」と騒いでいます・・・

昨夜使ったばかりの焼き海苔を入れたタッパーが無い!

そう、私も昨日夕食でそのタッパーから焼き海苔を出して食べて記憶があります。
一緒になって、台所のすみずみを探したが無い、もしかしてバッグの中?ごみ箱の中?冷蔵庫から洗濯機から風呂場、トイレの中も、考えられるところ、考えられないようなところまで探したが、無い。

焼き海苔を入れたタッパーごとこれまた消滅?

最近、潜在意識のクリーニンング、記憶の消去に励んでいるため、いろんな物体まで消去してしまうのか?

焼き海苔タッパーは今だ見つからず、
海苔=糊(のり)

記憶と物質(現実)を接着して貼り付けている糊(のり)が消滅して、現実が記憶に縛られなくなる、という象徴的出来事なのか?

妄想はつづく・・・

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フォーカスしない・・・

2016年05月12日 | ヒーリング講座

最近私の中に繰り返し出てくる言葉があります。

「フォーカスしない」

フォーカスとは「焦点を合わせる」という意味で写真ではピントを合わせるとも言います。

一枚の小さな葉っぱに焦点を合わせて撮るとこんな感じです。

もう少し引いて撮るとこんな感じで植物のだいたいの感じがわかります。

もっと引くと全景が現れて、その後ろ、周りの植物もあるのがわかります。

パンフォーカスといって(厳密にではないですが)、一点ではなく全体にピントがほぼ合っている状態です。

私たちの日常生活の中で、何か一つの事柄に焦点を当てた時、人間の癖として、その事柄をズームレンズで最大倍率にしてそこだけを見てしまいます。

その事柄はよく見えるようで、じつは周りが見えません。

”そこ”を何とかしようとしても小さな範囲の中で堂々巡りをくりかえし、どこにも出られず、状況は前にもまして悪くなります。

フォーカスしない、ということは焦点をボカす、ということではなく特定の一点にピントを合わせず全体を見て全体を受け取るということだと思います。

 

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スプーン曲げ

2015年11月02日 | ヒーリング講座

ヒーリング講座は最近あまり記事にしないのですが、希望者がおられたらマンツーマンあるいは少人数でやっています。先日は30代男性の方が受講されました。その中で私の体験談として、15年くらい前に突然スプーン曲げができるようになった事をお話ししたのですが、受講した翌日に彼から「できました!」と写メがきました。

すごいですね!
スプーンだけでなくフォークまでも!(笑)

勘違いしないでもらいたいのですが、私の講座ではスプーン曲げができるように教えている訳ではないんですよ。ただ、人間はこんなこともできる可能性がある、ということを体験談としてお話ししているだけですが、彼は本当に素直に受け入れてやってみてくれたようです。

「素直さ」が一番ですね!
ところで、私はもうスプーン曲げをすることはありません。
理由は・・・私のところに来てくださった方にはお伝えしています。

 

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未来(過去)の自分に出会った!?

2014年07月15日 | ヒーリング講座

ヒーリング講座は最近あまり記事にしませんが、希望の方がおられるときにポツリポツリとやっています。受講される方の中には不思議な体験をされている方が多いのですが、最近来られた方で、とびきりハッキリとした不思議体験談を紹介します。

B子さん(仮名)40歳が、16歳と19歳の時に起こった出来事です。

当時高校生のB子さんは友人と二人で自転車に乗って下校中でした。友人とおしゃべりをしながらゆっくりと走っていたのですが、道の進行方向からジッと自分を見つめている視線を感じました。

その見つめている人を見た瞬間、
「あっ!自分だ!・・・」
と直感で分かったのですが、とっさに思考がはたらき、
「そんなバカなことはない、思い過ごし・・・」
と自分に言い聞かせ、その人から逃げるように道を左折し、後ろも見ないで大急ぎで自転車をこぎ、その場から立ち去ったのでした。

でもその光景はB子さんの脳裏にしっかりと焼き付き離れることはありませんでした。
「あれは、たしかに自分だった・・・それも少しお姉さんになった自分・・・」
ということは何年か先に、同じ光景を見るのかもしれない・・・

それから3年の月日がたち、女子大生になっていたB子さんが同じ道を歩いていた時に”それ”は起こりました。

歩いている進行方向の先から自転車の女子高生二人連れがやってきます。
そのひとりは”自分”

ジッと見つめました。
まぎれもない、あの時の”自分”

高校生の自分は、大学生の自分の視線を避けるように道を曲がり去っていきました。

***************

以上、B 子さんの体験談ですが、これは時間と空間の性質を表しているんですね。
時間とは過去から未来に一直線に流れているものではない・・・
今、現在にアクセスしたとき、そこは無時間の永遠の空間となる・・・

 

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光と影その2「好事、魔、多し」

2013年09月18日 | ヒーリング講座

台風が去ったあとは朝晩が急に涼しくというか、朝は20℃を切るようになって、少し前とは10℃も差があるので寒いくらいです。

9月2日の記事お月様の光と影を読んでの反響が何人かの方からありました。私のブログは食べ歩き記事を楽しみに見てくださる方も多いのですが、たまにはヒーリング講座のカテゴリーでそちら系統のことも書いていこうと思います。

前回の記事に書いた「どちらかの立場から反対側を受け入れるのではなく、両方の立場を超えたどちらでもない位置から、両方同時に受け取ることで、”全体”という視点、ワンネスの位置」というのは日本語の意味としてはわかっても、これをほんとうに理解する、ということはじつに難しいのです。

人間は頭の思考で考えて記憶するのですが、それは脳の中に知識が増えるだけで、それだけでは、その人は変わらないのです。たくさんのスピリチュアル系の本を読んでも変われません。ほんとうに理解した、ということはイコール変容を意味します。つまり、変容が伴っていなければ、理解した、とは言えないということです。

「いいお話でした。ありがとうございました」
というのは、まったくその人は変わってないということです。
まずは知識として記憶することはいいのですが、自分のこととして受け止めた場合、それに伴う体験が起きます。
そして自分自身の体験によって

「あっそうか!!」

と気づき、腹に落ちる・・・
という状態になって初めて、その人の中で変容が起こり、知識がその人のものになって使うことができるようになります。

「光と影のどちらが、いい、でも、わるい、でもない」という日本語は誰でも理解できますが、実際に自分の生活の現実になった場合、目の前に「影」がやってくるとどうしますか?

たいていの人が即座に否定すると思います(笑)
ご存知と思いますが、ことわざに「好事、魔、多し」というのがあります。
良い事には、じゃまが入りやすい、という意味ですが、たとえば仕事などで非常にうまくいっている状況、特にとんでもなく良い状態であればあるほど突然、それをひっくりかえしかねないほどのトラブルが発生する、ということです。

これは時系列的にみると、良いことがあってその後、悪いことが起きた、というように見えますが、本当の位置から見ると、じつは「同時」なんですよ。
本当の位置から言えば、良い、も、悪い、もないのですが、説明の便宜上良い悪いを使いますけど、すごく良い、を作ると同時に同じだけ、すごく悪い、が発生しているのです。

「好事」と「魔」とは同時に一枚の紙の「表」と「裏」のように存在している、ということです。
ですから、「魔」を否定して「好事」ばかりやろうとしてもそうはいかない、ということです。
両方、受け入れるしかないのです。

「好事」が体験したいから「魔」がやってきたのですよ。

「魔」がいらない、と拒絶すれば「好事」も無い、のです。

このことを本当に理解できれば、どちらも「あっそうなんですか~」ということです。

「魔」をなんとかしようとしている、あなた。
なんとかしようともがけばもがくほど深みにはまります。

物事の状況が動くのはタイミングがあります。
まずは今の状況を嫌わないで「ジッと見る」どうこうしようとしないで受け入れる。
そしてタイミングを「待つ」ということだと思います。

 

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2013年9月2日お月様の光と影

2013年09月02日 | ヒーリング講座

雨が続いて朝晩が急に涼しくなりました。昼間はまだ蒸し暑いものの、猛暑は終わり季節は移っていくようですね。

 2013年も9月になりました。最近私の頭の中にチラチラするのは『統合』という言葉です。

お月様もまんまる満月の時だけではないですね。半月、三日月と刻々と形を変えます。月という天体が形を変えてるのではないことは、みんな知っていると思いますが(笑)地球が太陽の光をさえぎって、影になった部分が動いているわけで、本体が変わるのではなく、光と影で形が変化しているのです。

先日来られた方が言いました。
「自分の闇(影)の部分がイヤでそれを消し去って、光に包まれたい・・・」

三日月は光と影があるから、ああいう形ができるんですね。お月様が影を嫌ったら、三日月はありえないんです。光と影はお互いに相手を否定して反対、対立しているのではなく、お互いにそれがなければ存在できない、お互いを補い合うものとして、セットで存在しているわけです。

闇を嫌って、光の方向に行こうとすると、自分がもがいて進んだだけ、じつは闇も大きくなるのです。

光を”良い”ものとして、自分が良い人になればなるだけ、”悪い”人を目の前に見ることになります。

そして”良い”ということは自分の中で”あたりまえ”なこととして無自覚に存在しているので、自分がそれを”良い”としていることさえ気づけないのです・・・

光(良い)の立場から、闇(悪い)こと(人)を受け入れる、ということは絶対に無理です。
なぜなら、すでにジャッジして反対側を嫌っているのですから

統合とは、どちらかの立場から反対側を受け入れるのではなく、両方の立場を超えたどちらでもない位置から、両方同時に受け取ることで、”全体”という視点、ワンネスの位置ともいえます。

 

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スイッチオン!

2013年01月27日 | ヒーリング講座

広島では雪がチラつく日が続いて寒いですね。ニュースで沖縄では桜が咲いてるそうです。

先日、今年になって初めてのヒーリング講座を開きました。講座を開く、といっても生徒さんはひとりですから、個人指導です。私の施術を一回受けて、翌週すぐにヒーリング講座を受けたい!といって来てくれました。

ヒーリング能力がスイッチオンした直後のこの方の感想は、
「なんだか、体の細胞がザワザワ変わっていってる感じがします」ということでした。
私の講座は「受けたい!」といってくださる方と私の都合が合えば、いつでも開きます。

 

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デジャヴその2(七夕の奇跡)

2012年07月10日 | ヒーリング講座

(昨日の続き・・・先に7/9の記事を読んでね)

 

7月7日、土曜の休日、出かける予定も無く夫婦ふたりで朝からのんびりとテレビを観ていた。
テレビではある熟年夫婦のドキュメンタリーを放映していた。

その夫婦がある屋敷を訪ねた。
古い日本家屋。
築山のあるような日本庭園。
縁側のある広い間取り。

その縁側に熟年夫婦がふたりで座り、庭を見ながらしゃべり始めた。

・・・

 

あっ!この光景、見たことある!

 

・・・


その全体の光景をテレビを通して、少し離れて俯瞰して見ている、この私。

私の横には奥さんがいる。

あの時、30年数年の時空を超えて、このイメージを受け取っていたんだ・・・

30年以上かけて完結したデジャヴ。
過去の時点の私から見れば、未来の記憶を受け取っていたわけだ。

過去も未来も、現在の領域にはどちらもあって、どちらもない。
すべてが同時に存在している。
このことが、深く実感された体験だった。

よりによって、7月7日七夕の日に、30数年を隔てた過去と未来の逢瀬・・・
それをパートナーと共に観ている。
このプログラムのストーリー設定。

いつ、どの場所で、どの両親のもとで生まれ、だれと結婚し、どんな人生ストーリーを体験するのか。
すべて、自分自身で決めてきたシナリオ。
私の内側はなんとロマンチックなことか(笑)

ちなみに、この庭、屋敷は山口県岩国市にある、作家の宇野千代さんの生家であった。
私はこの場所に行ったことは一度もないし、彼女の作品を読んだこともない。
しかし、私は広島育ちではあるが、生まれは母の実家のある岩国市、
錦帯橋周辺は子供時代の思い出の場所なのだ。
これも、深いご縁を感じずにはいられない。

このデジャヴの謎解きが今世で終わったことに感謝し、この屋敷を近々訪ねてみたいと思う。

(終わり)

長々と私のメルヘンにお付き合いいただきまして、ありがとうございました。

(写真は某旅行会社のHPより拝借したものを加工しました)

 

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デジャヴ

2012年07月09日 | ヒーリング講座

デジャヴ:既視感(きしかん)とは、実際は一度も体験したことがないのに、すでにどこかで体験したことのように感じること。

私はそんなに多くは無いですが、人生の中で何度かデジャヴを体験したことがあります。
今回の体験は頭に浮かんだイメージをじつに30数年後に実体験することになったのですが、私の中の心象風景ですのでメルヘンとして読んでくださいね。

私が大学生で二十歳のころ奥さんと知り合った。
そしてまだ、付き合い始めてもいない、3,4回目に会ったころ、私の脳裏にある”イメージ”が浮かび上がった。
30年経っても色あせない強烈なイメージ。

日本家屋、ふた間続きの広い間取りで縁側がある。
目の前は和風の、築山がある庭。
暑くも寒くも無い、気持ちのいい季節。
熟年の私は和室から、庭を眺めている。
私の横には奥さんらしい女性。
そして・・・
その全景を、私の後方3メートルあたりから俯瞰して眺めている”もう一人の私”がいる。

その後、24歳で彼女と結婚することになったので、その”イメージ”は結婚相手を教えてくれたもの、と自分なりに理解のおりあいをつけていたが、そのイメージのなかの”状況”には結婚30年来、一度もそんな場面になったことはなかった。

これまで何人かの人にこのことを話したことがあるが、「庭とか一戸建ての家に興味があるのでは?」などといわれたが、私は結婚以来、一度も一戸建ての家に住んだことも無く、庭の管理などめんどうでマンション暮らしが性に合っていると思っている。

だから、あのイメージは今世のことではなく、前世の記憶?などと思ってみたが、
先週のこと、今世でこのイメージの状況に出会ってしまったのである。

(続く・・・)

 

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過去の残像(この世の仕組み)

2012年05月25日 | ヒーリング講座

何かひとつクリアしたとき、わかったとき、やった!と思えた時、など、
その直後、あるいはしばらくしてから、
「なんで!?」「そのことは終わったはずなのに・・・」といったことが起こる。
そんな経験、ありませんか?

     

私の実体験ですが先日、夫婦の会話で久々に”ムカッ”ときたことがありました。

「あたたは○○してくれない、あれしてくれない、コレしてくれない、何もしてくれない」

以前、私は奥さんのことを「くれない族」と呼んでいました(笑)
「うるさい、うるさい!聞きたくない!言うな!だまれ!」
といえば言うほど、奥さんの不平不満はさらにつのり、それ以上に爆発する・・・

これを繰り返してきたのですが、人間の関係性の仕組みや、目の前に現れている”現実”と見えるものの正体を私が理解していくことで、「くれない族」はしばらく目の前に現れなくなっていました。

目の前で不満や不安を現す奥さんの姿は、じつは私が隠し持っている不満や不安だったわけです。しかし、表向きの私は、「なにがあっても安心だぁ~」と安心(プラス)に傾いているわけですから、目の前の不安(マイナス)は見たくありません。

お前が不安だから、不平不満ばかり言うから悪くなるんだ。もっとプラスに考えろよ。と自分の中に同じマイナスがあることはしっかりフタをして隠し、プラス、プラスとプラス思考に傾いていったことが同じ大きさのマイナスを目の前に見るハメになったわけです。プラス思考はじつはマイナス思考と同じものだったのです。

人を批判したり、変えようとすると、こういうことを引き起こします。
・・・こういうことはすでに理解して終わったはずだったのに・・・ 

      

 でもこの世のシステムは完璧です。
先日の奥さんの久々の爆発は、私がまたプラスに傾きすぎたことを教えてくれるものだったのです。旧友たち10数名で集まった際に、私が「幸せ、感謝」を連発したことで、奥さんはその反対の極の不安を見せてくれたのでした。

そして、これが肝心なことなのですが、
「またやってしまった~ダメだぁ~」とか
「悪い自分を反省して、改善しなければ」とか、なんとかしよう、とすると元の木阿弥。
またまた以前と同じ堂々巡りにはまるのです。

目の前の現実は自分の傾きを教えてくれるもの。
「あっそうか!」と受け取って、どうこうしようとせず、
「ありがとう!じゃ~ね~」でさよならです。

目の前に出てきたものは、過去の残像だったのですから。

 

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