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長からむ 心も知らず 黒髪の 乱れて今朝は ものこそ思へ

支援という名の暴力

2016-12-16 07:26:42 | 仕事いろいろ
タイトルのような考え方が最近、流行ってきた。

27年度から『生活困窮者自立支援制度』が始まった。
生活保護の前の第二のセーフティネット、
ワンストップサービスだ。

自治体によっても取り組みは様々で、
直営(自治体がダイレクトにやっている)、委託、いろいろな形があるらしい。

で、業務委託の中では、
民間企業、とりわけ、派遣会社がやっていたりするところがある。

摂市や、戦区、包装市でそんなことをやっている、という意味ではないよ。
念のため。

で、どういうことが行われているかというと、
生活保護の申請を希望している人に
「こういう仕事がありますよ。」と自分の派遣会社の派遣の仕事
(だいたい最低賃金レベルの仕事)を紹介し、
本人の希望を無視して、とにかく、
生活保護申請を食い止める、というやり方。

本人が希望しているなら、いい。
ただ、希望するにしてもいくつか選択肢を提示して、
本人が選ぶんなら、いい。
問題は、選択肢を与えず、「コレしかないから、コレをやれ。」
を言葉をつくして、説得する。

それが、支援の押し売り、
支援という名の暴力なのでは???
というようなことが最近、言われ始めてきた。

自分自身も反省はある。
支援の押し売りをしていないだろうか???
支援のつもりで、本人の真意に逆らっていないだろうか?と。

※本人が希望しているからといって、
不規則な生活や暴飲暴食を意のままにさせる、という意味ではない。念のため。
本人の健康・生活を守って、という大前提はある。

法律・制度は守らなくてはならない。
いくら本人希望だからといって、
例えば、生活保護の『他法・他施策優先』とかは変えようがない。
こういうことは守らなくてはならない。

ただ、それだって、本人が理解しやすいように工夫して、説明したりするのが、
支援であって、
本人が理解できず、つまらなさそうにしたり、
別の反応をしたときにこそ、
支援の腕の見せ所であり、
それをしないで、決めつけるのは、
支援ではない・・・。
と私は思う。

そういう残念な支援者に出会うと私は話す気にはならない。
それは、支援者ではない。
「支援という名を語った暴力だ」という考え方にむしろ、共感する。

本人が分からない、理解できない、ときに言葉を尽くして、
あの手・この手を使って、時間をかけて、再三、説明をする、
それが支援であって、
自分の提案する支援が素晴らしいモノであり、メリットしか語らず、
相手が「こういう方法もありますよね?」と言ってきたときに
その選択肢のデメリットしか言わない・・・

まあ、今更だけど、小・中の就学相談(厳密には中学の時は受けていないけど)も
そんな感じだったからねえ。
「養護学校(特別支援学校)がいかに素晴らしいところか」を熱く語られたっけ?
そして、「支援学級に行くデメリット」を山ほど説明され、
「本人に負担がかかって、のびのびと学校生活を送れない。」とか言われたなあ。
さんざん、「支援学級に行きたい。」という希望を否定されたよ。
今では、懐かしい思い出だけど。

アレも、今風の考え方に照らし合わせると、
『支援という名の暴力』と言えちゃうかも知れないなあ。
どーせ、その頃の担当者、異動や退職でいないと思うけど。

ま、言うことを聞かずに成功したから、はい、残念でした、って結果だけどね。


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