Happy☆Salsa!のTo Be Happy♪

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【気になるCM】カネボウナイーブ ヒーロー編

2005-02-08 19:42:53 | 気になるニュース・CM
私はシングルマザー願望まったくないのですが・・・

このCMの男の子ったら! かわいくてたまりませんっ!
思いっきりぎゅって抱きしめたいっ!
こんなにほのぼの すくすく育っている子供 今でもいるのかなぁ
こんな子ならほしい・・・

などと思いながら、この子役の男の子の醸し出す雰囲気にかなりやられてます。
と同時にこんな風な子供を育てたご家族は素敵な家族なんだろうなって思います。

今後大活躍の予感☆彡

小さいながらも一生懸命真剣に悪と戦う彼がなんともいとおしく、ほほえましく、ちょっと懐かしい感じ。
私も女の子だけど、こんな子供だったなぁ。
汗を飛び散らして「ハッ」とやっている様子もとっても劇的でいいし、
その後の家のお風呂で汗を流して「はぁ~」と首をふりふりしている様子。
この2シーンが抜群ですっ!!!
まだ観ていない方は是非下記HPで一度確認してみて!


このCM監督もかなりいい。
CM監督から映画監督が生まれることもしばしば。この監督も将来有望ですな☆彡

CMをご覧になりたい方はカネボウ公式HPまで

日本テレビドラマ「87%」

2005-01-26 19:00:49 | 気になるニュース・CM
日本テレビドラマ 「生存率」の表記削除(ヤフーニュースより)

生存率という言葉は確かに死亡率○○%という病に罹っている人達にとって
ショックかもしれない。

でも本当は、生存率100%の人間なんてこの世に存在しない。
がんで余命宣告されている人より先に健康な人が交通事故で亡くなってしまうこともある。
宿命はわからないし、変えようがない。今の私はそう思っている。
とはいえ、きっと精神的苦痛や恐怖などの辛さはたとえようもないものだろうと思う。

以前、交際していた人から手紙が届いた。別れからかなり経ってからだったと思う。
その手紙は彼が病院のベッドで書いたものでした。

その内容はショックなものでした。
いくら別れたとはいえ、交際していた人が幸せでないことを知り、
病気で精神的に落ち込んでいたせいかもしれないが、
私や私の知人を責めるような内容だった。まるで私達のせいで病気になったと言わんばかり。
(私はふられたのですが、彼はその前に実は傷ついていたと手紙に書いていた)

当時はPCなんて持っていなかったので、すぐさま本屋で医学書を立ち読みすると、
彼の病には死亡率という項目があり、数字が入っていた。。。
そこで初めて彼の病の重さを実感した。「彼が死んでしまうかもしれない?!」
その前後の記憶がないので、ショックで茫然自失状態だったんだと思う。
更に彼の手紙の言葉が重くのしかかってきた。
私のせい???もちろん科学的にはありえないことだけど、私の言動が病の彼に生きる希望をなくさせているのは事実。

一体自分には何ができるんだろう。どうしたらいいんだろう。

見舞いに行くかどうか。考えられるだけ考えた。
結局、見舞いには行かなかったが、電話と手紙で何度かやりとりをして、彼のは落ち着いたようだった。
病院で知り合った女性と交際し始めたのも彼の心に好影響を与えたのだろう。
また、その彼女に私の話をした際に、私のことを「いい人だね。」みたいに言ってくれたらしい。

彼は体力を回復し、大学受験浪人を諦め、空気の綺麗なところで療養生活を送り、
手術をし、定期的に検査をしに通院しなければならないが、大丈夫とのこと。
その後、八丈島でホテルマンとして勤務し、一度TV放送で彼を観た。元気そうだった。
八丈島に遊びに行こうかという話もあったが、結局今まで彼とは会っていない。
たまに電話や郵便で連絡を取っていたが、最後は2,3年前。
八丈島から東京の本社へ戻った話を聞いた。今どうしているかはわからない。

もしかしたら、今頃、愛する女性と結婚し、子供もいるかもしれない。
その彼の死亡率を生存率100%から引くと、ちょうどこの番組のタイトルと同じ位。
つまり彼の生存率も約87%だったのだ。

彼も私も生きている。

私自身、以前は医者も病院も大嫌いだった。でも、大きな病気にかかったら他人事ではない。
やはり、自分の命はできるだけ自分でコントロールしたい。
けれど、それは無理なのだから、できるだけ、信頼できる医者と病院に任せたい。
そう思いながら、私もこの番組、少し気になっている。

私が数年後生きているかなんてわからない。
だけど、他人にあなたの生存率は何%だなんて言われたら、本当に想像できないくらい酷い気持ちになるだろう。
そして普段は気にならないことにも敏感になるだろう。
彼があんなに酷い手紙を書いたこともなんとも思わないくらい。だからこの番組のタイトルに抗議が来るのもわかる。
でも、きっとあの番組はいい番組だと思う。

もう少し暖かくなったら彼に電話してみようかなと思った。元気に幸せにしてるといいな。

【心の病】~本日のヤフートップニュースより~

2005-01-24 18:27:49 | 気になるニュース・CM
心の問題「共依存」に問い合わせ殺到
陽のあたる場所から』の試写会が行われ、上映後の19時15からフェミニスト・カウンセラーである河野喜代美氏によるトークイベントが行われた。(以下詳細はHP参照)


3年ほど前から独学で心理学を学んでいる。
その中でもとりわけ興味があるのは「依存(嗜癖)」と「共依存」と「アダルトチルドレン」
この関連性のある3つに関心を持ったのは自分にもしかしてあてはまるかも?と疑問関心を持ったから。
読み出しはかなり辛かった。涙なしには読めないページもあった。
だけど、なぜだか目をそむけてはいけない!と自分に言い聞かせて読みまくった。関連書を濫読。

私が最初に心の病に目を向けたきっかけjは・・・
それまでの自分は、強くて大きなものが好きだったし、自分も強くありたかった。今でもそういう部分は多々ある。
逆を言えば、意思の弱い人。甘い人、頑張らない人が嫌いだった。いい結果が出ないのはその人の努力が足りないからだと思っていた。
そして自分の弱い部分をみつけるとまるで筋トレをするかのごとく徹底的に自分を苛めていた。
社会に出てから、周囲に心の病にかかった人が増えてきた。
受験生として中途半端に社会にいた私は社会やサラリーマンの辛さがわからなかったのかもしれない。
明るく前向きな人が周囲に多いので就職難も感じなかったし、みんなの人生も順調そうにみえる。
心の病なんて、暗くて友達がいなくて人と話せない特別弱い人がなるものだと思っていた。

だけど、そうじゃなかった。

友達の紹介で知り合った男の子は、明るく話の面白い多趣味でスポーツマンでルックスも日焼けしていてお洒落で爽やかいわゆるモテタイプ。第一印象もよく意気投合して、すぐに仲良くなった。

彼が欝だと知ったのは、知り合ってどれくらいたった頃だろうか?
私は特定の人にとって、心を開きやすい人間のようで、彼自身から病気のことを知らされたのも結構すぐだったと思う。

彼が鬱病だなんて信じられない。ということから関心を持った。「鬱病って一体?」彼と欝が結びつかなかった。
私の「心の病」および病にかかった人への認識は一気に変わり始める。
それを機に、欝について調べた。インターネットや本。そして彼自身と彼を通じて彼の主治医の話。彼の職場には他にも自殺未遂を起こすほど心を病んでいる人もいた。それを機に周囲の友達との会話に欝を出すと、意外に欝は身近にあることがわかった。
医師である友人にも聞いみたりした。彼の専門外ではあったのだけど。(実はその友人自身、後に心の病になり医者を一時期休むことになる)

まったく自分とは無関係無縁と思っていた心の病が一気に身近になった、
そして自分を見つめ直すとそれなりに自分にも問題があり、心の病と診断された友達との差なんてたいしてないと感じた。
差があるとしたら日常生活に支障が出るかどうかだけ。
きっと自分の問題で人に迷惑をかけたり傷つける人なんて私を含めて誰もが経験があるはず。
(実際、私の友達ははっきりした原因がわからないまま症状だけあって病院にいくと欝と診断されて困惑している。うっすらとあれが原因なのかなぁって感じはあるけれど)
大小の差こそあるが、誰にでも欠点があるように心に問題は抱えている。ちょっとした差で日常生活に支障が出ない程度におさえているだけ。差別できるほどの差なんてないのだ!

心の病に対する誤解や偏見・抵抗をなくし、自己認識することによって、自分の中で大きな変化があった。
優しく思いやりがもてるようになった。いや、それまでも自分なりに思いやりを持っているつもりだったが、
それは今のものとは質の異なるものだったような気がする。価値観がガラッと変わり、人との付き合い方が変わった。

それまでの自分を恥ずかしいと思うと同時に、変化のきっかけを与えてくれた欝の友達との出会いにも感謝している。
これって本当はみんな少しは知っておくべき問題だと思ったから。

でも、注意もしなくてはいけない。

自分のことを「正常」「普通」「救う側」と思っている人が「異常」「患者」「救われる側」と思っている人との差が実はないということ。
それをよく理解しないまま、心の病の世界に興味を持ち、触れると、気付いたら自分が心の病にかかり、後戻りできなくなってしまう場合が多々ある。
最も熟知しているはずの精神科医や看護士が欝になり、自殺してしまう話もよく聞く。

こうして注意を促している私自身も、欝という病気や友達を理解しようと調べている内に、自分の精神状態がまずくなった経験がある。
特に欝の人が集まるサイトを覗くととても同化というか共感というか、先ほど述べた通り、大差ないわけだから、ちょっとしたことで自分も欝状態になってしまうのだ。
(実際の病気としての欝は肉体的物理的変調まで出てくるので、真に鬱病罹患とは言えないけれど)

向き合う時には覚悟が必要だし、自分が絶対に元気になれる特効薬(私の場合はサルサ)を確保する必要がある。
そして本当にまずいなと思った時は早めに専門家に相談すること。それが無理なら友人でもいい。誰かに話すこと。

そんなリスクを背負いつつも、みんなには少しでもいいから知っておいて貰いたい事実。

『病んでいると思われている人も病んでいないと思っているあなたも実はそんなに変わらないよ』ってこと。

もしわかりあえなくても労わり合えるようになりたいな。なってほしいな。

津波

2004-12-31 20:16:37 | 気になるニュース・CM
去年末に書いたものだったのですが、なぜか何度携帯から送っても
アップされなかったので、再度PCからです。



911に続いて実感のわかない惨事が起きた。
被害者の数は国境を越えて数万人規模。

普段テレビを見ない私はこのニュースを会社で最初に聞いたが、
911の時と同じように映画「Deep Impact」のシーンを思い浮かべた。
好きな映画の一つ。

祖父の死を通じて死や生に対する執着心が減り、
(死を恐れていた自分にとってはよかったと思っている)
運命をできるだけ素直に受け入れようと心がけている私は、
命を失うことは凄く悲しく寂しいし、時には悔しくもあるけれど、それは必ずし
も亡くなった人にとって不幸ではないと思う。というか思いたい。

亡くなった方々のご冥福をお祈りします。

そしてご遺族の方々が一日も早く心安らかになれるよう願っています。

天国があればいい~やるせない現実~

2004-12-17 09:08:32 | 気になるニュース・CM
生きていく中で、自分なりの宗教観というものを作りつつあるが、その中で、
やっぱり輪廻転生や天国地獄という概念はあってほしいと思っている。

ちょうど、朝のニュースである事件の公判についてとりあげていた。
職場仲間との会話を思い出した。

大人の身勝手でいたいけな可愛い兄弟2人の命が失われた事件。
この事件の最初の速報を聞いた時は2人は行方不明で、命があればと祈っていたが、
結果的に彼らの命は戻ってこなかった。たったの2歳と3歳だった。

被告及び兄弟の父親は麻薬中毒者であり、父親の方は実刑判決が一審で出ている(現在控訴中)。
勿論実行者に憤りを感じたけれど、この事件で特に腹立たしかったのは、
2人の死はいくらでも回避できる道があったように、感じたのに助からなかったからだ。
つまり、見殺しをされたように感じたからだ。

最も悪いのは被告(罪状認否につき起訴事実は認めている)だが、
2人の母親や祖母らのコメントを聞く、申し訳ないが、とどうしても白々しく感じ、イライラする。

殺人罪の構成要件に故意があるが、故意の中には未必の故意(実害の発生を積極的に希望・意図するものではないが、
結果として実害が発生しても構わないという行為者の心理状態。)というものがある。
実際、この事件では、被告以外に実害及び教唆行為をしている者はなく、未必の故意を問われることはないのだけれど、
間接的な未必の故意(実際法的には存在しない概念です)を感じてしまう。つまりそれが見殺し。
(具体的には、このままでは2人の身体及び生命が危険かもしれないということを見過ごしたということで、
責めたかったのでこういうロジックを使った。)

この事件では、親族よりも遠い存在である近所のお店の人が児童相談所への通報したり
と2人を救おうと他人のできる限りの行動をしていたように思われる。
現状では通報が精一杯であり、周囲の人の干渉により虐待されている子供を助けるには
条例か法律を新しく作るか改正するしかない。

父親の本音が見えないので何とも言えないが、この父親はどういうつもりだったのだろう。
2人の母親や祖父母は2人を心配しなかったのだろうか。
父親が薬物を利用していたことを知らなかったのだろうか。
中学の後輩との同居に疑問不安を感じなかったのだろうか。
そして、どうして父親は2人をきちんと養育できないのに、祖父母に頼らなかったのだろうか。

この種の幼児虐待(死)事件は単に加害者を罰すれば解決というわけにはいかない。
根本的な改善をしなければ、勝手な大人による幼い犠牲者はなくならない。
犠牲者は2人の前にも後にもいるのだ。

なぜ、子供は死ななければならなかったのか。どうして救えなかったのか。
を真摯に受け止め考え、対策していかなければならない。
2人の命が救われる道はいくつもあったのに、2人が亡くなったということは、
逆に言えば、何度も何度も見逃され、常に最悪の方向へと物事が重なってしまっていたということ。
2人がそんな家に生まれてこなければ、両親が離婚しなければ、母親に引き取られていれば、
祖父母に引き取られていれば、児童相談所がもっと注意していれば、父親が覚せい剤に手を出さなければ、
加害者が覚せい剤に手を出さなければ。。。沢山の「たら」「れば」をすり抜けて彼らは亡くなった。

本当に残念でやるせない。哀しいし腹が立つ。この怒りと悲しみはどこにぶつければいいのか。
彼らは何も選ぶことのできない幼い兄弟だったのだ。
彼らは何のために生まれてきたんだろう。彼らは何も悪いことなんてしないのに!

そんな時、今回の人生があまりにも短く不運だった彼らがせめて死んだ後、
天国とよばれる楽園で楽しく過ごせればいいなと思った。
そして、生まれ変わりがあるならば、今度こそ幸せな家庭に生まれ、
幸せな一生を送れればいいなと思うことで、少し心が安らいだ。

そう思うしかないね。そう思いたいね。と職場の向かいの彼女と話したことを思い出した。
そう思わなければやっていられないような現実。