パスターまことの聖書一日一生3(旧約聖書 新約聖書 聖書通読ブログ)

Pastorまことの聖書一日一生は、第三サイクルに入りました。ぜひまたご一緒に聖書を読み進んでまいりましょう。

エレミヤ書11章

2017年04月18日 05時48分19秒 | エレミヤ書
預言書を読む難しさの一つは、預言書が一気に書き下ろされたというよりは、預言者の活動期間に語られ続けてきたものを集大成した性質があるためだ。それは、時代も背景も異なる預言のことばの集積物である。だから、各章ごとに、背景を押さえていかなくてはいけないのであるが、実際にその背景を明確にすることも難しい。だから一層理解しにくいところがある。
 11章は、12章とともにまとめられているが、その背景については二つの説がある。一つはこの預言がヨシヤ王の時代を背景としている、と考えるものである。BC612年、ヒルキヤによって律法の書が発見されると、これを機にヨシヤ王は、エルサレム中心の礼拝と国民の再献身を求める宗教改革(2列王記22:8)を進めた。これをエレミヤは積極的に支持し、「契約のことば」(2節)に耳を傾けるように民に語りかけた、というわけだ。一方、これはエホヤキム王の時代の出来事だと理解する者もいる。つまりBC605年頃、ヨシヤの改革に対する反動が起こり、「契約のことば」、つまり律法が廃棄される事態が生じたので、エレミヤはこれを契約違反として告発した、という(9節)。
 いずれが真実に近いのかは、判断が難しいところであるが、18節以下の、エレミヤに対するアナトテでの陰謀が起こったことを考えると、ヨシヤ王時代を背景とする、と理解するのが一般的なようである。確かにヨシヤ王の宗教改革の結果、全国に散在する地区神殿での礼拝廃止が急進的に行われれば、アナトテの祭司も職を失うことになり、これを積極的に支持したエレミヤも恨みを買うことになる。また、アナトテは、ダビデの親友であり、祭司であるアビヤタルの家のある町である。ソロモンの時代、アビヤタルの家は失脚し、代ってツァドクの家が祭司の権力を握ることになり、勢いを増した。ヨシヤ王の改革を支持するエレミヤは主流派になびくように見られたのかもしれない。だから、アナトテの人々が、エレミヤのいのちを狙うのは、ヨシヤ王の改革に絡んでいる(21節)、流れで読めばよく理解できることである。
 ともあれ、ここで教えられることは、背景は今一つ定かではないが、神の民と神の間に契約違反があり、それが、神の怒りの根本であったこと、またその契約違反を指摘した、エレミヤが、民の恨みを買ったことを大筋で理解できるところだ。
大切なのは、神と一体となり、神のことばを真っ直ぐ語り伝えるエレミヤに、余計な迷いはない。エレミヤにとって神は「正しいさばきをし、思いと心を試される万軍の主」である。たとえ神に従うことで、自分の知らない陰謀が起こり、いのちが危険にさらされていようとも、必要なことは主が教えてくださるのであるし、これは不覚だ、と狼狽えることも、怒りの激情に駆られ、復讐を願う必要もない。正しいことをなされる主に服従し、委ね切ればよいだけである。
躓きやすい人生を淡々と生き抜く秘訣は、神を恐れることにある。神の契約を守り、神に従うなら、神もその誓いを果たされる。アーメンと神の約束に唱和し、従う者であろう。

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