パスターまことの聖書一日一生3(旧約聖書 新約聖書 聖書通読ブログ)

Pastorまことの聖書一日一生は、第三サイクルに入りました。ぜひまたご一緒に聖書を読み進んでまいりましょう。

ホセア書7章

2017年08月09日 05時34分04秒 | 小預言書
 イスラエルの民の深刻な状態が、内では押し入る盗人、外では強奪する略奪隊の比喩で語られる。回復の最大の障害は、神を認めない、悟りのない心である(2節)。神の前にはすべて明らかである、と心のどこかで感じてはいても、そのことを肝に命じない。神を知りながら、霊的に無感覚のままに生きてしまう、それが人間の罪であり現実である。
それは、四つの比喩で述べられている。第一に彼らの不義と悪の心は夜通しくすぶり、ずっと火種のついたままのかまどと同じである、と(4節)。つまり陰謀を謀る者たちの計画はくすぶる火種と同じであり、実行の段階に至ると一挙に燃え上がっていく。反乱と王の暗殺はその結果であり、神を無視した政治が続いていく。
次に、内政と等しく外交においても神を求めない様が、「生焼けのパン菓子」のようだ、とされる(8節)。生焼けのパン菓子は、片面は焼けたが、もう片面は生のままである。一方では神に仕え、他方では神を信頼せずに、外国の力に頼る命とりの状況が指摘される。彼らは賢く外交を進めていると思っているかもしれないが、高慢に陥っているだけである。
だから第三に、イスラエルは、危機に瀕して巣を捨てて、あてもなく飛び回る鳩のようだ、とされる(11節)。アッシリヤかエジプトか、目先の助けを求めて飛び回るだけで、真に頼るべきものが解っていない。『リーダーは半歩前を歩け』を書いた姜尚中氏は、リーダーが身に着けるべき判断力には、「生ものの判断力」と「干物の判断力」がある、という。生ものの判断力は、刻々と動いている現実の活動の中から得られる、経験則や生きた知識、あるいはそれに基づく状況判断力である、という。一方干物の判断力は、書物に学ぶような学問的なインテリジェンスに裏付けられて、物事を歴史的に深く考え抜く力であるという。今の日本の政治家に足りないのは、この干物の判断力である、というが、それがまさに愚かで思慮のない原因となる。聖書が語る神は、世界を創造し、人類をお造りになった主である。まさにこの世界の歴史を初め、歴史を終わらせられる主権者である。その神を無視し、神の壮大な歴史観の中で生きることのない為政者の愚かさは、一時代の権力バランスの盛衰に巻き込まれるだけである。
最後に、彼らは「たるんだ弓」つまり役に立たない弓(16節)のようだ、という。いざという時に勝利をつかむことができない、だけではない。神の民としての証をたてることができない、ことを意味する。まさにイスラエルは、神に選ばれた民として、神を証する歩みが期待されていた。しかし、罪の中にある彼らにそれは期待できない。信仰を持ちながらも、神以外のもので物事を解決しようとする信仰者には、神の栄光を証する弱さがある。
こうした愚かで無思慮なイスラエルの姿が列挙される中に神の愛が、深く語られる。つまり、12節、神は、イスラエルに網を張って引き戻そうとする。しかし、彼らは網の中でもがく空の鳥のように、ただ、神から離れ去ろうとする。神は、彼らを罰するのではなく、贖おうとする(13節)。しかし、彼らは神のそんな意図を誤解し、まやかしを言うのである。神の民を取り戻そうとする熱心さに関わらず、神の民は、神の心を悟ろうとしない。愛を示される神をこそ呼び求め、神を尋ね求める歩みをさせていただこう。
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