パスターまことの聖書一日一生3(旧約聖書 新約聖書 聖書通読ブログ)

Pastorまことの聖書一日一生は、第三サイクルに入りました。ぜひまたご一緒に聖書を読み進んでまいりましょう。

哀歌4章

2017年06月02日 06時47分30秒 | 出エジプト記
この書は、五つの歌からなっているが、真ん中の3章(66節)を除いて、皆22節で構成される詩となっている。また5章を除いて、各節の最初の文字がヘブル語の22文字のアルファベット順に書き始められる技巧的な歌となっている(3章は一文字に3節が当てられ、全部で66節になっている)。また、章立ても技巧的で、外側の二つの詩、一章と五章、また内側の二つの詩、二章と四章が思想的に対応し、真中の詩3章は、その構想が最もよく練られ、技巧的にも完成されたものとなっている。
なぜこのような技巧が凝らされているのか、色々な説があるものの、一つは、イスラエルがアレフからタウまで、つまりAからZまで、あらゆる罪を犯したことを意味している、という。また記憶しやすいようにするため、あるいは、これが私にとっては最も合点のいった理由であるが、深い感情を抑制し、冷静に自分たちの悲しみを振り返る歌にするためである、という。そもそも、この哀歌は、霊的教訓として、忘れ得ぬものとし、個人的に読むよりは、公に礼拝で用いられることを意図して書かれたのだという。だから皆が耳を傾け、深い悲しみを呼び起こす内容を、非常に技巧的な詩にすることによって、深い感情を呼び覚ますとしても冷静さを保つことができるようにした、というわけである。確かにそういう効果もあるだろう。
 実際に、回顧の内容は、古代イスラエルのものであるのに、現代日本に住む私たちの心をも深く突き動かすものがある。1節は、ネブザルアダンが神殿を燃やした出来事(2列王記25:9)を回顧している。イスラエルは、バビロンに卑しめられ、辱められたのである(2節)。悲惨なのは、乳飲み子である。食べ物の不足から母親たちは飢えている子どもたちの要求を満たすことができなかった(3、4節)。幼児は空しく食べ物を探し求め(5節)、貴族が浮浪者と区別もつかない飢餓状態に陥っている(8節)。そして、母親が自分の子供を煮て食べる最悪の事態(10節)。実に心を突き刺す記憶である。散文であれば確かに生々し過ぎる内容である。だから、アルファベット順に冒頭が並べられる実に見事なその詩形で読むと、客観的に回顧させられる気がしてくる。
 ともあれ、このぞっとするような心を突き刺すすさまじい光景は、AからZまで罪を犯し続けたイスラエルの指導者に対する神の刑罰であったという(13節)。しかし、神が罰せられたのだ、と受け止めるだけではそこには何の希望もない。著者は言う。「シオンの娘、あなたの刑罰は果たされた。主はもう、あなたを捕らえ移さない」(22節)。刑罰は終わった。さらに刑罰が加えられることはない。心すべきことばである。実に、イエスの十字架において、イエスは「完了した」と語られた。イエスにあって、人類に対する全ての刑罰は終わっている。私たちはそのイエスの罪の赦しの故に、神の憐れみを受ける者とされている。私たちに対する刑罰はすでに果たされている。ならば、この神に期待を持とうではないか。主は祝福してくださる。新しい歩みを用意してくださる。信じよう。

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