【シーズン6】人生が100倍楽しくなる、パスターまことの聖書通読一日一生(旧約聖書 新約聖書 聖書通読ブログ)

聖書通読は、モノの見方を変え、イエスと共に前に進む気を起こさせてくれます。ご一緒にしませんか?

エレミヤ書44章

2017年05月22日 05時25分30秒 | エレミヤ書
 エレミヤの最期のメッセージであるとされる。エレミヤ書自体はまだ続くのであるが、本章は、25章あたりに位置すべきものとも考えられている。つまり、エレミヤのメッセージはイスラエルのバビロン捕囚からエジプト逃避行という出来事の中で終わってしまうのであり、これ以降のエレミヤの消息も途絶えてしまうのである。伝説によると、彼はエジプトで石打にされ、殺されたと言われている。
 ともあれ、イスラエルの民は、カルデヤ人の報復を恐れて、エジプトへと逃げ去った。そして、エジプトの地に住み着くや、すでに彼らはエジプトに住み着いていたユダヤ人と共に、真の神を捨ててエジプトの偶像崇拝に陥ってしまうのである。彼らは自分たちの身にふりかかった災いが、天地創造の神に従わなかったからではなく、むしろ「天上の女王」に対する礼拝をないがしろにしたためであると考えた。実際、彼らは、一切の不幸はヨシヤの宗教改革に始まったと考えたようである。確かに、あの宗教改革事業の後、ヨシヤ王は戦死し、ユダは次々と困難に襲われるようになった。彼らの思いの中には、全ては、宗教改革によって天上の女王を捨てた報いなのだ、というものがあったわけだ(17、18節)。
「天上の女王」は、アシュタロテのことであるとされる。アシュタロテは、ツロとシドンの民が礼拝した女神で、農耕神のバアルの妻とされた偶像である。実際には、黄金製や青銅製の女体裸形像として造られ、エジプトではカデシュ、ギリシヤではアフロディト、ローマではヴィーナスとして知られる情愛の神として崇拝された。イスラエルでは、バアルと共に、パレスチナ定着後、士師の時代に信奉されはじめ(士2:13、10:6)、幾度か神の戒めによって滅ぼされたが、ソロモンの外交政策により再び復活(Ⅰ列11:5、33)、その後改革されたにもかかわらず、存続し続けた偶像崇拝である。
イスラエルの民は、エレミヤに反抗した。神のことばの真実さを伝えようとエレミヤはユダヤ人と戦った。それはいのちをかけた戦いであった。そしてエレミヤは彼らに神の言葉を告げる。「ではその考えを貫くがよい」と。まことの神がどなたであるかを知るにはそれ以外にない。そして、あなたがたも滅びるのだ、と(27節)。
30節、ホフラは、エジプト第26王朝の4番目の王である。彼は即位して間もなく、パレスチナとフェニキヤを侵略している。そしてユダの王ゼデキヤをバビロンに反逆させた(エレミヤ37:5)。しかしそれによって、ネブカデネザルはエルサレムを攻撃し、陥落させることになる。ホフラは少数のユダヤ人避難民を自国に受け入れ、彼らをタフパヌヘスに住まわせたが(43:7)、その後BC569年リビヤ遠征中に起こったクーデターを制圧しようとし、BC566年に殺されてしまう。まさにエレミヤの預言どおりに事は成就した。
 おそらくエレミヤはその結果を見ることもなかったであろう。ある意味でエレミヤは報われない預言者であった。しかし、彼はすぐ見える結果のために預言者として立ったわけではなかった。永遠の時の流れを導く神の言葉を証するためである。従うべき神のことばがある。従うことにより、何を得るというわけではない、神と共に時を過ごす祝福がある。そし

最新の画像もっと見る