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ホセア書11章

2017年08月13日 05時27分45秒 | 小預言書
「エフライムは、風を食べて生き、いつも東風を追い、まやかしと暴虐とを増し加えている」(1節)風は空しさを暗示する。東風はアラビア砂漠から吹き付け作物を枯らす、破滅の象徴である。イスラエルは、アッシリヤと契約を結んだり、エジプトに貢ぎ物を納めたりしてきた(1節)。しかしその外交政策は、空しく、破滅を身にもたらすものである、という。新共同訳は、「エフライムは、風の牧者となり」と訳す。ヘブル語のローエーが持つ意味の幅からそのように訳されるが、この方が絵画的にイメージされる。イスラエルは羊の群れを追い、羊を増やす牧者ではなく、空しさと破滅を牧し、まやかしと暴虐に巻き込まれる者たちである、と。2列王17:1-6の歴史的な記録を思い出すところである。
11章では、イスラエルの歴史が振り返られた。この12章ではヤコブを例に、イスラエルの問題が語られる。2節「主は、ヤコブを罰する」とある。ヤコブの問題は、人を押しのけてまで自分を通そうとするところにあった。ヤコブは、神と戦って、その我の強さを示し、神に譲ろうとしなかった。しかし、最終的には、我を張っても生きていくことはできない。神の守りと助けが無ければ生きていけない現実に彼は直面せざるを得なかった。大切なのは、そこでヤコブが、「泣いて、これに願った」(4節)点である。
御しがたい性質が悪いのではない。そのような性質に気づいて、神に譲って、神のあわれみを受ける者となることが勧められている。「あなたはあなたの神に立ち返り、誠実と公義とを守り、絶えずあなたの神を待ち望め」(6節)。
7節から、イスラエルのもう一つの問題が取り上げられる。イスラエルは、富のために、人を欺き(7節)、貧しい者を圧迫するようになった。「私のすべての勤労の実は罪となるような不義を私にもたらさない」(8節)どうも理解しにくい訳である。共同訳では、「この財産がすべて罪と悪とで積み上げられたとは、だれも気づくまい。」である。富は神の祝福の象徴とされた。つまり神に祝福されているのだから、そこに不義があるわけがない。だれも気づくまい、というわけである。イスラエルは神の祝福に胡坐をかいてしまったのである。そんな彼らが罰せられないはずがない。神は富を与えてくださるが、それによって不正を重ね、貧しい者を圧迫するのであれば、これを黙認することはない。神は、不法の罪をそのままに見過ごされるお方ではないのである(11節)。
そこで主のためではなく、妻のために働いたヤコブが再び取り上げられる。彼は妻のために働くだけの人生を生きた。兄を騙して、アラムの野に逃げ、さらに我欲を追及するだけの人生を送ったのである。そこに、一人の預言者、つまりエジプトからイスラエルを連れ上ったモーセが対比される。神を信頼し、神に聴き従ったモーセ、彼は、同じ逃亡者ではあったが、妻を得るだけではなく、多くの命を救った、という(13節)。
逃亡者となり、負け犬のような人生を送っている、と思うことがあっても、神に立ち返るならば、可能性はある。誠実と公義を守り、絶えず、神を待ち望むように、ホセアは呼びかける。神の裁きが確実であるなら、神の祝福も同じである。だから、神の愛に期待したい。跪いて、神の懐の深さを味わい知る者でありたい。
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