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箴言17章

2016年12月28日 05時42分42秒 | 箴言
物が溢れ、食に豊かであっても、争いの絶えない家であっては、そこに何の安らぎがあることだろう。何がなくても平和な家庭に勝るものはない。家庭は、人の居場所であればこそ、穏やかにくつろげる場であってほしい。
2節、賢い奴隷は、エリエゼルなどの例にもあるように(創世記15:2)その能力によって家を治め、財産を受け継ぐことがあった。持つべきは知恵である。3節、物は火で精錬されるが、人の心は神によって純化される。人間の魂の深みを切り分ける力を持つ神のことばに向かうことが人間力を養うことになる(ヘブル4:12)。4節、悪を行う者は、同類を求める。類は友を呼ぶというが、同類は互いに集まりあう。自分の生き方を正したければ、人付き合いを変えることだ。6節、貧しさも、富みもすべては神の御心の内である。神に与えられていることを自覚し、遜るのでなければ、その富もまた取り上げられてしまう。6節、同義的並行法という流れでヘブル語の原文を見れば、冠・年寄り・息子の息子(孫)の一行目に、輝き・息子・父の語順で、発音的にも二行目が対応する。ここは新共同訳のように「孫は老人の冠、子らは父の輝き」とすべきなのだろう。老人にとって孫は祝福の印である。同様に、(知恵ある)子どもは、父の誇りである。7節、ことばと人は、一致する。8節、いわば「金が物を言う」ことを言っている。しかし神がそれを肯定しているわけではない(23節)。9節、拘り、頑迷さという悪癖が、人間関係を破壊してしまう。知恵ある者、愛情深い者は、腹に収めることを知っている。だが愚かな者は、11節、何かを言えば、いつも反対する。しかもその反対に中身はない。ただ、反抗しているだけである。そういう人が、人間関係で報われることはない。14節、争いは、初めは小さなもの、ほんのちょっとした摩擦から生じるが、やがては収まりがつかなくなる。だから、初めから争いを避けることだ。
16節、知恵はお金では得られない。主を恐れる謙遜さを持つ以外に知恵を獲得する道はない。17節、友や兄弟は、物や金があるから続くものではない。それは損得を抜きにした関係で、しばしば自分の目的からすれば何の役にも立たない存在であったとしても、言葉にし難い気持ちを分かち合い、どんな苦労も一緒に乗り越えてくれる関係である。
19節、原文は、「罪を愛する、争いを愛する」である。確かに罪に心を向けている限り、祝福は愚か、平和も守られることはない。「門を高くする」は、自己防衛が堅いことを言うのだろう。自分を守ろうといよいよ防御を堅くすれば、結局、孤立するだけのことである。20節、曲がった心は、物事を捻じ曲げて捉え、災いを誘い込む元である。22節、陰気な心は、全身を蝕んでいく。心を明るく保つことだ。そのためには知恵に顔を向けることだろう(24節)。ただ、主を恐れて、主の諭しと平安の中で生きることである。だが愚か者はそうではない。焦点が定まらない。地に足のつかない果てしのない願望の中で生きている。そんな子どもを見ているのも親としては辛いところだ(25節)。やはり知恵ある子は、父の輝き、つまり誇りである。25節は、6節に共鳴する。27,28節は、沈黙は金なりと言うべきだろう。本当に必要なことばはわずかであったりする。
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