パスターまことの聖書一日一生3(旧約聖書 新約聖書 聖書通読ブログ)

Pastorまことの聖書一日一生は、第三サイクルに入りました。ぜひまたご一緒に聖書を読み進んでまいりましょう。

エレミヤ書29章

2017年05月06日 05時01分42秒 | エレミヤ書
 BC597年、ネブカデネザルは、戦争に敗れたユダヤ人を捕虜としバビロンへ強勢移住させた。エレミヤはその捕囚の民に手紙を書き送る。これが27、28章に続いて起こった出来事とすれば、それは、おそらくゼデキヤの第四年(BC593 年)頃の出来事であろうと思われる。
 捕囚となったイスラエルの民は、なかなか新しい環境になじむことができないでいた。だから、早期帰還を語る偽預言者のことばは、彼らの心を容易に捉えたのであろう。そのような事情に、エレミヤは、真の希望を与えるための手紙を書き送っている。エレミヤは、祖国復帰は1、2年の間に起ることではなく、これから70年も後に起こることである、と言う。ちなみに、エレミヤは二つの七十年を預言している。つまりここで語られている70年の捕囚と、70年の荒廃である(エレミヤ25:9-11)。バビロニヤ捕囚は、エホヤキムがネブカデネザルに屈したBC606年から始まり、クロス王がユダヤ人に帰国を布告したBC536年に終わった。それに先んじる70年のエルサレム荒廃は、エルサレムが包囲されたBC589年の第十の月の十日から始まり、BC520年第九の月の25日のハガイの預言で終わる(ハガイ2:18)。
ともあれ、エレミヤは偽りの希望を捨て、エルサレムにいた時と変わらない生活をし、そこで主の繁栄に与るように、と勧めるのである。また置かれた土地の繁栄を祈れと言う。彼らが真に繁栄するなら、その祝福は自分たちに帰って来るからだ。そしてエルサレムから遠く離れ、神殿祭儀の機会を失ったとしても、神を呼び求め、祈り、心を尽くして主を求める歩みを続けよと勧めている。確かに信仰生活は形ではない。心において熱心に悔い改め、主を愛し、主に従う歩みが求められているのである。
 21節、偽預言者の名前があげられ、彼らに刑罰が宣告される。また、エルサレムでのエレミヤの影響力を除き去ろうとして手紙を書き送ったユダヤ人の政治的指導者シェマヤに対する神の裁きが語られる。前章のハナヌヤの事件もあって、エレミヤのことばを支持する者もいたのだろう。しかし依然としてエレミヤに対する風当たりが強かった。
 ただ興味深いことに、こうした偽預言者の活動が激しい中、捕虜の一人であったダニエルが、エレミヤの手紙を読み、神に忠実に歩んでいたことである。ダニエルはこの手紙を読みながら捕囚期間の終わりが近づいていることを悟っている。それは、エレミヤがこの手紙を書き送って67年後のBC539年の出来事である(ダニエル9:1、2)。彼がずっと前からこの手紙を読み、考えた末に気付いたのか、それともこの時初めて読み、そのように悟ったのかはわからないが、彼は後3年で捕囚が終わることを悟り、捕囚が自分たちの罪と神に対する不従順の結果であることを素直に認め、もう一度、バビロンからイスラエルが導き出されることを求めて祈っている(ダニエル9:15)。ダニエルの信仰の歩みからすれば、おそらくかなり以前からこの手紙を愛読した結果悟らされたことのように思われる。
 エレミヤのことばは多くの反対にあったが、決して虚しく終わらなかった。むしろ、真に神に仕える者には、伝わり、それは、従われる神のことばとなっていたのである。
ジャンル:
ウェブログ
この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« エレミヤ書28章 | トップ | エレミヤ書30章 »

エレミヤ書」カテゴリの最新記事