パスターまことの聖書一日一生3(旧約聖書 新約聖書 聖書通読ブログ)

Pastorまことの聖書一日一生は、第三サイクルに入りました。ぜひまたご一緒に聖書を読み進んでまいりましょう。

詩篇92篇

2016年10月14日 06時03分40秒 | 詩篇
「安息日のための歌」とある。一説に、創造第七日目の朝アダムが作ったものとされるが、必ずしもそう考える必要はない。作者は不明であるが、4節が創造を意味するという解釈から朝の最初の常供の全焼のいけにえを捧げる際に、レビ人によって読まれたとされている。しかし創造の安息日のみならず、比ゆ的に霊的な安息を視野に入れたものとして読むことができる。
 1節「主に感謝するのは、良いことです」新共同訳では、「いかに楽しいことでしょう」となっている。「良い」、あるいは「楽しい」と訳されたヘブル語は、トーブ。倫理的な意味でよい、というのではないので、「楽しい」という訳もありうる。しかし、「楽しい」には、別の含みもある。ここでのトーブは、目的にかなう、状況に適切であることを意味する。つまり、創世記1章で、神が天地を造られた際に、一つ一つ「神はそれ見て良しとされた」とあるが、その「良し」と同じ使い方である。つまり、主に感謝するのは、人間にとって自然で、相応しい行為である、ということだろう。
そういう意味で大切なのは、「朝に、あなたの恵みを、夜ごとに、あなたの真実を言い表す。」という体内リズムへの意識である。朝のスタートに、まず神の恵みを思う。恵みは、与えられるはずのない神の祝福であるから、まず神がいかに自分自身を愛してくださっており、自分の必要の一切を知り、自分に対してご自身の配慮を示してくださるお方であるかを、思う。神は、眠っている間にすべて新しい一日に必要なものは備えてくださるはずなのである。だから、今朝も、キリストのみならず必要な一切を満たしてくださる神の配慮と助けによって踏み出すことを思う。
そして夜ごとに、神の真実さ、つまり神が約束通りに事を進められ、私たちに最善を成してくださることを覚えて感謝する。朝毎に神の恵みを持って、望みをいだいて一日を始め、夜毎に、神の守りと助けを思い起こし、感謝を持って安らぐ、そんなリズムを一日の中にもっていくことは、人間にとって適切なもの、自然なものである、というのだろう。だから、神の恵みに対する期待を持って一週を始め、週の終りに神の守りと助けを思い起こし感謝をもって新しい一週へと臨む、そんなリズムも人間にふさわしい。ともあれ朝夕の感謝が私たちの自然な体内リズムとなっていくこと、これが霊的な成長なのである。
 「主よ。あなたのみわざはなんと大きいことでしょう。あなたの御計らいは、いとも深いのです」(5節)。神と親しい生活リズムを持ってこそ、私たちは、このように告白することができる。私たちが悪者の栄にも動ずることなく、それが一瞬であり、彼らは永遠に滅びる、と確信を持って見なすことができるのも、それは、神の心を自らの心として生きる霊的な深さがあってこそである。根が浅いから、私たちは、悪者の栄を永遠の様に思ってしまうし、神の真実さを簡単に疑ってしまうことにもなる。
 私たちは神のいつくしみとさばきを御聞きしているだけではない。実際に自分の身を通してそれを教えられていくのであるから、わたしたちもまた、この詩人と同じように、心から賛美の声を上げることができることだろう。「正しい者は、なつめやしの木のように栄、レバノンの杉のように育ちます」(12節)。足元に生え出る雑草とは比べものにならないほどに、まっすぐと、高く育つ、常緑のなつめやし、レバノンの杉も同じである。神に従う者の祝福は誰の目にも明らかである。今日も、神の恵み豊かである事を覚え、神の恵みに期待して、神の恵みの業が表わされるようにと祈る事を持って一日を始めよう。

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