パスターまことの聖書一日一生3(旧約聖書 新約聖書 聖書通読ブログ)

Pastorまことの聖書一日一生は、第三サイクルに入りました。ぜひまたご一緒に聖書を読み進んでまいりましょう。

エレミヤ書49章

2017年05月26日 05時34分56秒 | エレミヤ書
 イスラエル周辺諸国に対する裁きがまとめられて語られる。まずアモン人であるが。アモン人はロトの子孫であり、イスラエルとは親族関係にある(創世記19章)。カナン侵入の頃、首都ラバ(現在のヨルダンの首都アンマン)を中心に居住していた。1節「彼らの王」(新改訳)は、新共同訳では、「ミルコム」と訳される。欄外中には、70人訳で「ミルコム」と訳されていることが注記され、新共同訳はこれに倣ったのだろう。新改訳では、ヘブル語本文どおり「マルカム」つまり「彼らの王」と訳したようである。つまり、ここは、アモン人の民族神であり、モレクという名でも知られていた偶像礼拝が非難されていると考えられる所である。「アモン人のあの忌むべきミルコム」あるいは「モレク」は、旧約聖書の中に繰り返されている。それは幼児を犠牲として献げる宗教であり、イスラエルにはソロモン時代に政略結婚とともに入ってきたものである。後にヨシヤ王が、宗教改革を行ってこれを取り除いた。ともあれ、神はアモン人に対するさばきを告げられる。しかし、同時にアモン人の繁栄を回復されることを約束される(6節)。
 次にエドム人。エドム人はエサウの子孫であり、パレスチナ南東部に住んでいた。「テマン」はエサウの孫であるが、ここでは地名として用いられている。その住民は知恵によって知られ、「岩の住みか、丘の頂き」(16節)と自然の力を信頼する民であった。彼らは四方を囲まれて安心して生きていた。しかしどんなに四方が確かであっても、その滅びは上からやってきたのである。神はそのエドム人をも徹底して裁かれると語られる。エドムに対しては再興のメッセージはない。
 23節、ダマスコ。神の裁きのメッセージは南から北へと向けられる。アモン、モアブ、エドムは、パレスチナの南部に当たり、「ハマテとアルパデ」は北部にあるシリヤの二つの小都市である。ハマテはダマスコの北オロンテス河畔の町、アルパデはさらに北にある町である。28節のケダルはパレスチナの東の町、シリヤ・アラビヤ砂漠に住んでいる遊牧民、つまりベドゥイン族を指す。ハツォルは、パレスチナ北部の町。34節のエラムはパレスチナから遠く離れている。バビロンの東、ペルシャ湾に面する町である。エレミヤの預言は実に広範囲になされている。神は、全ての国々の運命を握っておられるのだ。
 その神があわれみをもって、ユダヤ人、モアブ人(48:47)、アモン人(49:6)、エラム人(49:39)に元の繁栄を約束された。しかし、それらの国々がバビロンに滅ぼされて後、イスラエルが捕囚から帰還したように回復されたことはない。エレミヤの預言に終末的な要素が含まれていると思わされる点である。キリストが再臨される時に、キリストの王国が完成される時に、彼らもまた回復されるのだろう。神の裁きが淡々と語られる。しかし神はただ人を滅ぼし尽くそうとしているわけではない。四方が確かであっても神の裁きが上から来るように、また四方八方に窮していても神の救いが上から来るように、神ご自身の存在が、私たちの有り様を確かなものとする。神を恐れて歩むことがすべてである。
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