funny life

人生のアクシデントに度々見舞われる。だけど人生ってどうなるか分からないから面白い!

実習生

2009-10-28 02:42:19 | 人生
埼玉の国リハに行く日は6月の5日?良く覚えてないけど、そのぐらいだった。
その間に私に看護学生の実習生がついた。可愛い女の子で私の世話をしてくれた。ご飯を食べてる所を見守ってたり、入浴で体を洗ってもらったり、足のムダ毛の処理をしてもらったり世間話をしたり…

一緒に庭を散歩してた時、知らない看護師さんが「○○ちゃん元気?」と話しかけて来た。私はキョトンとしていたその人は救急センターの看護師さんで私が集中治療室にいた時お世話になった人だったのだが全く思いだせない

「あの時は大変だったもんね覚えてないよね」「○○ちゃんはねぇずっと、ギュッてして~ギュってして~」って言ってたんだよ。「嫌だって言うと文句言ってたんだよ」「○○ちゃんをぎゅってしたことない看護師なんていなかったんだから」と話し始め…自分で覚えてないから余計に恥ずかしかった

私そんなこと言ってたんだ…ものすごく恥ずかしかった。実習生もいるのに…そんな秘密を…なんて思いながら病室に帰った。

私は実習生さんの実習の途中で国リハに行くことになっていたため最後まで実習に付き合ってあげられなかった。転院の日、彼女は手紙と一緒に私の好きなタレントの顔写真を印刷して持って来てくれた。泣きながら別れ、車に乗って手紙を読んでまた泣いた。

あの時のものは今でもとってある。知らないところからのゼロからのスタートで私を励ますものとなった。でも不安の方が大きくて国リハに着くまで泣いていた

彼女は今どうしてるかな?



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大部屋

2009-10-28 01:38:20 | 人生
大部屋に移った私はベットアップをして体を起こす訓練をした。貧血でクラクラしながら一日一日と時間を伸ばしていき、長時間座った姿勢で居られるようになり、調子づいた私は一日中座ってマンガを読んでいた

胸から下の感覚も体幹もない私は真っ直ぐ座れっていられず、すぐ体が斜めになってしまうのだが看護師さんに直してもらいながら必死にマンガを読む疲れても横になる事はしなかった。ずっと寝たきりでテレビばっかりみていたせいか、ベットアップした時の違う景色が嬉しかったのだ

長時間座っていられるようになった私は、リクライニングの車椅子に乗ってリハビリ室でリハビリを受けるようになっていた。リハビリは手を使う作業が多かった。足は相変わらず動かない

もう歩けないってことぐらい分かっていたけど、リハの先生や親に聞いても話をはぐらかされるだけだった。私は一カ月ちょっと意識が朦朧としていたため医師から「もう歩けません」という宣告はなかった。

感覚の無い足は何だかいつも曲がってる感じがして、真っ直ぐなのに「足真っ直ぐにして」と良く言っていた。あとは足が燃えるように熱く感じるのだ。うちわで扇いでもらっても涼しいとも感じないけど一生懸命扇いでもらってた体温の調節が出来ない私の体は常に38度以上はあり、38度なんて平熱ぐらいの勢いだった

点滴での治療も終わり状態も落ち着き、あとはリハビリだけとなったとき医師から埼玉の国立身体障害者リハビリテーション病院に転院を勧められる。そこは頚椎や腰椎、胸椎などを損傷した人達の専門的なリハビリ病院だった。

県外なんて、親もしょっちゅう来れないし仲良くなった病院のみんなとも離れたくなかったから嫌だったけど、色んな人の応援や職場の人達の励ましのメッセージが綴ってある色紙や千羽鶴を貰い、もしかしたらまた歩けるようになるかな?なんて思いながら国リハに行く事にした

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2009-10-27 21:58:24 | 人生
意識がはっきりしてきた私は、自分の体がどんな状態なのか分からなかった。手も足も動かす事が出来ず、ナースコールは息を吹きかけて呼ぶものだった

左腕は挙げる事が出来るものの右腕は完全に麻痺していて自分の意志では数ミリしか挙げる事が出来なかった。足も感覚がなく麻痺していて、自分の下半身が真っ直ぐなのか曲がってるのかどうなってるのか分からなかった。大袈裟に言えば足があるかないかさえ分からなかった

事故後2日目から体の関節が固まらないようにリハビリの先生がついていた。その先生がリハビリの時に「足に力入れて」と言われるが、感覚が無い足のどこにどう力を入れていいか分からなかった。手の握力も失われ右は0左は3くらいしかなかった。そのため食事はもちろんのことテレビのチャンネルを変えたり、喉が渇いても自分で飲み物を手にとって飲む事が出来なかった

その度に、ナースコールで「チャンネル変えてください」とか「喉、渇きました」と看護師さんを呼んでいた。夜になると不穏になり眠れなくて、ひっきりなしに看護師さんを呼んでいた。あまりにも酷いと薬を打たれ眠らされてしまう

同じ部屋に同い年の子が新しく入って来て、夕方来てた親が帰ると二人して不穏になり…注射を打たれ眠らされていた。風邪を引くと人恋しくなってしまうことがあるのと同じ原理で、不安で寂しくて心細いうえに自由の利かない体はもどかしくて仕方なかった。それに加え夜の病院…そりゃ不穏にもなるさ

眠れない夜は二人で話明かした事もある。好きなアーティストの話や恋の話や何で入院してるのかを話しながら眠りについていた。でも、どちらかが先に寝てしまうと一人は不穏になって眠れなくなる。そんな時は自分から「眠れないから注射打ってください」と自己申告していた。寝る前に眠剤も飲んでるのだが眠れないのだ。

ゴールデンウィーク中は看護師さんが少なく、なんだかチャンネル変えてもらうだけで呼ぶのは申し訳ないなぁと思って、テレビのチャンネルに手を伸ばして押してみる。かたくて全然押せない…もう一回チャレンジ!でもダメ時間をおいてもう一回!出来たじゃあ次はペットボトルに手を差し伸べ、悪戦苦闘しながらも口に運べ飲む事が出来た!重たいのは持てないけど軽いのなら持てた嬉しくてリハビリの先生に報告。「じゃあ、ご飯を自分で食べる訓練してみようか」と先生はスプーンの柄の部分にスポンジを取り付け太くしてくれ、握力の弱い手でも握れるようにしてくれた。

ご飯をすくってみた。ほんの小さなご飯粒の塊が重たい…2~3回すくうと疲れてしまう。でも朝ご飯はいつもパンだったため自力で食べれた。それからは驚異の回復をみせ、5月下旬には大部屋に移っていた。ナースコールも手のひらで叩いて押すものに変わった。



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食事開始

2009-10-27 04:30:52 | 人生
4月20日。今まで点滴で栄養をとっていた私はやっと口から食事が出来るようになった。
最初はドロドロの液体みたいな食事!でも私は早く口から物を食べたかったのか、出されたらストローでかなりのハイペースで飲み干し全て完食した

食事をとれるようになったのはいいが今度は痰がでるようになった。肺活量と腹筋が失われてしまった私の体はうまく痰が出せない。咳も声にならない、痰が詰まって意識が遠のく…チューブを気管に入れ痰を出し、それでもダメな時は鼻から入れる

気付けば先生と看護師さんが心配して声かけをしてる中で目を開ける…そんな毎日の繰り返しで鼻からは酸素を送るカテーテルをしていた

この頃もまだ意識は朦朧としていた。そんな中、母と先生のこんな会話を耳にする。
「こんなに痰が出ると本人も辛いでしょうから喉元を切開して、そこから痰を取り出すようにしましょうか」朦朧とした意識の中私は「嫌!喉切られたくない!」と思った。それからは、不思議と痰が詰まる事も少なくなり、私は喉元に穴を開けないで済んだ

4月下旬に友達がお見舞いに来てくれた。話をしてその友達が帰るとき私は「また来週ね」と言った。友達はそんな事を言われるとは思ってなくビックリしたらしいが、その日から私はカレンダーを見て友達が来る日を指折り数えるようになった。その日を境に私の意識はハッキリしてくる。自分が事故に遭って病院に入院してる事をやっと理解するのだ

季節はもうゴールデンウィークも終わる頃だった。



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九州から

2009-10-27 03:51:44 | 人生
4月18日。九州から姉と父親が心配で様子を見に来てくれた。この時もよく覚えていないのだが、姉が一生懸命日記をつけていた。私は誰かと話をしては疲れてすぐ眠っていたらしい

時々ふと目を開けるも誰かが傍にいることを確認すると、また安心して眠りについていた。目を開けて「右目が痒い」姉が湿ったガーゼで右目をなぞる。
「体まっすぐにして」まっすぐにするとまたスヤスヤ眠る…

私が眠ってて暇なのか無理やり私を起こして話をするも、やっぱり途中で寝てしまっていたらしい。姉達は2泊3日で来てたから、来てる間はいっぱい話をしたかったみたいだけど、私の意識はまだ朦朧中なんだ…ごめんよ…

でも、好きなタレントの話しや恋愛の話、元気になったらどこ行きたいとか話をした。だけど途中でいつも寝ちゃうんだ私を励ましながら姉は泣いてた。私はなんだかそれを他人事の用に見ていた気がする。

私は、痛みと不安のなか姉に「だっこ」と言ってた。でも首に装具を着けた私をどうだっこしていいか分からず、断ったら「お母さんはしてくれるのに」と言っていたのを見ていた父は、羨ましかったのか「チュッてしていい」と聞いてきた。私は聞かれる度に頑なに拒否をしていた。でも帰る最終日に父のひつこさに負けて私はしぶしぶ頷いたらしく、父はかなり喜んでいたらしい

父は「苦労かけた分恩返しするからね」というと私が「苦労かけすぎ!」と言ってバカうけ!?不思議な空気が流れていたらしい…でも私は覚えてない



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